[6]と[7]で「オッパセンガク」>、「愛国歌」をとりあげましたが、今回も歌の話です。
私ヌルボの誕生日は1月23日なんですが、歴史をひもとくと、1902(明治35)年のその日が新田次郎の小説で知られる八甲田山での雪中行軍で199人が犠牲になった日。
他にないかと見てみれば、同じ明治末の1910(明治43)年1月23日、逗子開成中学の生徒12人が七里ヶ浜沖でボート遭難事故死。不幸が重なってる日なんですねー・・・。
実は私ヌルボ、30年以上前逗子に住んでいたことがありました。その頃は夕方5時だったか、毎日「七里ヶ浜の哀歌」のオルゴール・メロディーが逗子駅近辺の金融機関から流されていました。(今は金融機関もなくなり、流されていません。)
開成中学の合同葬儀で、近くの鎌倉女学校の生徒たちが歌ったのが「七里ヶ浜の哀歌」でした。作詞は当時鎌倉女学校の教師だった三角錫子、そして曲の来歴が問題なんですねー。
「真白き富士の根(嶺)」のタイトルでも知られるこの歌、YouTube中で探すと戦前の人気歌手・松原操(ミス・コロンビア)が歌ったものがありました。
・・・で、本題なんですが、この歌とほぼ同じメロディーの歌が「英雄時代」に出てくるのですよ。第7話でも少し流れてきますが、とくに第12話。自動車整備工場で、部下たちのケンカに割って入ったテサンは、大量の酒をイッキ飲みして、この歌を歌います。
韓国では「希望歌(희망가.ヒマンガ)」というこの歌、YouTubeにトゥルグックァが歌っているものがあったので聴いてみてください。
「七里ヶ浜の哀歌」は8分の6拍子で弱起の曲になってますが、「希望の歌」は4分の3拍子、強起です。メロディーも少し違っています。(トゥルグックァは弱起にしてますが、楽譜では強起。)
※そういえば、「愛国歌」もやや不自然な強起の4拍子ですね。弱起の方が自然では、とかねがね思っているんですが、と言ってもしょうがないけど・・・。
私ヌルボ、この「希望の歌」の存在は以前から知っていました。というのは、韓国の昔からの流行歌を集めた歌集に載っていたから。
たとえば、3月18日の記事で紹介した三中堂で見つけて購入した「歌謡半世紀」。古い順に並べたこの歌集の、4番目に載っています。
【1979年刊。最初に載っている歌は「学徒歌」。「鉄道唱歌」のメロディーです。】
その歌詞なんですが、Morrisさんのすごいブログ中にありました。
Morrisさんもヌルボと同じ出版社から出た、よく似た歌集をお持ちのようです。また、この歌の来歴についても詳しく記されています。
また、ドラマ「京城スキャンダル」中で「ソンジュによって切々と歌い上げられ」たこの歌に「衝撃を受けた」というtorako2007さんもMorrisさんの記事を参考に<京城蒼月倶楽部>というブログでさらに考察を深めています。
「希望歌」についての上記2つのブログを見た後、今さらの感はありますが、私ヌルボも横浜市立図書館が近いという地の利を生かして少し調べてみたところによると、<京城蒼月倶楽部>でもふれている安田寛という大学の先生がこの歌も含めて往年の唱歌の来歴について精緻な追究と考察を本にまとめていることがわかりました。
「日韓唱歌の源流」(音楽之友社.1999)と、「「唱歌」という奇跡 十二の物語」(文春新書.2003)です。
とくに「日韓唱歌の源流」によると、逗子開成の事故からさかのぼれば、日本の唱歌1890年の「夢の外」。さらに19世紀前半のアメリカの讃美歌。
この讃美歌は「聖歌623番 いつかは知らねど」で、なんとYouTubeにありました。メロディーは「希望歌」の方ではなく「七里ヶ浜の哀歌」と同じですね。
讃美歌からさらに時代をさかのぼると、1760年頃のイギリスの流行歌「ナンシー・ドーソン」、さらには1740年頃のイギリスのダンス曲「たちしょんべん」(!)にまで源流をたどることができるそうです。
朝鮮では「「希望歌」は初めは芝居の幕間で歌われましたが、1920年頃、レコードに吹き込まれたのがきっかけとなって、広く韓国の民衆の中に浸透していきました」とのことですが、安田先生は<京城蒼月倶楽部>に記されているように、日韓の唱歌や流行歌の伝播の背景には、讃美歌の果たした役割が大きかったと指摘しています。
若干の韓国の方に聞いたところでは、この歌を知ってる人もあり、よく知らない人もあり。コッタジとかヤン・ヒウンとかが歌っているところをみると、運動圏(学生運動・労働運動)の歌のような雰囲気かも・・・。
歌詞が「この風塵の世の中に生を受けて/お前の希望は何なのだ?/富貴と栄華をきわめれば希望が充たされるのか?」ですからねー。
付記①
韓国サイト「歴代大統領が一番好きだった一八番の歌」というサイトによると、李承晩大統領の好きな歌がこの「希望歌」だったそうです。
このサイトには次のような説明文がついています。
「アメリカ人の作曲家ゴードンが作った(←誤)「われらが家に帰る時」という歌だったが、1910年代朝鮮に渡ってきて当時苦学生たちの集まりだったカルトプ会(갈톱회)会員の中の一学生が日帝の圧政下で抗日の雰囲気を歌える歌詞をつけて今の「希望歌」とよばれているわが国最初の近代式歌謡です。」
付記②
2005年KBS「ドラマシティ みんなでチャチャチャ!」の中でク・ヘソンが酔っぱらって「希望歌」を歌っている映像をみつけました。
私ヌルボの誕生日は1月23日なんですが、歴史をひもとくと、1902(明治35)年のその日が新田次郎の小説で知られる八甲田山での雪中行軍で199人が犠牲になった日。
他にないかと見てみれば、同じ明治末の1910(明治43)年1月23日、逗子開成中学の生徒12人が七里ヶ浜沖でボート遭難事故死。不幸が重なってる日なんですねー・・・。
実は私ヌルボ、30年以上前逗子に住んでいたことがありました。その頃は夕方5時だったか、毎日「七里ヶ浜の哀歌」のオルゴール・メロディーが逗子駅近辺の金融機関から流されていました。(今は金融機関もなくなり、流されていません。)
開成中学の合同葬儀で、近くの鎌倉女学校の生徒たちが歌ったのが「七里ヶ浜の哀歌」でした。作詞は当時鎌倉女学校の教師だった三角錫子、そして曲の来歴が問題なんですねー。
「真白き富士の根(嶺)」のタイトルでも知られるこの歌、YouTube中で探すと戦前の人気歌手・松原操(ミス・コロンビア)が歌ったものがありました。
・・・で、本題なんですが、この歌とほぼ同じメロディーの歌が「英雄時代」に出てくるのですよ。第7話でも少し流れてきますが、とくに第12話。自動車整備工場で、部下たちのケンカに割って入ったテサンは、大量の酒をイッキ飲みして、この歌を歌います。
韓国では「希望歌(희망가.ヒマンガ)」というこの歌、YouTubeにトゥルグックァが歌っているものがあったので聴いてみてください。
「七里ヶ浜の哀歌」は8分の6拍子で弱起の曲になってますが、「希望の歌」は4分の3拍子、強起です。メロディーも少し違っています。(トゥルグックァは弱起にしてますが、楽譜では強起。)
※そういえば、「愛国歌」もやや不自然な強起の4拍子ですね。弱起の方が自然では、とかねがね思っているんですが、と言ってもしょうがないけど・・・。
私ヌルボ、この「希望の歌」の存在は以前から知っていました。というのは、韓国の昔からの流行歌を集めた歌集に載っていたから。
たとえば、3月18日の記事で紹介した三中堂で見つけて購入した「歌謡半世紀」。古い順に並べたこの歌集の、4番目に載っています。
【1979年刊。最初に載っている歌は「学徒歌」。「鉄道唱歌」のメロディーです。】
その歌詞なんですが、Morrisさんのすごいブログ中にありました。
Morrisさんもヌルボと同じ出版社から出た、よく似た歌集をお持ちのようです。また、この歌の来歴についても詳しく記されています。
また、ドラマ「京城スキャンダル」中で「ソンジュによって切々と歌い上げられ」たこの歌に「衝撃を受けた」というtorako2007さんもMorrisさんの記事を参考に<京城蒼月倶楽部>というブログでさらに考察を深めています。
「希望歌」についての上記2つのブログを見た後、今さらの感はありますが、私ヌルボも横浜市立図書館が近いという地の利を生かして少し調べてみたところによると、<京城蒼月倶楽部>でもふれている安田寛という大学の先生がこの歌も含めて往年の唱歌の来歴について精緻な追究と考察を本にまとめていることがわかりました。
「日韓唱歌の源流」(音楽之友社.1999)と、「「唱歌」という奇跡 十二の物語」(文春新書.2003)です。
とくに「日韓唱歌の源流」によると、逗子開成の事故からさかのぼれば、日本の唱歌1890年の「夢の外」。さらに19世紀前半のアメリカの讃美歌。
この讃美歌は「聖歌623番 いつかは知らねど」で、なんとYouTubeにありました。メロディーは「希望歌」の方ではなく「七里ヶ浜の哀歌」と同じですね。
讃美歌からさらに時代をさかのぼると、1760年頃のイギリスの流行歌「ナンシー・ドーソン」、さらには1740年頃のイギリスのダンス曲「たちしょんべん」(!)にまで源流をたどることができるそうです。
朝鮮では「「希望歌」は初めは芝居の幕間で歌われましたが、1920年頃、レコードに吹き込まれたのがきっかけとなって、広く韓国の民衆の中に浸透していきました」とのことですが、安田先生は<京城蒼月倶楽部>に記されているように、日韓の唱歌や流行歌の伝播の背景には、讃美歌の果たした役割が大きかったと指摘しています。
若干の韓国の方に聞いたところでは、この歌を知ってる人もあり、よく知らない人もあり。コッタジとかヤン・ヒウンとかが歌っているところをみると、運動圏(学生運動・労働運動)の歌のような雰囲気かも・・・。
歌詞が「この風塵の世の中に生を受けて/お前の希望は何なのだ?/富貴と栄華をきわめれば希望が充たされるのか?」ですからねー。
付記①
韓国サイト「歴代大統領が一番好きだった一八番の歌」というサイトによると、李承晩大統領の好きな歌がこの「希望歌」だったそうです。
このサイトには次のような説明文がついています。
「アメリカ人の作曲家ゴードンが作った(←誤)「われらが家に帰る時」という歌だったが、1910年代朝鮮に渡ってきて当時苦学生たちの集まりだったカルトプ会(갈톱회)会員の中の一学生が日帝の圧政下で抗日の雰囲気を歌える歌詞をつけて今の「希望歌」とよばれているわが国最初の近代式歌謡です。」
付記②
2005年KBS「ドラマシティ みんなでチャチャチャ!」の中でク・ヘソンが酔っぱらって「希望歌」を歌っている映像をみつけました。