5月14~16日、「毎日新聞」のシリーズ「日韓併合100年 忘れ得ぬ人々」は、第3部として、終戦後樺太に取り残された朝鮮人の中で、韓国に帰国した人たちの現在を伝えています。
上~下の各内容はおよそ次の通りです。
→「日韓併合100年 忘れ得ぬ人々 第3部」 上 「「樺太」の3800人、韓国へ」
・・・・日本の敗戦後、残留を余儀なくされた樺太の朝鮮半島出身者。やっと90年代になって日韓両国政府の協力で韓国への永住帰国が始まり、今までに約3800人が帰国している。ソウル近郊の安山市の団地「故郷の村」には帰国者約800人が暮らすが、高齢で言葉や就職の壁は高く、サハリンの子や孫とは別れて住んでいるため孤独の影も漂う・・・。
→「日韓併合100年 忘れ得ぬ人々 第3部」 中 「戦時中の貯金を返して」
・・・・かつてサハリンの炭鉱などで働いていた朝鮮半島出身者(とその遺族)11人が郵便貯金などの払い戻しを求めた裁判で、東京地裁で今年中にも判決がでる見通し。なお、11人が現在住んでいる所はサハリン、韓国、日本に分かれる。
→「日韓併合100年 忘れ得ぬ人々 第3部」 下 「3世、半島は「留学先」
・・・・釜山の東西大で学んでいるサハリン生まれの韓国系ロシア人3世たちは、思い入れの深い祖父母たちの世代と違い、歴史の重みも感じず、前向きな考え方。
※「かつて樺太と呼ばれたロシア極東の島、サハリン」と「上」の冒頭にありますが、今も日本人の多くは樺太と呼んでいるんじゃないですか? <朝鮮人>ではなく<朝鮮半島出身者>と表記している点は、一般紙としては妥当でしょうね。
このシリーズの第1部については2月12日の記事、第2部については3月26日の記事でコメントしました。
後の方の記事で、第3部以降では誰をとりあげるのか予測してみましたが、みごとにはずれ。今回ははじめて無名の人たちへの直接取材が中心で、これでは当たらないのも無理はないでしょう。
ただ、「戦前~戦後という時代、日本と朝鮮・韓国という時代と国の間で翻弄された人生を歩まざるをえなかった人物である」という条件に照らせば、まさにぴったりあてはまります。
たまたま私ヌルボ、昨日ドラマ「英雄時代」の第17話をDVDを見ていました。時代は1944(昭和19)年です。戦況の悪化を背景に、朝鮮人の徴用も増えて行き、主人公のテサン等のところにも徴用令状が届きます。徴用をめぐる彼らの噂話の中で、「サハリンとかいう所へ行った人は皆死んで帰るとか・・・」という話も出てきました。
上記の「毎日新聞」の記事には「数万人の朝鮮半島出身者が炭鉱などで働いた」とありますが、ウィキの「在樺(ざいか)コリアン」の項目にあるように、数万人が南樺太へ出稼ぎや徴用により移住していたのです。
ところが、第二次世界大戦で日本が敗戦するとソ連が南樺太を占領し、米ソ引揚協定により樺太からの引き揚げ対象者は日本人に限定され、引揚者の選択もソ連当局が行うこととされて、樺太の日本人は日本に引き揚げていったのに対し、朝鮮人は帰国できず、現地に留まることとなったのです。
朝鮮人も帰国を希望していたにもかかわらず、ソ連としては、この朝鮮人の労働力が石炭、パルプ、水産業に重要な役目を果たしていたため、彼らの帰国を認めなかった、ということです。
樺太といえばもうひとつ。これもたまたま今読んでいる本が西牟田靖「僕の見た「大日本帝国」」(情報センター出版局.2005)。かなり話題になった本ですが、内容はというと、樺太・南北朝鮮・旧満州・台湾・かつて日本が統治した南洋諸島に、神社など往時の日本の建物を訪ねたり、昔を知る人と話をしたり、というもの。
【考察等があまり深くない分、イッキに読めます。】
著者がこのテーマを設定したきっかけが、2000年夏のサハリン旅行。当初は原付バイクで島を縦断するのが旅の目的だったが、現地で日本語や韓国語を話す人が多くいることに驚き、彼らと話し、また山の中腹にとり残されている鳥居を見る・・・、その体験が彼を旧大日本帝国へ向かわせたということです。
【樺太に今もとり残されている鳥居。】
アマゾンのレビュー等では「もっと勉強しろ!」等々厳しい評価もありますが、1970年生まれのフツーの日本人ということを思えば、その旺盛な行動力はマイナス分を補ってあまりある、とヌルボは思います。
この本については、いずれ改めて記事にするつもりです。
もとに戻ってこの「毎日新聞」のシリーズ第3部について。若い世代の多くが知らない歴史事実、それも日本やソ連という国に翻弄された人々(まさに<棄民>ですね)をとりあげた点で、いい記事だと思います。
上~下の各内容はおよそ次の通りです。
→「日韓併合100年 忘れ得ぬ人々 第3部」 上 「「樺太」の3800人、韓国へ」
・・・・日本の敗戦後、残留を余儀なくされた樺太の朝鮮半島出身者。やっと90年代になって日韓両国政府の協力で韓国への永住帰国が始まり、今までに約3800人が帰国している。ソウル近郊の安山市の団地「故郷の村」には帰国者約800人が暮らすが、高齢で言葉や就職の壁は高く、サハリンの子や孫とは別れて住んでいるため孤独の影も漂う・・・。
→「日韓併合100年 忘れ得ぬ人々 第3部」 中 「戦時中の貯金を返して」
・・・・かつてサハリンの炭鉱などで働いていた朝鮮半島出身者(とその遺族)11人が郵便貯金などの払い戻しを求めた裁判で、東京地裁で今年中にも判決がでる見通し。なお、11人が現在住んでいる所はサハリン、韓国、日本に分かれる。
→「日韓併合100年 忘れ得ぬ人々 第3部」 下 「3世、半島は「留学先」
・・・・釜山の東西大で学んでいるサハリン生まれの韓国系ロシア人3世たちは、思い入れの深い祖父母たちの世代と違い、歴史の重みも感じず、前向きな考え方。
※「かつて樺太と呼ばれたロシア極東の島、サハリン」と「上」の冒頭にありますが、今も日本人の多くは樺太と呼んでいるんじゃないですか? <朝鮮人>ではなく<朝鮮半島出身者>と表記している点は、一般紙としては妥当でしょうね。
このシリーズの第1部については2月12日の記事、第2部については3月26日の記事でコメントしました。
後の方の記事で、第3部以降では誰をとりあげるのか予測してみましたが、みごとにはずれ。今回ははじめて無名の人たちへの直接取材が中心で、これでは当たらないのも無理はないでしょう。
ただ、「戦前~戦後という時代、日本と朝鮮・韓国という時代と国の間で翻弄された人生を歩まざるをえなかった人物である」という条件に照らせば、まさにぴったりあてはまります。
たまたま私ヌルボ、昨日ドラマ「英雄時代」の第17話をDVDを見ていました。時代は1944(昭和19)年です。戦況の悪化を背景に、朝鮮人の徴用も増えて行き、主人公のテサン等のところにも徴用令状が届きます。徴用をめぐる彼らの噂話の中で、「サハリンとかいう所へ行った人は皆死んで帰るとか・・・」という話も出てきました。
上記の「毎日新聞」の記事には「数万人の朝鮮半島出身者が炭鉱などで働いた」とありますが、ウィキの「在樺(ざいか)コリアン」の項目にあるように、数万人が南樺太へ出稼ぎや徴用により移住していたのです。
ところが、第二次世界大戦で日本が敗戦するとソ連が南樺太を占領し、米ソ引揚協定により樺太からの引き揚げ対象者は日本人に限定され、引揚者の選択もソ連当局が行うこととされて、樺太の日本人は日本に引き揚げていったのに対し、朝鮮人は帰国できず、現地に留まることとなったのです。
朝鮮人も帰国を希望していたにもかかわらず、ソ連としては、この朝鮮人の労働力が石炭、パルプ、水産業に重要な役目を果たしていたため、彼らの帰国を認めなかった、ということです。
樺太といえばもうひとつ。これもたまたま今読んでいる本が西牟田靖「僕の見た「大日本帝国」」(情報センター出版局.2005)。かなり話題になった本ですが、内容はというと、樺太・南北朝鮮・旧満州・台湾・かつて日本が統治した南洋諸島に、神社など往時の日本の建物を訪ねたり、昔を知る人と話をしたり、というもの。
【考察等があまり深くない分、イッキに読めます。】
著者がこのテーマを設定したきっかけが、2000年夏のサハリン旅行。当初は原付バイクで島を縦断するのが旅の目的だったが、現地で日本語や韓国語を話す人が多くいることに驚き、彼らと話し、また山の中腹にとり残されている鳥居を見る・・・、その体験が彼を旧大日本帝国へ向かわせたということです。
【樺太に今もとり残されている鳥居。】
アマゾンのレビュー等では「もっと勉強しろ!」等々厳しい評価もありますが、1970年生まれのフツーの日本人ということを思えば、その旺盛な行動力はマイナス分を補ってあまりある、とヌルボは思います。
この本については、いずれ改めて記事にするつもりです。
もとに戻ってこの「毎日新聞」のシリーズ第3部について。若い世代の多くが知らない歴史事実、それも日本やソ連という国に翻弄された人々(まさに<棄民>ですね)をとりあげた点で、いい記事だと思います。