終戦記念日について考える(2)

2011-08-15 03:08:59 | プロフィール
前日のブログに書いた「昭和戦陣録」についてもう少し書いてみようと思います。この本は青いクロスの表紙で箱に入った全文230ページに及ぶ立派なものです。表題は「昭和戦陣録 滋野村」と墨書され「村会議長 大村忠男著」とされています。

このことからわかるようにこの本は単に有志によって編まれた本ではなく、当時の村議会議員22名、田口孝雄村長始め村の幹部8名、区の総代8名、一般から選ばれた編纂委員40名、計78名によって編集された公的な記録ともいえるでしょう。

この序文で「滋野村長 田口孝雄氏」は以下のようにその思いを綴っています。

「満州事変勃発より太平洋戦争終結に至るまでの十ヵ年の日本が歩んだ途、その批判は後世歴史家に任せるとするも、日本民族史上最大努力であり変化でもあった。

この特異の歴史の各頁についてわれわれ郷土滋野村の人々の中よりも直接参加し、百六十余の尊い人命が犠牲となりその外に七百名近くの若き人々が従軍された。われわれ村民は、講和締結を機とし、これ等の方々を慰労し、その努力を永遠に子孫に伝うるため、ささやかながら、ここに村議会の議決を経て『昭和戦陣録』を編纂して上梓した。

ここにこれを戦没の方々の霊前に供えそしてまた出征帰還の方々に贈って村民一同とともにその労に対し感謝を捧げたいと思う。各位××(判読できず)の編集不備を責めらるることなくその意を諒とせられて御高覧の上、先人の労苦を偲び、感謝の真心を捧げていただきたい。以って序とする」(原文は旧仮名遣い)


これに対して「滋野村遺族会長 滝沢好太郎氏」は下記のような序文を書いています。

「滋野村においては、村議会の議決により村経済多事なるにもかかわらず、多額の費用を以って近隣に未だ類例をみない『昭和戦陣録』を刊行された。これは満州事変より太平洋戦争に至るまでの本村出身者の戦没者ならびに出征帰還者の戦歴を登載したものである。

顧みれば終戦後7ヵ年、吾々のいとし子、最愛の夫たちが、護国のために、幾百千里離れた見知らぬ異境の果てに散って行ったのであるが、公には慰めの言葉一つなくまことに寂しい限りであった。

しかるに、本村においては、さきに盛大なる戦没者慰霊祭を挙行していただき、いままた、ここに温情あふるる記念と慰めを贈っていただき、万感新たに胸中に湧き、さぞかし地下の霊も満足のことと察せられ喜びにたえない。

ここに遺族会長として、滋野村のこの計画に感謝するとともに、感激の一端を綴ってあいさつとしたい」(原文は旧仮名遣い)


いずれも日付は1952年(昭和27)年8月28日となっています。文章中にもあるように日米講和条約の締結が1951年9月8日、その発効が1952年4月28日であり、「昭和戦陣録」はこの発効をまって刊行されたものです。

しかし、当時は戦争の暗い記憶を払拭し新生日本の建設に向けて歩みだしたばかりです。そんな時、あらためて戦争の記憶を呼び覚まし、一人ひとりの戦歴に想いを寄せるという行為はなかなかできることではなかったと思います。ちまたには傷痍軍人もあふれていたでしょうが顧みる人とてなかったのではないでしょうか。わが滋野村の先達たちはそんな中で戦争の「批判は後世史家に任せ」、従軍帰還者、戦没者を「慰労し、その努力を永遠に子孫に伝えるため」、昭和戦陣録を刊行したのです。

昭和戦陣録は「戦没者追想録」と「出征者追想録」に分かれ、それぞれ集落ごとに掲載されています。ちなみに私の父、若林平一郎はすでに亡くなって数年たちますが、以下のように記載されています。

陸軍歩兵上等兵 若林平一郎 大正2年2月10日生
中屋敷若林末作氏長男に生る。本郡長村青年学校教諭。
昭和19年5月12日金沢東部第49部隊に応召。
5月17日門司にて乗船、釜山より牡丹江郊外414部隊転属、
7月17日沖縄本島那覇市に上陸。台湾新竹台北等各地に転戦。
沖縄作戦において暗号手として直接間接に参加。
終戦後の自活農園を拡充して経営主任を務む。
中国捕虜収容所に入り米軍輸送船により浦賀に上陸、21年1月復員す。


これをみると私の父は満州、沖縄を経由し、終戦は台湾で迎えたものと思われます。満州や沖縄にそのままいたら戦争によって命を落としていたかもしれません。そうしたら私も存在しません。まさに紙一重のところで生きて帰って来ることができたのです。また終戦で捕虜になった後、自活農園を経営するなど、農業教師としての経験を生かした活躍をしているのは興味深いところです。

こうしたごく一般の兵士一人ひとりの戦歴まで事細かに記した文書はあまり類例はないのではないでしょうか。

昨今の平和教育の中で太平洋戦争に従軍した兵士が侵略者として顧みられないことは誠に残念に思います。戦争はどうあれその中で国のため郷土のためにせいいっぱい戦った兵士を慰労したこの滋野村の取組みに対して心から敬意を表します。

ちなみにアマゾンでは古書としてこの本を取り扱っているようです。

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