ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[8] 「真白き富士の根」と韓国の「希望の歌」 

2010-05-01 23:23:27 | 韓国の音楽
 [6][7]「オッパセンガク」>、「愛国歌」をとりあげましたが、今回も歌の話です。

 私ヌルボの誕生日は1月23日なんですが、歴史をひもとくと、1902(明治35)年のその日が新田次郎の小説で知られる八甲田山での雪中行軍で199人が犠牲になった日。
 他にないかと見てみれば、同じ明治末の1910(明治43)年1月23日、逗子開成中学の生徒12人が七里ヶ浜沖でボート遭難事故死。不幸が重なってる日なんですねー・・・。

 実は私ヌルボ、30年以上前逗子に住んでいたことがありました。その頃は夕方5時だったか、毎日「七里ヶ浜の哀歌」のオルゴール・メロディーが逗子駅近辺の金融機関から流されていました。(今は金融機関もなくなり、流されていません。)
 開成中学の合同葬儀で、近くの鎌倉女学校の生徒たちが歌ったのが「七里ヶ浜の哀歌」でした。作詞は当時鎌倉女学校の教師だった三角錫子、そして曲の来歴が問題なんですねー。

 「真白き富士の根(嶺)」のタイトルでも知られるこの歌、YouTube中で探すと戦前の人気歌手・松原操(ミス・コロンビア)が歌ったものがありました。

 ・・・で、本題なんですが、この歌とほぼ同じメロディーの歌が「英雄時代」に出てくるのですよ。第7話でも少し流れてきますが、とくに第12話。自動車整備工場で、部下たちのケンカに割って入ったテサンは、大量の酒をイッキ飲みして、この歌を歌います。

 韓国では「希望歌(희망가.ヒマンガ)」というこの歌、YouTubeにトゥルグックァが歌っているものがあったので聴いてみてください。

 「七里ヶ浜の哀歌」は8分の6拍子で弱起の曲になってますが、「希望の歌」は4分の3拍子、強起です。メロディーも少し違っています。(トゥルグックァは弱起にしてますが、楽譜では強起。)
 
※そういえば、「愛国歌」もやや不自然な強起の4拍子ですね。弱起の方が自然では、とかねがね思っているんですが、と言ってもしょうがないけど・・・。

 私ヌルボ、この「希望の歌」の存在は以前から知っていました。というのは、韓国の昔からの流行歌を集めた歌集に載っていたから。
 たとえば、3月18日の記事で紹介した三中堂で見つけて購入した「歌謡半世紀」。古い順に並べたこの歌集の、4番目に載っています。

       
 【1979年刊。最初に載っている歌は「学徒歌」。「鉄道唱歌」のメロディーです。

 その歌詞なんですが、Morrisさんのすごいブログ中にありました。
 Morrisさんもヌルボと同じ出版社から出た、よく似た歌集をお持ちのようです。また、この歌の来歴についても詳しく記されています。

 また、ドラマ「京城スキャンダル」中で「ソンジュによって切々と歌い上げられ」たこの歌に「衝撃を受けた」というtorako2007さんもMorrisさんの記事を参考に<京城蒼月倶楽部>というブログでさらに考察を深めています。

 「希望歌」についての上記2つのブログを見た後、今さらの感はありますが、私ヌルボも横浜市立図書館が近いという地の利を生かして少し調べてみたところによると、<京城蒼月倶楽部>でもふれている安田寛という大学の先生がこの歌も含めて往年の唱歌の来歴について精緻な追究と考察を本にまとめていることがわかりました。
 「日韓唱歌の源流」(音楽之友社.1999)と、「「唱歌」という奇跡 十二の物語」(文春新書.2003)です。

 とくに「日韓唱歌の源流」によると、逗子開成の事故からさかのぼれば、日本の唱歌1890年の「夢の外」。さらに19世紀前半のアメリカの讃美歌。
 この讃美歌は「聖歌623番 いつかは知らねど」で、なんとYouTubeにありました。メロディーは「希望歌」の方ではなく「七里ヶ浜の哀歌」と同じですね。

 讃美歌からさらに時代をさかのぼると、1760年頃のイギリスの流行歌「ナンシー・ドーソン」、さらには1740年頃のイギリスのダンス曲「たちしょんべん」(!)にまで源流をたどることができるそうです。

 朝鮮では「「希望歌」は初めは芝居の幕間で歌われましたが、1920年頃、レコードに吹き込まれたのがきっかけとなって、広く韓国の民衆の中に浸透していきました」とのことですが、安田先生は<京城蒼月倶楽部>に記されているように、日韓の唱歌や流行歌の伝播の背景には、讃美歌の果たした役割が大きかったと指摘しています。

 若干の韓国の方に聞いたところでは、この歌を知ってる人もあり、よく知らない人もあり。コッタジとかヤン・ヒウンとかが歌っているところをみると、運動圏(学生運動・労働運動)の歌のような雰囲気かも・・・。
 歌詞が「この風塵の世の中に生を受けて/お前の希望は何なのだ?/富貴と栄華をきわめれば希望が充たされるのか?」ですからねー。


付記①
 韓国サイト「歴代大統領が一番好きだった一八番の歌」というサイトによると、李承晩大統領の好きな歌がこの「希望歌」だったそうです。
 このサイトには次のような説明文がついています。
 「アメリカ人の作曲家ゴードンが作った(←誤)「われらが家に帰る時」という歌だったが、1910年代朝鮮に渡ってきて当時苦学生たちの集まりだったカルトプ会(갈톱회)会員の中の一学生が日帝の圧政下で抗日の雰囲気を歌える歌詞をつけて今の「希望歌」とよばれているわが国最初の近代式歌謡です。」

付記②
 2005年KBS「ドラマシティ みんなでチャチャチャ!」の中でク・ヘソンが酔っぱらって「希望歌」を歌っている映像をみつけました。

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李舜臣の生誕記念祝祭(4月28日)に英雄を論ずる、のを聴く

2010-05-01 10:07:49 | 韓国・朝鮮関係の知識教養(歴史・地理・社会等)
 このネタは4月28日の記事にするつもりだったのが、うっかりスルーしてしまいました。というのも、4月28日は李舜臣の生誕記念祝祭だったからです。
 この祝祭のあらましは、コネストのサイト中の記事を読んでみて下さい。

 彼が生まれた陰暦1545年3月8日を太陽暦4月28日に換算して制定した祝祭だそうです。日本人の間でも李舜臣の知名度は高くなったとはいっても、この祝祭を知っている人は多くはないでしょう。
 実は私ヌルボも4月24日に初めて知りました。

 その日何となく聴いていた韓国のKBSラジオの「韓民族ひとつに(한민족 하나로.ハンミンジョク ハナロ)」という番組のテーマが<忠武公李舜臣生誕の日>だったのです。

 この番組は、韓国に来ている海外在住韓国人留学生数人を相手に、進行役の韓国外国語大教授カン・ジュニョン教授が韓国の歴史文化習慣等に関わるテーマについていろいろ話を聞き出すという構成になっています。

 この日の出演者は女性が中国のチュさんと日本のユンさん、男性がアメリカのチェさん1人の計3人。

 カン教授は、まず李舜臣将軍や亀甲船について知っていることを尋ねます。
 留学生たちがよく知らない点については、(よくいえば)実に懇切丁寧に説明します。以前、何についてだったか、日本の留学生が知らなかった日本史の知識について「アレレ?」と首をかしげる説明をしちゃってましたが・・・。

 カン教授の説明を聴いてて気づいたのは、<李舜臣に対して敬語を使っている>ということ。

 日本の場合、戦前の学校はいざ知らず、現在の授業で歴史上の人物に敬語を使う教師はいたとしてもまれでしょう。ここらへんは日韓の歴史教育の大きな違いでしょうね。

 さらに話題は、「それぞれの国で英雄と言えば誰か?」ということになっていって、アメリカのチェさんが「今は戦争の英雄とかいう時代じゃなくて・・・」と語り始めたのには私ヌルボも内心「フフッ、良う言うてくれた」とうなずきました。

 ここで(ジツは)今日の記事の主役の日本のユンさん、「日本で英雄といえば?」という質問に何と答えたかというと、 「水戸黄門!」
 うむー、韓国でも知られている信長・秀吉・家康とかじゃなくて、こうくるか・・・。
さらに追い打ちをかけて、「ハチ公!」
 この後ユンさんはハチ公について思い入れたっぷりに説明したんですねー。

 次の質問の「銅像について」でもユンさんはハチ公の銅像について語ってました。征韓論を唱えた西郷隆盛の銅像のことをあえて避けた、ということではサラサラなく、彼女はよっぽどハチ公の話に感動した体験をお持ちだったようです。
 しかし、韓国人の誇る英雄李舜臣に対すべき英雄(?)にワンちゃんをもってくるとは大胆な・・・。

付記:カン教授、「<世界四大海戦>を知っていますか?」という質問をして、知らないという留学生たちに「トラファルガーの海戦、レパントの海戦、(李舜臣の) 閑山島海戦。」とキッチリ教授されてました。
 ・・・が、この件についてはネット検索するとわかるように、<世界三大海戦>というのが(少なくとも日本では)ふうのようで、それもサラミスの海戦、カレー沖の海戦(アルマダの海戦)、日本海海戦等、他の候補もあり、このテーマ自体いろいろ複雑な論議対象になってるようです。
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