Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 印判手 山水文大皿

2021年05月09日 11時04分52秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 印判手 山水文大皿」の紹介です。

 これは、収集品が多くなってきて雑然としてしまい、何処にどの様な物があるのか分からなくなってきてしまいましたので、収集品を整理をしていた際に出てきたものです。

 この大皿は、実は、馴染みの骨董屋からプレゼントされた物なのですが、プレゼントされた時期を記録していませんでしたので、何時、いただいたものなのか分かりません(~_~;) 

 この収集品の整理は、平成8年に(今から25年前に)行っていますので、その前であることは確かなのですが、、、。

 私のコレクション記録によりますと、この大皿をプレゼントしてくれた骨董屋とは、昭和57~58年頃に(今から38~39年前に)盛んに取引をしていましたので、多分、その頃にプレゼントされたものと思われます。

 今、観察してみますと、江戸後期に志田窯で作られたもので、今では立派な江戸後期の古伊万里として通用すると思われます。しかし、当時は、一部に印判も使用されていますことから、明治頃の物と思われ、古伊万里とは認められず、売り物にはならないので、プレゼントしてくれたものと思われます(~_~;)

 

 

表面

 

 

表面の印判部分の拡大

樹木や家屋や柵の表現に印判を使用しています。

 

 

裏面

 

 

裏面の印判部分の拡大

宝文の表現に印判を使用しています。

 

 

生 産  地: 肥前・有田(志田窯)

製作年代: 江戸時代後期 明治後期~大正期

サ イ ズ : 口径;27.4cm  高さ;4.0cm  底径;14.0cm

 

 

 


追記 (令和3年5月9日)

 これをインスタグラムでも紹介しましたところ、echizenyaheitaさんから、

「これは、明治後期~大正期に銅版転写ではないでしょうか。」

とのコメントが寄せられました。

 echizenyaheitaさんは、印判にも詳しい方ですから、間違いないことかと思います。

 従いまして、この「染付 印判手 大皿」の製作年代を「明治後期~大正期」と訂正いたします。

 echizenyaheitaさん、ご指摘ありがとうございました。

 

 


 

追記(その2) (令和3年5月10日)

 その後、padapadatalentoさんからは、次のようなコメントが寄せられました。

「あくまでも私見ですが、非常に面白いものと思います。絵は平凡ですが細部は面白いです。縁はお得意の墨ハジキですね。家屋とその周辺部は銅版転写ではないでしようか? 例えば真ん中辺りの垣根一つを取りあげてみますと、これを型紙で作りますと真ん中が残りませんから作れないです。裏の模様も多分銅版転写ですね。印判でありながらダミは屋根当たりの薄い色と山の部分の濃いダミを上手に使い分けています。料治さんの本で初期の印判は試行錯誤の段階で、手書き以上に費用がかかったとありますが、これはそのようなものでしょうね。」

 また、このブログのコメント欄にも、遅生さんからは、

「不思議な皿ですね、初めてです。
最初は、普通の染付ではないのか、どこが印判?と思いました。
目をこらして見て、やっと印判が浮かんできました(^^;

これくらいなら手描きの方が早いかも。だとすれば、印判の目的は?
幕末~明治初にかけて、流行し始めた印判をおそるおそる使ってみたのでしょうか。
過度期の資料として、価値があるように思います(^.^) 」

とのコメントが寄せられているところです。

 このお二人のコメントから判断いたしますと、この「染付 印判手 大皿」の製作年代は「幕末~明治初」ということになるわけですが、ここは、製作年代をシビアに捉え、無難なところをとって、やはり、echizenyaheitaさんの見解をとり、「明治後期~大正期」ということにしておきます(~_~;)