愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

疲れ果ててシェラにシンクロできた夜

2012-01-25 21:58:52 | がんばれ、シェラ!

☆去年から引きずるこの憂い
 帰宅すると、シェラが玄関に面した廊下で寝ていた。向こうを向いているのでぼくの帰りがわかってない。もう音で反応できない耳になっているからだ。ぼくが靴を脱いでいるともぞもぞ動きはじめ、やがて頭(こうべ)を返してぼくに目を向けたのは、たぶん、嗅覚がまだ健在だからだろう。

 「シェラ、もう疲れたよ」
 ぼくは珍しく弱音を吐いていた。シェラの愛情たっぷりのキスを受けているうちに張りつめていた気持ちが一気に萎えた。
 「シェラ、ありがとう」
 シェラの首を抱きしめて、ぼくはもう一度シェラにささやいた。今日という日の疲れがぼくの体内で一気に澱んだ。

 日本という国にとって辛い年だった去年2011年は、ぼくにとっても身近に哀しみがあふれた一年だった。せめて、2012年は喜び多い一年になってほしいと年頭に願ったものだが、どうやらそうもいかないらしい。仕事の上では年明けから波乱の連続である。悪いことは重なるものだという真理を突いた「マフィーの法則」の例を挙げるまでもなく、こんなこともあるのかと唖然とするような逆風の連続である。


☆疲労困憊したおかげで…
 一難去ってまた一難という綱渡りのような中、落ち込みそうになるぼくにとってシェラが奇蹟的な生命力を見せ、生き永らえてくれているのがせめてもの救いといえる。悪いことばかりじゃない。シェラが励ましてくれていると……。そして、日々の勇気になっていた。だが、さすがに今日のぼくは疲れ果てた。仕事での理不尽な成り行きからの疲れである。
 
 家に戻り、シェラの思いやりあふれたやさしいキスと、ルイの乱暴な甘噛み攻撃を受けても、どんよりとした疲れが身体の芯から抜けていかない。この感覚にシェラのけだるそうな様子が重なる。疲労困憊したおかげでぼくははからずもシェラにシンクロできたのかもしれない。
 
 ただ、シェラの身体の辛い感覚をぼくも共有することで、彼女が楽になるのならこれにまさる喜びはない。しかし、今夜はふたりしてどんよりとした感覚の夜を迎えただけだった。
 それでもシェラにシンクロできて幸いである。


雪の上のシェラらしからぬ歩き方

2012-01-24 22:49:29 | がんばれ、シェラ!

☆雪の上で転がって遊ぶ 
 雪が降るという予報を聞いたとき、「積もってくれ!」と願った。シェラのために雪が積もってほしかった。その雪を期待して今朝はいつもより少し早くベッドを出た。毎朝の起床時刻である午前6時にはシェラとルイをともなって外へ出ていた。東の空の茜色がきれいだった。日の出の時間が早まったような気がする。

 雪は残っていたが思ったほどではない。濡れて凍ったアスファルトの路面を歩くと、踏みしめる度にバリバリと音をたてる。油断すれば滑って転びそうなのに雪がほとんど見えないことに失望しながらも、いつもどおりの方角へと歩き出す。

 雪の上でかけまわっていたころのシェラを思い出す。「犬は喜び庭かけまわり……」の歌詞(小学唱歌『雪』)そのままに、雪が降るとシェラは喜んでかけまわり、積もった雪に背中をゴロゴロして喜んだものだった。そんなシェラを、ぼくは心からの幸せを感じつつ眺めていた。
 
 春が近づいても東京に雪が降らない年は、わざわざ富士山あるいは八ヶ岳の山裾の、道端などの残雪を求めて出かけたていた。わずかな雪でもシェラの喜びは爆発して、しつこく身体をなすりつけていたものだ。

 雪を手にすくい、ゆるく丸めて投げてやると口で器用にキャッチする。崩れた雪がパア~っと顔にかぶさる。それを嫌がらず、もっと投げてと吠えるから、また雪玉をシェラの顔めがけて投げてやる。そうやって時間の経つのも忘れて遊んだ日も一度や二度ではない。


☆せめてもう一度…… 
 期待した雪は目の前になかったが、それでもシェラは立ち止まらず、散歩コースをたどりはじめた。わずかであっても所どころの雪の痕跡がシェラを元気づけてくれたらしい。50メートルほど先の道端の土の上に積もった雪が消えずに残っていた。ほんの半畳ほどの面積の雪原にはまだ誰も入っていない。シェラがにおいを嗅ぎ、ルイが嗅いだ。
 
 シェラはもう転がって喜ぶ体力は残っていなかった。雪にはしゃぐ気力も失せていた。それでもここまで歩いてくれたことがうれしかった。今朝は珍しくウンコも出手の帰り道、アイスバーンに滑らないようにそろそろと歩くシェラがぼくには寂しかった。
 「シェラ、おまえらしくない歩き方だよなぁ……」

 そして、エントランス近くでシェラは吐いた。固形物はなく、薄い胃液と水だった。
 衰弱が進めば吐くようになるのも予測しており、吐き気止め薬を何錠かもらっている。吐瀉物を持参した水で流し、シェラを疲れさせないようにその場に置いてクレートを持ってきて入れた。
  
 今朝もそのあと、シェラを残し、ルイだけを連れて5分ほどだが散歩した。ルイは雪にはしゃぐ。少しでも雪が積もっている場所へくると走りまわって喜んだ。
 シェラがまだ外の散歩ができるうちに、もう一度くらい雪が降ってほしい。多くを望みはしないけど、路面が真っ白になるくらい積もってほしい。丸めた雪をシェラの顔に投げてやりたい。口でキャッチはできなくても、きっと、喜んで受けてくれるだろう。
 
 せめてもう一度、冬らしい雪がほしい。


シェラが安らかに旅立てるように

2012-01-23 21:54:55 | がんばれ、シェラ!

☆もう朝ごはんが食べられない
 せめて桜の季節まではシェラにがんばってほしいとの気持ちをいだきつつ、いつ、シェラが逝ってしまっても、もはやしかたないとの覚悟も忘れていない。それほど、シェラの身体はダメージを受けているはずだ。
 
 ここへきて朝のご飯を食べなくなってしまったのもその兆しのひとつだろう。形だけにおいを嗅ぐが、まったく口をつけようとしない。わずかな量の朝ご飯がまるまる残っている。ひと口でもなんとか食べさせようと家人がそれなりに工夫し、手間をかけて用意したエサである。食べなくなったのではなく、食べられなくなっているというほうが妥当だと、シェラを見てそう思う。

 ぼくが「もうやめておけ」というのに、家人はWDというドライフードをエサに少し混ぜている。このWDは肥満のわんこたちに与える医療食で繊維分がたくさん入っている。お医者さんからも、「もうやめておきましょう」といわれたWDに家人があえてこだわっているのは、シェラに便秘の苦しみをさせたくないからのようだ。

 朝のエサを食べなくなったのと呼応して、この数日間、朝はウンコが出ていない。食べる量が減っているのだから当然といえば当然だが、午後あるいは夕方の散歩ではなんとか少し出てくれているらしい。
 昨日のエントリーにも記したが、体重は目立って減っていない。だが、顔は日を追ってやつれていく。どれだけやつれたかは毎日のように写している写真でわかる。写真はなんとも残酷である。

 シェラの体調は、朝の起き抜けしばらくは低迷してしまっているようだ。散歩から帰ってからもだるそうにして寝ている。エンジンのかかりがすっかり遅くなったとか、身体がなかなか温まらないなどという表現がピッタリする。
 エサを食べないシェラだが、薬は飲ませてやらなくてはならない。自分の朝食が終わると、ぼくは寝ているシェラの口を開き、喉のすぐ近くまで指を突っ込み、ふたつの錠剤を入れてやる。シェラはだるそうにして逆らいもせずにぼくの意のままである。


☆崩れそうになる平静さ
 毎晩、ぼくが家に帰ると、シェラは迎えに出てきてくれる。朝とは打って変わってキラキラした目がぼくを見上げている。「うれしい!」という気持ちのこもった目である。
 ひとしきりぼくの顔を舐める「お帰りなさい」のセレモニーが静かに続く。ぼくもシェラの首を抱き、しばらく頬ずりをしてこたえる。立っているのだって楽ではないはずなのにシェラはぼくのなすがままにじっとしている。
 
 濃密に感じるシェラの体温にぼくは癒されていく。一日の疲れがたちまち消え去る。シェラから伝わってくる温もりを感じるだけで目頭が熱くなってくる。「幸せだよ。おまえを愛してる。がんばろうな」と声をかけて、今日もシェラと過ごせるうれしさを噛みしめる。

 ぼくとシェラは17年間、一緒に生き、一緒に老いてきた。いつの間にかぼくを追い越したシェラが、いまはぼくを残して先立とうとしている。ずっと覚悟してきた宿命の無慈悲な結末をぼくたちはまもなく迎えるわけだ。
 いま、ぼくや家人にとってなにが辛いかというと、けんめいに生きようとするシェラの姿を、永別への悲しみや憐憫を押し殺し、心の平静を保ちながら直視していかなくてはならないことである。

 それは容易な精神力ではなく、いつ崩れてしまってもおかしくないほどのもろい安定である。だが、ぼくたちは耐えていく。去りゆくシェラを心配させないように、シェラが心安らかに旅立てるように……。
 

これを奇蹟と呼ばずして

2012-01-22 23:55:12 | がんばれ、シェラ!

☆どっこい、まだまだ生きてやる! 
 シェラの生命力のすごさにはただただ驚くばかりである。
 この週末にシェラが急変してしまうのではないかというぼくの心配は杞憂に帰した。土曜日に会社の行事があって、日帰りとはいえ東京を離れるのでシェラのことを気にしながら毎日を送ってきた。だが、シェラはたいした変化も見せずにしっかり生きている。
 
 こんなうれしいことはないはずなのに、正直なところぼくは戸惑っている。ふと気がゆるんだ瞬間にシェラがあっけなく死んでしまうのではないかと恐れたのである。だから、戸惑っているというよりは油断すまいと気を引き締めているといったほうが妥当なのかもしれない。

 間違いなく首の癌病巣もしぼんでいる。癌のために呼吸が苦しくなるような兆しはない。食道を圧迫していると感じることもない。うしろ足――とりわけ左の足が弱っているのは否めない。あとは、その日にもよるが、朝のご飯が食べられなくなっている。食欲がないのだろう。

 だが、午後、あるいは夜になると食欲が戻ってくる。好きなものだと貪るように食べる。無味乾燥なドッグフードなど、どのように変化をつけてやってもおいしくなんかないのだろう。しょせんは生存のための食餌に過ぎない。シェラもすっかり口がおごってしまっているのだから……。


☆弱っているはずの足で傾斜地を登る 
 今朝、薬も切れてしまったことだしというので病院へ連れていった。体重は20.58キログラム。ほとんど減ってない。それでも多少痩せたのと季節が冬というのがシェラの生命力の復活にひと役買ってくれているのかもしれないと先生も肯定的に認めてくださった。 腎臓の機能が落ちていてもそれなりに順応しているのだろう。鶴間公園で出逢った方が教えてくださったとおりになっている。 


 これこそが奇蹟ではないだろうか。2012年という新しい年をともに迎えることができるだろうかとヤキモキしたけど、いまはともに桜の季節を迎えようと目標を先に置くことにした。きっと迎えることができると信じようと思う。

 今日はぼくのほうが昨日の小旅行の疲れがあったので、南町田へ出かけた。アウトレットモールに隣接するパン屋さんのテラス席でけっこう本格的な美味しいフレンチのランチをいただき、グランベリーモールの駐車場へクルマを入れてモール内だけ散歩するつもりだった。

 だが、シェラが承知しない。やっぱり隣の鶴間公園へ向かって歩き出した。気力は健在だし、もし、歩き通せれば体力だってそれほど落ちていないという証になる。公園を横切り、外れの水場で水を飲み、高台の芝生広場へ向かう。そこへいくには斜面を登らなくてはならない。シェラは途中で足を止めようともせず、けんめいに歩いて広場へ着いた。


 シェラを生き永らえさせてくれているこの冬が終わると、この公園にも桜の季節がやってくる。そのときは、平日、会社を休んでシェラとここへこようと思った。ゆっくりと静かに桜を堪能しよう。17年間のシェラとの思い出を噛みしめながら生命の季節を感じるのだ。シェラの身体に起こっているこの奇蹟に感謝をこめて……。


目の前からシェラが消えてしまったら

2012-01-20 23:36:42 | シェラとルイの日々

この冬、はじめての雪の中の今朝の散歩だった

☆みんながストレスを抱えてる
 シェラの散歩は、従来どおりの朝と夕方以外に不定期ながら夜にも出ているが、今週になって昼前にもいきたがるようになったという。そんなことは想定内。むしろ、もっと手間のかかる介護も覚悟をし、準備も整えている。

 たとえば、外へ出るときに使わざるをえないマンション内移動用のクレートにシェラが乗れなくなったらどうするか。わずか20センチほどの高さながら、もうすでにシェラは容易に乗れなくなっている。意を決したように前足をかけるのだが、うしろ足がうまく動かない。われわれが助けて乗せてやっているが、それさえもできなくなるのは時間の問題だろう。

 だが、いま、手間がかかっているのはシェラよりもむしろルイのほうである。ぼくはシェラとルイを一緒に散歩に連れ出すが、二匹一緒の散歩はとてもじゃないが家人の手には負えない。ぼくもルイのリードを作業用ベルトにクライミングで使うカラビナで固定して連れているくらいだ。


シェラの大好きな雪が間にあってくれたのがなによりもうれしい

 日頃、一日の大半をケージ内に閉じこめられていること自体、ルイにはかなりのストレスになっているであろうことは容易に推察できる。だから、夜、ぼくたちの食事が終わってシェラも寝室や玄関前の廊下で寝ているときなどを見計らい、リビングのドアを閉じてルイのお気に入りのぬいぐるみなどを使って遊んでやる。

 うっぷんを晴らすかのようにルイのパワーが爆発する。この相手がけっこう疲れる。ぼくが手を抜きはじめると、ルイの狂ったような疾走がはじまる。部屋の中を全力で走り出すのである。いい加減なところで止めてやらないと倒れてしまうのではないかと心配になる。とにかく、すごい運動量である。

☆ワルガキわんことのバトル 
 そんな程度で妥協をしれくれるルイではない。ルイを置き去りにしてシェラだけを散歩に連れていったりと、何か気に入らないことがあるとケージの中の床をオシッコまみれにしたり、ウンコでぐちゃぐちゃにしたりする。さすがにぼくにはあまりやらなくなったが、家人に対してはときたまこの嫌がらせを派手にやってのける。

 ケージの中に置いてあるメッシュつきのトイレのふたも器用にストッパーを外してシーツを引きずり出し、バラバラにしてしまう。昨夜、新しいトイレを買ってきたが、難なくストッパーを外して狼藉のかぎりをつくしていた。ストッパーにガムテープを貼ってもまたたくまにきれいに外している。


ルイにとってはじめての雪はシェラとの最後の雪になるだろう

 たしかに、ルイの元気と明るさにどれだけ助けてもらっているかわからない。だが、「いたずら」を通り越した「わるさ」が頻繁になり、それがどんどん凶悪化(?)してくると、さすがに辟易してしまう。
 一昨日の夕方、家人から舞い込んだメールは、「夕飯にお寿司をとってもいいですか?」という確認だった。シェラの様子、ルイとのバトルが生々しく(?)書かれていた。

 そのとき、ぼくは東京ドームホテルの43階で暮れなずむ都心の美しい夜景を横目にミーティングの最中だった。ぼくの場合は、家から外に出てしまえばシェラやルイから解放される。終日、彼らと一緒にいる家人の苦労がどれだけのものかはぼくも休日に経験している。
 
 それでも、シェラが目の前から消えてしまったら、ぼくたちはその喪失感に打ちのめされてしまうだろう。そんなとき、ワルガキのルイがぼくたちの慰めになってくれるはずだ。いまはストレスの元凶になっているルイの「わるさ」でさえ、笑顔で眺めてやれるに違いない。