横浜市立図書館で、現代韓国を代表する詩人の一人安度眩(アン・ドヒョン.안도현)のエッセイ集「小さく、低く、ゆっくりと」(書肆侃侃房.2005)を読みました。「西日本新聞」に2002年10月〜03年9月連載した随筆をまとめた本です。
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韓国の詩人を一人二人でも知っている日本人は多くはないでしょう。
それなりに知っている人は、たとえば権力に対して熱く力の籠った詩で闘ったり、民族の魂とか伝統的な恨の心を詠ったりした詩人を思い浮かべるのではないでしょうか?
しかしアン・ドヒョンはそんな韓国の旧世代の詩人とは全然違って、平易な言葉、穏やかな表現を特徴としています。このような詩人が多くの人に受け容れられるのも、1990年代以降の時代の空気を反映しているといえるのでないでしょうか。
このエッセイ集も、彼の詩と同様とても読みやすく、それでいて心に残るエッセイがいくつも収められています。
その中からいくつか、読書メモのような形で紹介します。
○日本を見る目
アン・ドヒョンの母方の祖父と祖母は日本で労働者として働いていて、解放後に帰国した人である。彼らは「倭のやつ(※ウェノム.왜놈でしょう)」と呼んでばかりで、アン・ドヒョンは一度も「日本人」と呼ぶのを聞いたことがない。しかし日本人は「とても礼儀正しく原理原則を重視する人たち」で、ときどき「解放前に日本で暮らしていたころの方が良かった」という愚痴をはきすてるように言った、という。
・・・「反日」「親日」等の言葉では捉えられない複雑な感情。それは祖父母の世代ばかりではないでしょう。
○母親と妻の違い
アン・ドヒョンは1961年慶尚北道生まれ。奥さんは全羅道出身。昔から慶尚道と全羅道の対立感情はよく知られているとおり。母親は年配の親戚に奥さんを紹介する時に、「嫁の故郷はソウルで・・・」と嘘を言っていたとのことである。
○民衆と人民
アン・ドヒョンは若い頃中学校の国語教師をしていた。その当時<左傾意識化教師>と誤解されたことがあった。授業で「松よ、青い松よ(솔아 솔아 푸르른솔아...)」という歌の歌詞を教えたため、校長室によばれたのである。(※運動圏のフォークグループ<ノチャサ>の歌) 「民衆の魂が主人になる真の世界」とは何だ、民衆とは人民のことではないのか? と校長が問いつめるのである。本来はそんな意味の言葉ではないのに・・・。(※この本では記されていませんが、yes24のサイトで彼の経歴を見ると「全教組活動で解職され、5年後復職」とあります。)
○赤いTシャツ
ワールドカップの韓国チームは赤いユニフォームで活躍、「赤い悪魔」とよばれた。しかし、子どもの頃から反共教育を受けてきたアン・ドヒョンの世代にとって、<赤>といえば共産主義の色。「赤い悪魔」以外でも、「赤い力を集めましょう」という献血のポスターを見ても「共産主義者を集めましょう」・・・とつい思ってしまう・・・。
※これは私ヌルボも初めて「赤い悪魔」と聞いた時、同様の疑問をもちました。反共のはずの韓国が自ら「赤い~」などと称するとは! ・・・と驚いたものです。
○俳句と詩調
アン・ドヒョンは俳句に関心を寄せています。同じ韓国の人気詩人リュ・シファによる俳句翻訳書「一行でも長すぎる」を手掛かりに、その魅力を記しています。芭蕉の「閑さや岩にしみ入る 蝉の声」もあげていますが、彼がとくに共感しているのが次の句。
「この炭も 雪被さりし 梢なり 多田友」
今は炭となっているが、以前は木の枝で、そこに雪が積もったこともあって、という炭の歴史が短い字数に凝縮されている、というわけです。
ヌルボもなるほどと思いましたが、今まで知らなかった俳句で、作者も初耳。ネットで探してみましたがわからずじまいです。
ほかにも、安東に暮らしている童話作家の長老・権正生(クォン・ジョンセン)を訪ねたところ、その清貧さに自ら恥ずかしさを覚えた話等々、紹介したい部分はありますが、長くなりすぎてもよくないのでここまでにしておきます。
※権正生の作品はいくつか読んだことがありますが、1937年東京の貧民街で生まれたことは初めて知りました。
付記①:本書で彼自身が記しているところによると、この時まで彼は7冊の詩集を刊行し、「合算して40万部売れた」とのことです。彼は韓国がそれだけ詩文学が広く受け入れられている国だと言っているわけですが、その中でも彼は本がよく売れる詩人です。
ひとつだけ、よく知られた彼の短い詩を紹介します。
너에게 묻는다
연탄재 함부로 발로 차지 마라
너는
누구에게 한번이라도 뜨거운 사람이었느냐
おまえに尋ねる
煉炭の灰を
むやみに足で蹴るな
おまえは
だれかにとって 一度でも熱い人だったのか
付記②:本ブログ4月10日の記事で、アン・ドヒョンが「鮭」同様<大人のための童話>として「蒸気機関車 ミカ」という本を出していることを紹介しました。「鮭」は1996年刊行以来100万部に達するロングセラーで、日本では「幸せのねむる川」の題で出ていました。
付記③:たまたま昨日の「ハンギョレ新聞」のサイトで、6月2日の統一地方選挙に向けて、アン・ドヒョンが若者に投票をよびかける記事が掲載されていました。
<左寄り>の「ハンギョレ新聞」だけでなく、<右寄り>を代表する「朝鮮日報」にも以前「アン・ドヒョンのラブレター」が200回連載されたことがありました。今も「朝鮮日報」のサイトで見ることができます。
付記④:「オー!マイニュース」のサイト中に、「アン・ドヒョンの詩は軽いか?」という見出しで彼の詩の魅力を分析した記事がありました。
付記⑤:5月13日の記事でチョウセントラについて書きましたが、この本によると「1922年、慶尚北道の大匿まで虎の雄が一頭、射殺された。野生のトラは韓国の地から完全に姿を消してしまった。したがって虎による災い、すなわち「虎患(ホファン.호환)」という言葉も韓国から次第に消えていった」とあります。