→ イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む (予告編)
→ イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む(1) 虐殺される8ヵ月前の閔妃と会見。
今日は朝からさわやかな晴天。私ヌルボは横浜市立野毛山動物園に行ってきました。
目的は、サルでも見て優越感に浸り自信を取り戻そう、というのではなくて(優越感というより親近感?)、「アムールトラを見に行く」です。
朝鮮では昔から(文字通り「トラがタバコを吸っていた頃(호랑이 담배 먹을 적.昔々)」から)昔話や伝説によく出てくるおなじみの動物で、ソウル五輪の時にもホドリ(호도리)という名のトラがマスコットになってましたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/02/bf1cf7fcc3dd05e4181705d34b2f4723.jpg)
【ソウル五輪のマスコット<ホドリ>。もう22年経ったんですねー。】
トラを大別すると東南アジア方面にいるベンガルトラとロシア極東のアムール川、ウスリー川方面のタイガ(森林)1に棲息するアムールトラ。シベリアトラ等ともいわれます。
そして古来朝鮮半島にいたチョウセントラ(한국호랑이)も、そのアムールトラに含まれるのだそうです。
このチョウセントラ、今の韓国にはもちろん野生のものがふつうにいるわけではありません。ところがイザベラ・バード「朝鮮紀行」を読むと、彼女自身が襲われたり目撃したりしたわけではないですが、けっこういたようなんですねー。
・・・ということで、今回のテーマ。
[オドロキその2]19世紀末、朝鮮半島にはトラがたくさん(?)いた。
イザベラ・バードが朝鮮を訪れた頃、つまり日清戦争前後で、トラといえば思い起こされる人物が与謝野鉄幹。
彼は当時朝鮮に行き、「閔妃暗殺事件にも関与した」という説が韓国側から主張されたりもしています。
事件後、広島検察庁での裁定では事件当日のアリバイありということで彼は免訴になっています。
しかし1896(明治29)年刊行の歌集「東西南北」所収の「僑居偶題」という詩には「去年の夏のこのごろよ、われ韓山に官を得て、謀るところも多かりし、それも今更夢なれや、・・・」という一節もあったりして「何なんだ、この<謀るところ>というのは?」との疑念も起こらないでもないですが・・・。
その「東西南北」に、朝鮮の千仏山で詠んだ「尾上には、いたくも虎の、吼ゆるかな、夕は風に、ならむとすらむ。」のようにトラが詠み込まれている歌が収められています。(「尾上」は山の頂。)
「東西南北」と、翌年の「天地玄黄」で彼の<虎剣調>は世に知られるわけですが、私ヌルボは与謝野鉄幹の大言壮語癖、虚勢を張りたがる人となりからして、「夜トラの吼える声を聞く」なんてのもホラ話のように受け止めていました。
ところが「朝鮮紀行」を読むと、たとえば以下のような記述が・・・。
まず序章には、
「トラとヒョウはおびただしく棲息し、・・・(ビーバー、カワウソ、アナグマ、オオヤマネコ等々もあげられている)」
と記されています。
さらに各地をバード自身踏査する中では、次のような記述があります。
「漢江沿いの山々には、・・・傑出したけものはここでもやはり朝鮮全国の例にもれず、トラである」。
最初は彼女も懐疑的でしたが、たえず耳に入るうわさ話、数ヵ所で実際人や家畜がいなくなっている事実、人々の怖がりようを見聞きしたり、「元山のこぎれいな地域においてさえ、わたしの到着する前の日に少年と幼児がさらわれ、町を見下ろす山の斜面で食べられてしまったことから、わたしも信じざるをえなくなった」。
「たいへんな量の旅をする」という朝鮮人も「トラと鬼神がこわいので夜間は出歩かないが、・・・どうしても夜間に旅をしなければならない場合は、旅人たちが集まってちょうちんを揺らし、たいまつを振り、鉦(かね)をたたいて大声をあげながら道を行く。トラに対する恐怖はあまりに広く浸透し、中国のことわざが「朝鮮人は年の半分トラを狩り、あとの半分はトラが朝鮮人を狩る」と請け合うほどである」。
その他、高価なトラの毛皮を得るために、ワナを仕掛けて捕獲したトラは毒殺させるか餓死させる話とか、泊めてもらった宿で、トラが入らないように戸締りをしっかりしろと注意されたこと等々、トラに関する記述が随所にあります。
さて、ことほどさように100年ばかり前にはたくさんいたトラが今では(ほとんど?)いなくなったのはなぜでしょうか?
韓国版ウィキの「シベリアトラ」をみると、「日本の植民地時代の狩りと、朝鮮戦争による棲息地破壊によってトラやヒョウがほとんどいなくなった」とあります。
そして、「現在は北朝鮮の一部地域で、棲息していると発表された」とか、「1998年江原道でトラの足跡が発見され家畜が殺されていた」と、トラが生存しているという主張が提起された」ということです。
野毛山動物園に貼ってあったアムールトラの説明によると、野生のアムールトラは400~500頭くらいで、絶滅危惧種に指定されているとか。
最近のニュースでは、昨2009年、韓国政府はロシアから野生のトラをつかまえてきて、DMZ(非武装地帯)に放す(!)という計画を検討しているとのことでした。
また、韓国野生トラ・ヒョウ保護保存研究所というのがあって、<韓国トラを探して・・・>というリッパなウェブサイトも運営しているし、今も韓国人のトラに対する思い入れは熱いものがあるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/33/3d078557ad48a6b49dcb9a77b8d99455.jpg)
【韓国野生トラ・ヒョウ保護保存研究所のメンバーは植民地時代の日本人のトラ狩りに対する抗議行動もしてます。2006年3月日本大使館前。】
さて、野毛山動物園のアムールトラですが、隣りのオリのライオンが来園の幼稚園児等の目の前に堂々たる姿を現していたのに対して、トラの方は寝所で体を丸くして惰眠をむさぼり続けるばかり。
私ヌルボも、大した写真は撮ることができませんでした。
たしかに東南アジアのトラに比べて毛色が白っぽく、寒さに対応して毛が長いというのは確認しましたが・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f4/c0aca07dfcb1d1653a45dcd6491b29fd.jpg)
【オリの奥で惰眠をむさぼるアムールトラのメイメイ。】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/87/bd53fe5437ac836106405b25e3ddffb9.jpg)
【アムールトラの説明。世界でいちばん大きいトラです。】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/94/c0a4579f9b224e01ea1c46511ebb83db.jpg)
【メイメイからは想像もつかないチョウセントラの雄姿。】
→ 関連記事<チョウセントラの過去と現在> ①
→ イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む(1) 虐殺される8ヵ月前の閔妃と会見。
今日は朝からさわやかな晴天。私ヌルボは横浜市立野毛山動物園に行ってきました。
目的は、サルでも見て優越感に浸り自信を取り戻そう、というのではなくて(優越感というより親近感?)、「アムールトラを見に行く」です。
朝鮮では昔から(文字通り「トラがタバコを吸っていた頃(호랑이 담배 먹을 적.昔々)」から)昔話や伝説によく出てくるおなじみの動物で、ソウル五輪の時にもホドリ(호도리)という名のトラがマスコットになってましたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/02/bf1cf7fcc3dd05e4181705d34b2f4723.jpg)
【ソウル五輪のマスコット<ホドリ>。もう22年経ったんですねー。】
トラを大別すると東南アジア方面にいるベンガルトラとロシア極東のアムール川、ウスリー川方面のタイガ(森林)1に棲息するアムールトラ。シベリアトラ等ともいわれます。
そして古来朝鮮半島にいたチョウセントラ(한국호랑이)も、そのアムールトラに含まれるのだそうです。
このチョウセントラ、今の韓国にはもちろん野生のものがふつうにいるわけではありません。ところがイザベラ・バード「朝鮮紀行」を読むと、彼女自身が襲われたり目撃したりしたわけではないですが、けっこういたようなんですねー。
・・・ということで、今回のテーマ。
[オドロキその2]19世紀末、朝鮮半島にはトラがたくさん(?)いた。
イザベラ・バードが朝鮮を訪れた頃、つまり日清戦争前後で、トラといえば思い起こされる人物が与謝野鉄幹。
彼は当時朝鮮に行き、「閔妃暗殺事件にも関与した」という説が韓国側から主張されたりもしています。
事件後、広島検察庁での裁定では事件当日のアリバイありということで彼は免訴になっています。
しかし1896(明治29)年刊行の歌集「東西南北」所収の「僑居偶題」という詩には「去年の夏のこのごろよ、われ韓山に官を得て、謀るところも多かりし、それも今更夢なれや、・・・」という一節もあったりして「何なんだ、この<謀るところ>というのは?」との疑念も起こらないでもないですが・・・。
その「東西南北」に、朝鮮の千仏山で詠んだ「尾上には、いたくも虎の、吼ゆるかな、夕は風に、ならむとすらむ。」のようにトラが詠み込まれている歌が収められています。(「尾上」は山の頂。)
「東西南北」と、翌年の「天地玄黄」で彼の<虎剣調>は世に知られるわけですが、私ヌルボは与謝野鉄幹の大言壮語癖、虚勢を張りたがる人となりからして、「夜トラの吼える声を聞く」なんてのもホラ話のように受け止めていました。
ところが「朝鮮紀行」を読むと、たとえば以下のような記述が・・・。
まず序章には、
「トラとヒョウはおびただしく棲息し、・・・(ビーバー、カワウソ、アナグマ、オオヤマネコ等々もあげられている)」
と記されています。
さらに各地をバード自身踏査する中では、次のような記述があります。
「漢江沿いの山々には、・・・傑出したけものはここでもやはり朝鮮全国の例にもれず、トラである」。
最初は彼女も懐疑的でしたが、たえず耳に入るうわさ話、数ヵ所で実際人や家畜がいなくなっている事実、人々の怖がりようを見聞きしたり、「元山のこぎれいな地域においてさえ、わたしの到着する前の日に少年と幼児がさらわれ、町を見下ろす山の斜面で食べられてしまったことから、わたしも信じざるをえなくなった」。
「たいへんな量の旅をする」という朝鮮人も「トラと鬼神がこわいので夜間は出歩かないが、・・・どうしても夜間に旅をしなければならない場合は、旅人たちが集まってちょうちんを揺らし、たいまつを振り、鉦(かね)をたたいて大声をあげながら道を行く。トラに対する恐怖はあまりに広く浸透し、中国のことわざが「朝鮮人は年の半分トラを狩り、あとの半分はトラが朝鮮人を狩る」と請け合うほどである」。
その他、高価なトラの毛皮を得るために、ワナを仕掛けて捕獲したトラは毒殺させるか餓死させる話とか、泊めてもらった宿で、トラが入らないように戸締りをしっかりしろと注意されたこと等々、トラに関する記述が随所にあります。
さて、ことほどさように100年ばかり前にはたくさんいたトラが今では(ほとんど?)いなくなったのはなぜでしょうか?
韓国版ウィキの「シベリアトラ」をみると、「日本の植民地時代の狩りと、朝鮮戦争による棲息地破壊によってトラやヒョウがほとんどいなくなった」とあります。
そして、「現在は北朝鮮の一部地域で、棲息していると発表された」とか、「1998年江原道でトラの足跡が発見され家畜が殺されていた」と、トラが生存しているという主張が提起された」ということです。
野毛山動物園に貼ってあったアムールトラの説明によると、野生のアムールトラは400~500頭くらいで、絶滅危惧種に指定されているとか。
最近のニュースでは、昨2009年、韓国政府はロシアから野生のトラをつかまえてきて、DMZ(非武装地帯)に放す(!)という計画を検討しているとのことでした。
また、韓国野生トラ・ヒョウ保護保存研究所というのがあって、<韓国トラを探して・・・>というリッパなウェブサイトも運営しているし、今も韓国人のトラに対する思い入れは熱いものがあるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/33/3d078557ad48a6b49dcb9a77b8d99455.jpg)
【韓国野生トラ・ヒョウ保護保存研究所のメンバーは植民地時代の日本人のトラ狩りに対する抗議行動もしてます。2006年3月日本大使館前。】
さて、野毛山動物園のアムールトラですが、隣りのオリのライオンが来園の幼稚園児等の目の前に堂々たる姿を現していたのに対して、トラの方は寝所で体を丸くして惰眠をむさぼり続けるばかり。
私ヌルボも、大した写真は撮ることができませんでした。
たしかに東南アジアのトラに比べて毛色が白っぽく、寒さに対応して毛が長いというのは確認しましたが・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f4/c0aca07dfcb1d1653a45dcd6491b29fd.jpg)
【オリの奥で惰眠をむさぼるアムールトラのメイメイ。】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/87/bd53fe5437ac836106405b25e3ddffb9.jpg)
【アムールトラの説明。世界でいちばん大きいトラです。】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/94/c0a4579f9b224e01ea1c46511ebb83db.jpg)
【メイメイからは想像もつかないチョウセントラの雄姿。】
→ 関連記事<チョウセントラの過去と現在> ①