ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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高層マンションの間取りにも韓屋の伝統が継承されている (「図説 ソウルの歴史」より)

2010-05-24 21:05:26 | 韓国・朝鮮に関係のある本
 5月20日の記事で紹介した砂本文彦「図説 ソウルの歴史」(河出書房新社)。私ヌルボが興味をもった箇所は他にもいろいろあるので、かいつまんで紹介します。

マダン(마당.マダン)という言葉には催し等を行う場という意味と、韓屋の中央の、四方を建物に囲まれた中庭をさす場合があります。
 後者のマダンは、祭祀(チェサ)や宴会、あるいはキムチ漬けの場で、「各部屋をつなぐ廊下というものがない」韓屋にあって「各部屋の相互を跨ぐ中心の場」という役割を担っているとのことです。

 砂本先生によれば、「こうした両班(ヤンバン)住宅の平面構成は、ソウルの街角のあちこちにある現代的住宅の最先端、超高層マンションの住宅平面にも影響を与えているといわれる」とのことです。
 つまり、マダンがそのまま居室化し、その居間から個室に扉一枚で直結する「居間中心型住宅」になっているというわけです。
 「居間から子どもたちにひと声かけると、いっせいに全員が顔をのぞかせる。母はキムチをつけながら娘をたしなめる。・・・」
 こんな韓国ドラマの基本の光景が、現代では高層マンションの居間で展開し、歴史物ではマダンでくり広げられる、「同じ類のものだ」とのことです。

 私ヌルボ、マンション(韓国ではアパート)暮らしの韓国人家庭を訪れたことはほんの数回しかありませんが、言われてみればたしかにそうかも・・・。
 ちょっと韓国サイトでアパートの間取り図(下参照)を見てみたら、これまたな~るほど、でした。

    


※[2011年4月14日の追記] 2010年9月、ソウル近郊の新都市のマンションにお住いの韓国人家庭を訪ねたら、廊下がありました。ダイニングからトイレや子ども部屋に行くには、廊下を通って行くという造りになっていました。

19世紀末まで、漢城の路上にはバラックが立ち並んでいた。
 国王の行幸(コドゥン.거둥)に際しては、その1週間前の予行演習の時に南大門通りのバラック建ての商店はすべて撤去される。しかし行幸の後は一夜で店は元通りに・・・。
 このことはイザベラ・バード「朝鮮紀行」にも記されていました。
 このバラック建ての商店を<仮家(가가.カガ)>といって、辞書を引くとこれが<가게(カゲ.店)>の語源だとか・・・。な~るほど、ですねー。
 当時の写真(下参照)を見ると、たしかに並んでますね。藁ぶきのバラック(초가집.チョガチプ)、「朝鮮紀行」でいうところの<屋台店>が・・・。

   
     【この写真は本書にも「朝鮮紀行」にも掲載されています。

 砂本先生による次のようなコメントも少しおどろきました。
 「元来、漢城では敷地という概念が希薄で、土地に対し建築があるのではなく、建築に対し土地が付属している感じだった。・・・・道路境界線についても似たような感覚があり、・・・・商人の思うままに道路にまで商店建築が「浸食」していくのである。・・・・また、選挙した「道路」を私有地の如く転売することもあったという。」

 ・・・こうした仮家の建築が禁止されたのは1890年代半ばで、それによる都市景観の変化については「朝鮮紀行」にも記されています。

終戦後、南山の朝鮮神宮は朝鮮人により破壊されたのではなく、日本人神官が<昇神の儀>を行って神を抜いた後、9月から解体を初めて、10月8日神官自らが奉焼した。・・・これについては、「秘録 大東亜戦史 朝鮮篇」で森田芳夫という人が少し書いてましたね。

鍾路の交差点にある普信閣について詳しく書かれています。1399年現在の仁寺洞の入口付近に建てられて以来何度も焼失・再建を繰り返し、現在のものは前の普信閣が朝鮮戦争で焼失した後1979年再建したもの。
 朝鮮時代後期は夜8時にここの鐘が鳴るのを境に男たちは家に引きこもり、反対に昼間は家にこもっていた女性が家から出て遊んだり友人を訪ねたりしたということです。
 ・・・これはイザベラ・バード「朝鮮紀行」に書かれていることで、この本でもそのまま引用されています。このように男女の外出時間を分けたのは、儒教の教えによって男女がむやみに顔をあわせないようにした、ということです。

    
 【本書にも掲載されている「かつての普信閣」ですが、いつ頃のものなのか不明。】

 「図説 ソウルの歴史」については、他にもいろいろ注目した記事があるのですが、もう十分すぎる字数になってしまったのでここまでにしておきます。
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[韓国の囲碁] 棋士たち、アジア大会代表チーム入りをめざして熱い戦い

2010-05-24 18:23:56 | 韓国の文化・芸能・スポーツ関係の情報
 いやー、「西原理恵子の人生画力対決①」(小学館)、すっごくおもしろいなー、なんて読みふけっていた結果、昨日upするつもりだった記事が今日にずれ込んでしまいました。

 韓国では、今高校野球大会中で最も歴史のある第65回青竜旗大会の真っ最中。主催する「朝鮮日報」のサイトによると今日と明日が準々決勝。

 よく拝読している「犬鍋のヨロナラ漫談」の記事等々にもあるように、韓国で野球部のある学校は全国で53校。4000校以上の日本と比べると2ケタ違います。(張本さんが以前TVで嘆いてました。) しかし8つの全国大会が乱立。ほとんど野球オンリーの、プロ選手志向の選手たちといえどもキツイでしょうねー。

 ・・・とここまで入力しておきながら、実はこれからが本題。
 高校野球と逆に、韓国の方が日本に比べて裾野が2ケタ広い(?)が囲碁の世界。
 以前「韓国語ジャーナル」23号で洪マルグンセムさんが語ってましたが、あ、日本で活躍しているアマ棋士ですが、(えっ最近プロになったの? えっっ4月に洪清泉に改名したの? えっっ11歳でプロ棋士になった故・藤沢周行名誉棋聖の孫娘・藤沢里菜さん洪道場出身なの?)
 彼によると韓国の囲碁道場(碁会所・囲碁教室)の多さはたしか(不確か)日本と2ケタ違うそうです。とくに少年が多いようですよ。

 そんな裾野の広がりを反映して、ウィキの国際団体棋戦の優勝国一覧をみると、2000年以降の韓国優勝回数は中国と同数の21回。わずか2回の日本を圧倒的に凌駕しています。
 個人戦の方は、やはり2000年以降で韓国は37回で中国の17回を圧倒しています。中でも李世乭(イ・セドル.이세돌)の13回、李昌鎬(イ・チャンホ.이창호)の8回は抜きんでています。ちなみに日本は4回だけで、その顔ぶれも王立誠趙治勲張栩(2回)と、これで日本代表って・・・。

 囲碁といえば、今年11月中国・広州で開かれるアジア大会(아시안게임)、囲碁が初めて正式種目となりました。「え?え?え?」という感じですが、<囲碁は頭脳のスポーツ>という認識が広まっているそうです。チェスは前回のドーハ大会から採用で、今回は囲碁とともに中国将棋も採用されました。
囲碁は団体戦の男子(5人制)と女子(3人制)、男女が交互に打つ混合ダブルスの3種目が行われるとのことです。

 アジア大会は、プロ棋戦のように巨額の賞金が出るわけでもなく、日程もハードですが、「朝鮮日報」の記事によれば韓国の棋士たちは非常に強い意欲をみせているとか・・・。
 その大きな理由としてあげられているのが兵役免除。2年前から条件が厳しくなって、今はアジア大会金メダルで免除特例が受けられます。(オリンピックは銅メダル以上。) 2年間の空白はプロ棋士にとって大きく、兵役を済ませていない(←미필.未畢という)多くの棋士は何とかチーム入りして金メダルをめざしたいところ。※兵役を終えたことは군필(軍畢)

 代表の選考は、プロ棋士240余人の5月のランキング20位が対象。13~20位が1次予選から、7~12位が2次予選から、3~6位が最終予選から出場して代表の座4つを争います。で、ランキング1・2位の李世乭・李昌鎬は予選なしで最初から代表入り確定。

 ところが、李世乭・李昌鎬を含め20人中9人はすでに兵役免除が確定しているのですが、彼らの大部分が兵役未畢者よりやる気になってるとか・・・。
 その理由というのが「国家代表になること自体が名誉!」というもの。ここらへんがやっぱり韓国らしいところですね。昨年の大ヒット映画、タイトルからして「国家代表」は冬季オリンピックのジャンプ競技チームの話だし、「私たちの生涯最高の瞬間」はアテネ五輪の女子ハンドボールチームの話だし、「田舎少女を金メダリストに育てた重量挙げコーチと、女子中重量挙げ部の奇跡の神話が始まる!」という「キングコングを持ち上げる」は・・・、少し違いますか? まあいいですか?

 というわけで、韓国棋士たちの意気込みが記事から伝わってきます。「朝鮮日報」自体もかなり熱くなっていて、別の記事をみると2014年の仁川でのアジア大会の種目に「囲碁はないのか!」と声を荒げています。

 ・・・で、日本チームの方はいかがあいなっているのでしょうね?
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