3月5日、日本アカデミー賞授賞式。主演女優賞は松たか子、ということで、ペ・ドゥナさん残念でした。「沈まぬ太陽」が作品賞・主演男優賞・編集賞の3部門、「劔岳 点の記」が監督賞等6部門で受賞と、実にオーソドックスな結果でした。
・・・映画の話はここまで。
フロ場読書で、舞城王太郎「ビッチマグネット」に続いてハマってしまったのが「世界」3月号。いやー、おもしろかったです。
とくに赤木昭夫「大荒れの気候変動外交」歳川隆雄・佐藤優「小沢VS検察“権力闘争”を超え、民主主義へ」はドラマチック! 神保太郎「メディア批評」も。
一昨年「論座」が休刊してしまったため、なかばしかたなく購読を始めた「世界」、2010年1月号の「韓国併合100年」特集など、否定的な意味で「やっぱりなー・・・」の感想でしたが、今号はよかった! <COP15>での米中等のせめぎあいとか、佐藤優氏の<(小沢問題の)検察=青年将校論>や<鳩山首相の偏微分による判断論>とか、ヘタな小説よりずっとおもしろい・・・。
・・・おっと、今回の本題はその小説でした。おもしろい雑誌記事の読後だと、なおのこと見方が厳しくならざるをえません。
芥川賞に最初から期待を持たなくなってからもう10年以上は経ったかも・・・。一番の理由は、自分の周りのことしか書かなくなっている、ということ。それも、昔の私小説(好きじゃないけど・・・)の場合は社会とか自分自身とか、もっと必死に格闘してるゾ、ということは感じられたものですが・・・。まあ作家だけじゃなく読者も含めて日本の皆の生活とか、現実認識とか、人間関係とか、モロモロが稀薄化しているってことでしょうかねー・・・。
※90年代後半以降だと阿部和重に注目したくらいですかねー・・・。社会的な素材ということでいえば、高村薫や宮部みゆき等々の直木賞系の方がずっと社会的な視野の広がりを感じさせます。
はてさて、韓国小説の現況はいかに、とネット上で見ると、ドラマや映画、K-POP等のエンタメ系の情報はいっぱいあふれているのに、文学関係の情報はほとんど得られません。
日本の小説が韓国で広く読まれているのに対し、日本での韓国の小説に対する関心の低さは対照的。ほとんど一方通行状態です。
やっと核心部分へ。韓国最高の文学賞、日本でいえば芥川賞に相当するのが李箱文学賞です。(東仁文学賞もあるが・・・。)
1977年第1回の金承鈺(キム・スンオク)以来、李清俊(イ・チョンジュン)・呉貞姫(オ・ジョンヒ)・朴婉緒(パク・ワンソ)・崔仁浩(チェ・イノ)・李文烈(イ・ムニョル)、そして今世紀に入ってからは申京淑(シン・ギョンスク)・金薫(キム・フン)等々、韓国を代表する作家たちが大賞受賞者として名を連ねてきました。
そして今年、第34回の大賞受賞作家がパク・ミンギュ(박민규.朴玟奎)。このところ続けて大賞候補(優秀賞)にリストアップされていましたが、待望の受賞です。
彼の作品はまだ日本語訳はありませんが、<Innolife>のサイトに略歴等が紹介されています。そこにも「金髪に染めた上に、ヒッピー達が好んだ独特なサングラスをかけて現れた」とありますが、今回の李箱文学賞受賞のインタビュー記事を見ると、その場にも下の写真のような姿ですねー。
パク・ミンギュ氏のこの挑発的な(?)イデタチは、自身の<気負い>とか<衒い>といったもののあらわれかもしれません。
たとえば、2006年「京郷新聞」の「日本小説に占領された韓国小説」という記事(→日本語抄訳)の中で彼の発言が載っていました。「過去数十年間、私たちが掘り起こしたのはリアリズム一つしかない」「事実と幻想は文学が持つ二つの柱なのに、韓国小説に空想科学(SF)、推理小説、ホラー小説、ファンタジーはない」等々、既存の韓国小説を厳しく批判しています。一方、他の若い作家と同じく、村上春樹の影響を受けている作家の一人でもあるようです。
※「中央日報」の<日本小説にはまる韓国人が急増>という記事にもパク・ミンギュの名前があります。
※現在の韓国小説を扱っている稀少価値的(?)ブログ→<KOREA BOOK CAFÉ>
さて、この李箱文学賞の作品なんですが、もう1月末に大賞受賞作の他、優秀作7編を収録した「第34回李箱文学賞作品集」が刊行されています。
私ヌルボも、職安通りのコリアプラザにあったのを購入し、さっそく大賞受賞作「朝の門(아침의 문)」を読んでみました。ネット集団殺人を素材にした短編なんですが、おっと、もう字数がいっぱいなので、その感想等は別の記事にします。
・・・映画の話はここまで。
フロ場読書で、舞城王太郎「ビッチマグネット」に続いてハマってしまったのが「世界」3月号。いやー、おもしろかったです。
とくに赤木昭夫「大荒れの気候変動外交」歳川隆雄・佐藤優「小沢VS検察“権力闘争”を超え、民主主義へ」はドラマチック! 神保太郎「メディア批評」も。
一昨年「論座」が休刊してしまったため、なかばしかたなく購読を始めた「世界」、2010年1月号の「韓国併合100年」特集など、否定的な意味で「やっぱりなー・・・」の感想でしたが、今号はよかった! <COP15>での米中等のせめぎあいとか、佐藤優氏の<(小沢問題の)検察=青年将校論>や<鳩山首相の偏微分による判断論>とか、ヘタな小説よりずっとおもしろい・・・。
・・・おっと、今回の本題はその小説でした。おもしろい雑誌記事の読後だと、なおのこと見方が厳しくならざるをえません。
芥川賞に最初から期待を持たなくなってからもう10年以上は経ったかも・・・。一番の理由は、自分の周りのことしか書かなくなっている、ということ。それも、昔の私小説(好きじゃないけど・・・)の場合は社会とか自分自身とか、もっと必死に格闘してるゾ、ということは感じられたものですが・・・。まあ作家だけじゃなく読者も含めて日本の皆の生活とか、現実認識とか、人間関係とか、モロモロが稀薄化しているってことでしょうかねー・・・。
※90年代後半以降だと阿部和重に注目したくらいですかねー・・・。社会的な素材ということでいえば、高村薫や宮部みゆき等々の直木賞系の方がずっと社会的な視野の広がりを感じさせます。
はてさて、韓国小説の現況はいかに、とネット上で見ると、ドラマや映画、K-POP等のエンタメ系の情報はいっぱいあふれているのに、文学関係の情報はほとんど得られません。
日本の小説が韓国で広く読まれているのに対し、日本での韓国の小説に対する関心の低さは対照的。ほとんど一方通行状態です。
やっと核心部分へ。韓国最高の文学賞、日本でいえば芥川賞に相当するのが李箱文学賞です。(東仁文学賞もあるが・・・。)
1977年第1回の金承鈺(キム・スンオク)以来、李清俊(イ・チョンジュン)・呉貞姫(オ・ジョンヒ)・朴婉緒(パク・ワンソ)・崔仁浩(チェ・イノ)・李文烈(イ・ムニョル)、そして今世紀に入ってからは申京淑(シン・ギョンスク)・金薫(キム・フン)等々、韓国を代表する作家たちが大賞受賞者として名を連ねてきました。
そして今年、第34回の大賞受賞作家がパク・ミンギュ(박민규.朴玟奎)。このところ続けて大賞候補(優秀賞)にリストアップされていましたが、待望の受賞です。
彼の作品はまだ日本語訳はありませんが、<Innolife>のサイトに略歴等が紹介されています。そこにも「金髪に染めた上に、ヒッピー達が好んだ独特なサングラスをかけて現れた」とありますが、今回の李箱文学賞受賞のインタビュー記事を見ると、その場にも下の写真のような姿ですねー。
パク・ミンギュ氏のこの挑発的な(?)イデタチは、自身の<気負い>とか<衒い>といったもののあらわれかもしれません。
たとえば、2006年「京郷新聞」の「日本小説に占領された韓国小説」という記事(→日本語抄訳)の中で彼の発言が載っていました。「過去数十年間、私たちが掘り起こしたのはリアリズム一つしかない」「事実と幻想は文学が持つ二つの柱なのに、韓国小説に空想科学(SF)、推理小説、ホラー小説、ファンタジーはない」等々、既存の韓国小説を厳しく批判しています。一方、他の若い作家と同じく、村上春樹の影響を受けている作家の一人でもあるようです。
※「中央日報」の<日本小説にはまる韓国人が急増>という記事にもパク・ミンギュの名前があります。
※現在の韓国小説を扱っている稀少価値的(?)ブログ→<KOREA BOOK CAFÉ>
さて、この李箱文学賞の作品なんですが、もう1月末に大賞受賞作の他、優秀作7編を収録した「第34回李箱文学賞作品集」が刊行されています。
私ヌルボも、職安通りのコリアプラザにあったのを購入し、さっそく大賞受賞作「朝の門(아침의 문)」を読んでみました。ネット集団殺人を素材にした短編なんですが、おっと、もう字数がいっぱいなので、その感想等は別の記事にします。