日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

長髄彦 余話

2012年04月02日 | 日記

A.
1.日本の皇統と国つ神の系譜に連なる人々は、共に素戔烏命から出られ、祖はダン族であること、そして、長髄彦(ながすねひこ)=内色許男命(うつしこおのみこと)の出自もダンと遠祖を共にするガド族の人であることを、このブログで述べて来ました。

この作業は、私の田舎が『備後風土記』に伝える「蘇民将来(そみんしょうらい)と素戔烏尊(すさのおのみこと)」の逸話を残す地方であり、そして縁あって一緒になった妻が、長髄彦=内色許男命の兄・安日王(やすひおおきみ)を祖とする奥州安倍氏の末裔の家系に属する者たちの一人であったという不思議な奇縁から、私の果たすべき仕事なのであろうと考えています。

実際、前回、ユーチューブにアップロードされている、現在のイスラエルの人々の像を紹介しましたが、私自身、「あっ、(義理の)叔母さん」と驚く程、似た人の像がそこにはありました。私の思い入れもありましょうが、私の娘の目元・顔立ち・骨格の似た人の像もあり、私たちの出自を考える上で感慨深く思うものがありました。

また、このブログを読んで頂き、紹介いたしました3本の映像を見て頂いた皆様も、特別な感慨・感情をその胸の内にお抱きになったと思います。

2.ここで、私の義理の叔母について、彼女は既に故人でありこのブログで云々したからと言って何の問題もないと思えますので、少し言い添えておきますと、現在の広島県府中市の山間の村から嫁に来た人です。ユーチュブの像のなかで彼女に似た人を言いますと、イスラエルの兵士を写したものの中で、二人の女性兵士が何組か出て来ますが、その2番目に出てくるヘルメットを被(かぶ)ったこちら側から見て左側の女性兵士です。幼少の私には何も分かりませんでしたが、今思うと「そうだったのか」という感じです。私事にわたって恐縮ですが、一族にとって私は良い甥・親類ではなく、勝手と我儘放題をして来ましたので、今改めて、叔母に対する追憶と追悼の念をもってこれを書いております。

3.今後の、皇統の考察につきましては、闕(欠)史八代と言われる天皇の御名について考えて参ります。
孝元天皇と開化天皇につきましては比定が終わりました。
後(あと)、六代の天皇の御名の考察と比定です。

4.次が、日本人の誰もがジレンマに直面する応神朝です。
継体朝につきましては、史書が伝えるように、継体天皇は応神天皇の血を引かれる御方ではなく、垂仁天皇の血を引かれる御方だと、私は考えています。

5.これが論理的な齟齬(そご=欠陥)もなく書き上げることができますと、万世一系が成立します。

B.
1.法・正義・公正についても論を張って参ります。
これらは一般的な理念や抽象論に終始するものではなく、生身の問題と取り組むことになります。

C.
1.慶應MCCで竹中平蔵先生を中心として、レクチャー陣に船橋洋一先生、八田達夫先生、・袖川芳之先生、西川智先生、丸谷浩明先生を迎えて、 ”複合連鎖危機とニッポンの改革”
という熱い講座が始まります。実りある成果を得て来たいと思います。


今日はウグイスが鳴いています。

 

 

 

 

 



                       

                                      梅


                       

                                       桜


                       

                                       こぶし

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 長髄彦の出自 | トップ | 慶應MCC 講座 ”複合連鎖... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事