今回は、「青磁 菓子鉢」の紹介です。
先日の7月14日に「粉彩 牡丹尾長鳥文 中皿」を紹介する際、古伊万里を本当に理解するためには、古伊万里だけを眺め、古伊万里だけを勉強していては不十分で、特に、中国古陶磁の勉強は不可欠と考え、その勉強のために中国古陶磁を何点か買い求めて所持していることを記したところです。
また、最近では、ブログネタも乏しくなってきてしまいましたことから、ブログネタにする意味でも、そうした所持品のうちの未紹介の何点かの中国古陶磁を紹介することにしたことも記したところです。
ということで、今回は、「青磁 菓子鉢」の紹介ですが、この菓子鉢は、昭和59年に(今から39年前に)買ってきたものです。
ところが、この菓子鉢、買った当座は、「これは中国の元時代頃に作られたものなのかな~」思って買ったようですが、その後、この菓子鉢につきましてはほとんど調べることも無く、間もなく押入れに入れっぱなしにしてしまい、ほったらかしにしてしまいました(><)
今日、何十年かぶりで押入れから引っ張り出してきたものの、「はて、これは、いったい、何時、何処で作られたものなのだろうか?」と、疑問のみが湧いてきてしまいました(~_~;)
それで、紹介は取り止めるかなと思ったところですが、「そもそも、この紹介は、ブログネタとするものなのだから、疑問がいっぱいのままで紹介してもいいのではないか」と考え直し、敢えて、疑問のままで紹介することといたしました。
ということで、この菓子鉢につきましての出自などにつきまして、お気付きのことがありましたら、ご教示、コメントをいただければ嬉しく思います(^_^)
青磁 菓子鉢
立面
見込み面
斜め上方から見た見込み面
底面
生 産 地 : 不明(中国?)
製作年代: 不明(中国:元時代?)
サ イ ズ : 口径17.5~18.0cm 高さ6.8~7.0cm 底径7.5cm
青磁の場合、発色が安定しないという難しさがありますので
結局のところ土とか釉薬感、雰囲気とかで判断するんでありましょうか。
外側だけ見ると高麗青磁(三島手)あたりを彷彿とさせるだけに余計に判りません・・・。
ここは遅生さんの登場を待ちましょう。
中国青磁の場合、可能な限りすべての面を、できるだけ分厚く、青磁釉を掛けるのが基本ですから、これだけ土見せが多く、青磁釉が薄いので、中国以外の産と思えます。
高麗、李朝の土ともちょっとちがうような。東南アジアあたりと考えてはいかがでしょうか。
なんとも取っ掛かりがないものですから、調べる気力もなくなり、押入れに入れっぱなしにしたのだと思います(~_~;)
この器は、「焼物は難しい、特に青磁は難しい」ということを私に教えてくれました。
私の頭の中では、焼物というと、中国大陸と朝鮮半島しか浮かばないものですから、その範疇でしか考えないので「?」になってしまうんですよね(><)
頭が硬いというか、柔軟性に欠けるんですね(><)
最近では、インターネットをしていて、もっと視野が広がり、東南アジアあたりでも、これに少し近い物を作っていたことを知るようになりました。
私も、この記事をアップしてから、そのことを思い出したところです。
どうも、年をとると、昔のことばかりにこだわり、柔軟性がなくなり、新しいものについていけなくなったようです(><)
多分、これは、東南アジアあたりで作られたものですね(^_^)
サジェスチョンありがとうございます(^-^*)
白い土に薄い釉薬がかけられていますが
、これは高麗でも中国でもなさそうでpadaも中国南方辺りで作られフイリッピンやインドネシアに輸出されたものではないかと考えます。
島々では、陶器は作られず輸入に頼っていたようですね。
「中国南方辺りで作られフイリッピンやインドネシアに輸出されたものではないかと考えます」か、、、。
私は、これまでのpadaさんのブログ記事を読んでいて、タイやベトナム辺りで作られたものなのかな~と考えたのですが、ちょっと違いますかね。
もっとも、タイやベトナムでは中国南方の影響を強く受けて焼いているのでしょうから、見方を変えれば、タイやベトナムの焼物は中国南方で作られた焼物とも言えるかもしれませんので、両者にはそれほどの違いは見られないのかもしれませんね(^_^)
ご教示、ありがとうございます(^-^*)
安南の交趾胡港辺りから出港したかもしれませんね?安南も昔は中国でしたね。
これインドネシアで何点か見たような気がします。
タイの青磁の場合は、普通は、見込み部分の蛇の目釉剥ぎはしないのですか。
それで、安南に絞られたわけですね。
また、安南も、昔は中国でしたから、それで、中国南部とされたわけですね。
この手の物を、インドネシアで何点か見たことがありますか。
日本ではあまり見かけないものですが、インドネシア辺りでは、結構、多く見られるものなんですね。
再度の詳しいご説明、ありがとうございました(^-^*)
お菓子がとても映える器だと思います。
口辺のうねり具合がいいですね。
この器が何者か分かるといいですね(^_-)-☆
お褒めいただき、ありがとうございます(^_^)
戦国時代の武将が、茶席用に使用したのだとすれば凄いものになりますが、そんなに古く招来されたものではないでしょうね(~_~;)
ただ、↑ のコメントにありますように、かなり古い時代に、安南(現:ベトナム)辺りで作られたようです。