王朝と言って差し支えあるまい。10年もの間世界の座を保持していたのだから。ダイスポ氏の「シーズンチケット 3」からの方ならご存知であろう。私がロペス信者ということを。
今回の10年はボクシング全17階級のうちの一番した、ミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)である。
ロペスのキャリアを通じライトフライ級で戦ったのは3度のみ(キャリア前半は除く)。99年10月、ウィル グレグスビーからIBF王座を奪取し、その後2年間の間に数えた防衛回数は2度のみ。しかし「10年」の間、絶え間なく同級への転向が噂され、同階級の動向に影響を与えていた事は明白である。
もしロペスが存在しなかったら、本場アメリカのボクシング関係者に最軽量級をどう認識させる事が出来たか?不可能に近いと思う。
ロペスのボクシングはまさしく芸術的であった。2001年に引退するまで常に世界各紙の専門紙に「全階級を通じて最強のボクサーの1人」と認識させていた。自身のWBCミニマム級王座を防衛する事22度。約「10年」(90ー99)の間にこの最軽量級を本場中の本場ラスベガスに格上げさせた功績は大きい。進出当初は会場ガラガラ、テレビ中継なしの待遇を受けていた。しかし95年にはマイク タイソンの世界戦セミファイナル登場の偉業も (タイソンーフランク ブルーノ、対アラ ビラモア戦)。その試合では、今でも語り草になっている左アッパー1発KO.世界にリカルド ロペス、そしてミニマム級ありを示した。
「10年」前半期にはロペスにもライバルが存在した。ライトフライ級、軽量級初の100万ドルファイトを実現した 「小さな石の拳」マイケル カルバハル、そしてそのライバル ウンベルト チキータ ゴンサレス。
両者は計3度対戦。特に1993年の第1戦は、「ミニ ハグラー対ハーンズ」の絶賛を受ける。
カルバハル、ゴンサレスは絶えずロペスの対抗馬として決戦を期待されていた。その夢のカードは日を見ることなく終わった。もしロペス、カルバハル、ゴンサレスの三つ巴戦が実現していたら?軽量級の歴史に大きな1ページが加えられたと思う。
ロペス、カルバハル、そしてゴンサレス以外にも強豪は存在した。
タイの「小型カオサイ」、ラタナポン ソーヲラピンはIBFミニマム級王座を通算18度防衛。ラタナポンの実弟ラタナチャイは現WBOバンタム級王者でもある。
ゴンサレスを敵地でKOしたサマン ソーチャトロンはWBCライトフライ級王座を10連続防衛。
ロペスはサマン、ラタナポンにKOそれぞれKO勝ちしている事を付け加えておこう。
ロペスに生涯唯一のダウン、引き分けをあじ合わせた元WBAミニマム、現同ライトフライ級王者ロセンド アルバレスもいい選手だった。
日本からもミニマム級で星野 敬太郎(2度)、新井田 豊、ライトフライ級で山口 圭司 (それぞれWBA)を輩出。それに続く選手達を待機させている。
たしかに選手層はヘビー級などと比べると薄いかも知れない。しかし「10年」という歳月で見ると、その中から好選手を継続的に輩出していることが見れる。
これからはどうか?WBCミニマム級王者、初防衛戦を控えるイーグル京和(角海老宝石)、WBCライトフライの突貫小僧ホルへ アルセが楽しみである。もちろん新井田 豊もこれらに続く逸材だと思う。
これからの「10年」、ロペスの後継者探しがこの「王朝」後の使命だと思う。