☆去年から引きずるこの憂い
帰宅すると、シェラが玄関に面した廊下で寝ていた。向こうを向いているのでぼくの帰りがわかってない。もう音で反応できない耳になっているからだ。ぼくが靴を脱いでいるともぞもぞ動きはじめ、やがて頭(こうべ)を返してぼくに目を向けたのは、たぶん、嗅覚がまだ健在だからだろう。
「シェラ、もう疲れたよ」
ぼくは珍しく弱音を吐いていた。シェラの愛情たっぷりのキスを受けているうちに張りつめていた気持ちが一気に萎えた。
「シェラ、ありがとう」
シェラの首を抱きしめて、ぼくはもう一度シェラにささやいた。今日という日の疲れがぼくの体内で一気に澱んだ。
日本という国にとって辛い年だった去年2011年は、ぼくにとっても身近に哀しみがあふれた一年だった。せめて、2012年は喜び多い一年になってほしいと年頭に願ったものだが、どうやらそうもいかないらしい。仕事の上では年明けから波乱の連続である。悪いことは重なるものだという真理を突いた「マフィーの法則」の例を挙げるまでもなく、こんなこともあるのかと唖然とするような逆風の連続である。
☆疲労困憊したおかげで…
一難去ってまた一難という綱渡りのような中、落ち込みそうになるぼくにとってシェラが奇蹟的な生命力を見せ、生き永らえてくれているのがせめてもの救いといえる。悪いことばかりじゃない。シェラが励ましてくれていると……。そして、日々の勇気になっていた。だが、さすがに今日のぼくは疲れ果てた。仕事での理不尽な成り行きからの疲れである。
家に戻り、シェラの思いやりあふれたやさしいキスと、ルイの乱暴な甘噛み攻撃を受けても、どんよりとした疲れが身体の芯から抜けていかない。この感覚にシェラのけだるそうな様子が重なる。疲労困憊したおかげでぼくははからずもシェラにシンクロできたのかもしれない。
ただ、シェラの身体の辛い感覚をぼくも共有することで、彼女が楽になるのならこれにまさる喜びはない。しかし、今夜はふたりしてどんよりとした感覚の夜を迎えただけだった。
それでもシェラにシンクロできて幸いである。