4泊5日の佐賀旅行からもう3週間。記録の方は初日の吉野ヶ里歴史公園から進んでいません。
で、今回がやっと2日目の有田です。
李参平が祖という有田焼、韓国オタクとしては当然すぎる見学地です。
佐賀駅からGW中の有田陶器市に合わせた臨時列車・快速有田陶器市号に乗ると、押し合うほどではないにしろ込んでまして、ちょっとしんどいなー、と思っていたら韓国語がすぐ近くから聞こえてくるではありませんか!
見ると、7・8人ほどの若い女性グループですよ。で、私ヌルボ、「韓国からいらっしゃったのですか?」(←韓国語)と問うと「はい」。「観光ですか?」→「いえ、留学生です」→「どちらの学校ですか?」→「ここです。佐賀の短期大学です」・・・とのことで、ヌルボ、きょろっと見回すと、引率の先生がいらっしゃいました。
挨拶&自己紹介を交わすと、佐賀女子短大の長沢雅春先生とのこと。
いやー、今回の旅行で何がラッキーだったといって、連日の好天にもましてこの長沢先生と出会ったことが一番の僥倖でしたね。
朝鮮総督府統治下のいろんな文化を研究されていて、韓国の大学に勤務されていたこともあり、当時の書籍等の資料をご自身多数収集したり、また韓国の図書館にある関係資料のデータベース化も進めていらっしゃるとか。
※帰宅後「近代日本と韓国・朝鮮半島」というサイトを拝見すると、その研究の一端や、先生のプロフィールが載せられていました。また、総督府は朝鮮人に「教育を施した」か「教育を低水準に抑えようとした」のか、<嫌韓>と<反日>の間の議論のネタにもなっている教育政策に関して、普通学校制度についての論考もネット上に公開されていました。
私ヌルボ、有田の町や有田焼について予習をほとんどしてなかったこともあり、東有田で下りて、学生のみなさんといっしょに長沢先生にご案内していただくことにしちゃいました。
有田陶器市はなかなかの賑わいでした。(上写真)
建物自体風格のある店がいくつもあり、主だった店を長沢先生に教わって入ってみました。深川製磁ですごく気に入ったティーカップがあったのですが、52,500円という値札を見て、今回は見送ることにしました。香蘭社でも、心の中で「うぉ~っ」と叫んだ洒落た花瓶だかがあったのですが、これも367,500円だったので悩むことなく今回は見送りました。
【 深川製磁の風格ある建物 】
陶山神社。えっ、ホントは「すえやま」なんですか? 「とうざん」も通称とあるから間違いではないんでしょうが・・・。
祭神が、応神天皇・鍋島直茂・李参平。朝鮮人技術者が、天皇とともに祀られるというのは、今の韓国の人からはどのように見られるかな、と思いました。
以前何かで、「朝鮮の側からみたら彼は裏切り者である」と読んだか聞いたかしたことがあったような・・・。しかし今いくつか韓国のサイトをのぞいてみるとそうでもないようです。
その中の1つ、「TOMO’s Travelog」というブログを読んでみると、以下のような記述がありました。
「伝えられるところでは、李参平は壬辰倭乱の後朝鮮に帰れる機会があったにもかかわらず日本に留まったという。士農工商の階級によって技術者がさげすまれるわが国に比して、日本に残るのが待遇が良いためだ。代々技術者をさげすむわが国の風潮が今日の陶磁器先進国の座を日本に譲った理由ではないかと、残念に思うばかりである。」
「陶祖李参平碑」(上写真)はこれまで写真で見たとおり。(大きくも小さくもなく、という意味。)
記念写真を撮る時、学生の皆さん歌なんか歌っちゃって楽しそう。ノリのよさそうな歌、何という歌かたずねると、ギャグマンのパク・ミョンスの「ネンミョン(冷麺)」とか。
※これも帰ってから探ってみると、昨夏MBCの「無限挑戦」でパク・ミョンスと少女時代のジェシカが歌ってヒットした曲で、「中央日報」のコラム「噴水台」にもとりあげたりしてました。
「冷麺」の歌、とりあえず聴いてみたい方は→コチラ。
学生さんに「チンダルレ(진달래.ツツジ)がきれいですねー」なんて話したら、「赤い花のものしかチンダルレといわない」とのこと。シロツツジのことは、えーと、何とかおっしゃってましたが、ちゃんとメモとってなくて、わかりません。「흰진달래(シロツツジ)」でネット検索するとちゃんとヒットするんですけどねー・・・。
陶山神社の社殿に行くと、鳥居から狛犬から欄干に説明板等々、ぜーんぶ陶器製。いやー、ハッハッハ。このこだわりは見上げたものです。(下写真)
※長沢先生は、「日本社会文学会」という学会の理事とのことです。そのサイト中の「機関誌「社会文学」総目次」を見ると、韓国・朝鮮関係の投稿も多く、それ以外にも惹かれるタイトルがいくつもあって、これまでおよそ学会などとは無縁に生きてきたヌルボも少なからず興味を覚えた次第です。
有田駅前で長沢先生と別れ、佐賀県立九州陶磁文化館へ。ここではとくに<柴田夫妻コレクション>に注目。江戸時代初期から幕末までの有田焼を時代順に並べていて、その変遷がよくわかりました。
【タコの足を図案化した蛸唐草は1750~80年代。いったい誰がこんなユニークな文様を考えだしたんでしょうね?】
いやー、暑い中、でかいバッグを抱えてずいぶん歩きましたが、実にみのりの多い1日でした。有田15:50発の松浦鉄道(やっぱり第3セクターね)に乗って伊万里でJR筑肥線に乗り換えて17:12に唐津着。時間的にもちょうどよかったですね。
★5月30日の付記
白いツツジの件、昨日韓国人女性と話す機会があったので聞いてみました。
すると「チョルチュク(철쭉)」という花の名が出てきました。さっそく電子辞書を引くと「クロフネツツジ」とあります。
また「ヨンサンホン(연산홍)」というのもあるそうです。
帰宅後ウィキペディア等で探ってみたら、クロフネツツジは薄桃色の大輪の花で、「ツツジの女王と呼ばれることもある」とのことですね。
ヨンサンホンは辞書になし。「燕山紅」かな、と見当をつけて韓国のサイトを見ると、本来は연ではなく영で、漢字は映だか霊だか暎だか迎だかいろいろあってわからず。
またチョルチュクとヨンサンホンの違いも、韓国人の間でもよくわからないようです。そういえば、日本人でもツツジとサツキ、そしてシャクナゲの違いがちゃんとわかる人がどれほどいるか・・・。
【クロフネツツジ(チョルチュク)】