今年は66回目の原爆忌です。6日には広島で、昨日9日には長崎で原爆犠牲者慰霊記平和念式典が開かれました。今年は東電の福島第一原発の事故があった関係で、いずれの式典でも原発とこれからのエネルギー政策について触れていました。
私たちはこれまで原子力発電は原子力の平和利用であり、原子爆弾とは本質的に異なるものだと思い込まされてきました。原子力は適切にコントロールすれば人類の未来に貢献するものであると教えられてきました。
しかしいま、福島原発事故が実際に起き放射能汚染が限りなく広がる状況を見ると、原発も原爆も同じものなんだという事実に思い至るのです。いったん原発のコントロールがはずれれば、それは原爆と同様に環境に放射能を撒き散らし、広大な地域を汚染するのです。
まして人間には放射能で汚染された環境を無害化できる技術はありません。高レベルの放射性物質は地下に埋めてしまうことぐらいしか解決策はありません。無害化するには数十万年というとほうもない時間がかかります。埋めてそれで終わりと言うことはありません。その管理を未来永劫続けることが求められます。
しかし現在までのところ日本にはそうした地層処分を受け入れる自治体はありません。いま日本はモンゴルに受け入れてくれるよう話を持ちかけているようですが、そもそも核のゴミを発展途上国にカネに物を言わせて押し付けるというやり方は釈然としません。
日本はこれまで広島、長崎と2回の原子力爆弾を経験しました。戦後は第五福竜丸がアメリカの水爆実験により被曝しました。その後東海村の再臨界事故を経て今回の東電福島原発事故と5回もの被曝を蒙っています。広島で長崎で、「やすらかに眠ってください。過ちは二度と繰り返しませぬから」と誓ったはずなのにもかかわらず。
原爆も原発も根は同じです。核兵器の完全禁止とともに原発廃絶へ向けて一歩踏み出し、エネルギー政策の抜本的転換へ向けて国民的議論を巻き起こす時に来ています。
私たちはこれまで原子力発電は原子力の平和利用であり、原子爆弾とは本質的に異なるものだと思い込まされてきました。原子力は適切にコントロールすれば人類の未来に貢献するものであると教えられてきました。
しかしいま、福島原発事故が実際に起き放射能汚染が限りなく広がる状況を見ると、原発も原爆も同じものなんだという事実に思い至るのです。いったん原発のコントロールがはずれれば、それは原爆と同様に環境に放射能を撒き散らし、広大な地域を汚染するのです。
まして人間には放射能で汚染された環境を無害化できる技術はありません。高レベルの放射性物質は地下に埋めてしまうことぐらいしか解決策はありません。無害化するには数十万年というとほうもない時間がかかります。埋めてそれで終わりと言うことはありません。その管理を未来永劫続けることが求められます。
しかし現在までのところ日本にはそうした地層処分を受け入れる自治体はありません。いま日本はモンゴルに受け入れてくれるよう話を持ちかけているようですが、そもそも核のゴミを発展途上国にカネに物を言わせて押し付けるというやり方は釈然としません。
日本はこれまで広島、長崎と2回の原子力爆弾を経験しました。戦後は第五福竜丸がアメリカの水爆実験により被曝しました。その後東海村の再臨界事故を経て今回の東電福島原発事故と5回もの被曝を蒙っています。広島で長崎で、「やすらかに眠ってください。過ちは二度と繰り返しませぬから」と誓ったはずなのにもかかわらず。
原爆も原発も根は同じです。核兵器の完全禁止とともに原発廃絶へ向けて一歩踏み出し、エネルギー政策の抜本的転換へ向けて国民的議論を巻き起こす時に来ています。