東日本大震災から4年。
私自身はボランティアどころか、何一つ目を向けている余裕もなく今日まで来てしまったような気がする。
今少し現実に目を向けて、そう、4年経ったのだなぁ・・・としみじみ思うのだけど、それも皆の思いとはちょっとずれているものであることは確か。
あのとき、紀南地方にも出された大津波警報。
第一報を聞いたのは海を眼下に眺める場所だった。
忘れもしない、長男が高専を卒業して寮を引き払うべく荷物を積んでいる真っ最中だった。
そのあと、海沿いを南下してその日仮免合格したての長女を自動車学校まで迎えに行って帰宅した。
その日から約2週間、盆と正月以来5年ぶりで家族5人そろって過ごした。
3月末、長男・長女それぞれ県外に巣立って、まず戻ってくることはないだろう!と確信に近いものをもっていた。
つい、先日まで!!
今年、正月の帰省を終えてからも入れ替わり立ち替わり面接や何やらで戻ってきていた。
その結果、二人とも社会人となって実家から通うことがほぼ決定。
来週、再来週に卒業式を終えて、雑務が済んだら荷物をまとめ、アパートを引き払って帰ってくる
今、引っ越しのために、伊勢、松山と走る予定をたてているところ。
それ以上に問題は、我が家の受け入れ体制が整っていない
4年前は寮から次の寮なりアパートなりへの引っ越しの仮住まいだったけど、今回は違う。
帰ってきたら数日後には二人とも入社、仕事が生活が始まる!
どうしたものか?!
寝る場所の確保さえできるのか?!
頭の中はグルグル、クラクラ
あれこれめまぐるしく思考している合間にふと、「あぁ、あれから4年が経つのだなぁ・・・」と感慨にふけってしまうのである。
震災とはかけ離れた思いで申し訳ないけれど、大学生として送り出したあと、ただただ突っ走るしかなかったから・・・
二人が戻ってきて、お互いの生活リズムに慣れるまでしばらくは大変だろうと思う。
梅が終わる頃には、もうちょっと周囲のことにも目を向けられる余裕ができるかなぁ・・・ちょっとだけ淡い期待をもっている今日この頃である。
いや、まずは現実!!
荷物置き場と化してしまった子供部屋を何とかせねば
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