お、7月だ。 「それでは後半戦。いってみよー!」
今日はね、ちょいときっかけがあって朝から「the REDS」モードでして
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REDSはボーカル&ギターの大平太一が1984年ごろに3人で結成し、確かとあるバンドコンテストで優勝したかで音楽活動をスタート。1987年9月にシングル盤「Mountein Song/アフリカのハエ」でレコードデビュー
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すぐにデビューアルバムがリリースされるはずが、収録曲がいわゆるレコ倫に引っかかり延期。半年経った1988年にやっとこさっとこデビューアルバムが発売されたといういきさつがあります。
「RED」(1988年・キティレコード)
the REDSのデビューアルバム。4曲入りの1200円
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この頃はレコードからCDに移行している時代で、このアルバムはCDも発売されています(下の写真/CDのみ5曲収録)。
とんがってる曲、前向きになれる曲、幻影的な曲・・・好きだな、このアルバム
アルバム以前に発売されたデビューシングル「Mountein Song/アフリカのハエ」(1987年・キティレコード)とCD。
左の8インチシングル「ジュリエット・ゲーム」は、1987年に同名映画の主題歌となり、大平氏は音楽監督として参加。1シーンだけですがバンドマンとして画面にも出てきます
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また、同年8月に広島で開催された「ALIVE!HIROSIMA」コンサートに参加
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安全地帯、ツイスト、ハウンドドッグ、バービーボーイズ、白井貴子、南こうせつ、岡村靖幸など大御所や勢いに乗っているメジャーなミュージシャンたちと同じステージに立ち平和を訴えました。
メンバーチェンジやバンド名変更(→“マーキームーン”)を経て1991年に解散。 その後大平氏は音楽ディレクターとして多くのミュージシャンに携わり、アニメ「遊戯王」メインテーマなどの編曲を手掛け、またガールズバンドの「SCANDAL」をアマチュア時代から育て上げ、現在はキティパブリッシングで代表取締役を務めています。
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右は「ALIVE!HIROSIMA」のライブ盤。左はメジャーデビュー前の自主制作盤カセット。
さて、その大平氏。実は私の高校時代のクラスメート
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入学時よりギターの才能は花開き、私ら同学年とは組まずに演奏がうまかった先輩のバンドに引っ張られていき、体育館でのコンサートでは全校生憧れのギタリストとなり「太一のギターはスゲェ!」と大評判。一方で私が参加していたジャズ系の器楽部ではトランペットを吹き、時にはエンジニアとして文化祭での演奏をバックアップしていたっけ。
あ、そーいえば・・・私らが卒業する時には悪友のサックス吹きが「最後にやろうぜ!」と3年生バンド“バレマンおーらるえきさいたー”を結成。太一がギター、私もドラムで参加しローリングストーンズや「ひみつのアッコちゃん」をやりました
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さらに大学時代には私が在籍していたバンドと、すでに活動を始めていたREDSは原宿クロコダイルでも共演したこともあります。お~~~懐かし
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2001年に私が舞台「テニアン・アイランド」を作って上演した時には、太一はREDSの曲を快く提供してくれたっけ
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高校時代の私と大平氏
私が俳優活動を始めた直後、勢いに乗っていたREDSのライブを聞きに行き、終演後に太一と雑談を交わしていた中の彼の一言。
「もう後戻りはできないからな。俺もイタルも。」
私の俳優活動の原動力は、今でもこの言葉です