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炭焼き母ちゃんの奮闘記
スローライフ・エコライフ・エンジョイライフ

9月11日

2011-09-11 22:31:36 | 日記・エッセイ・コラム

9月11日。
アメリカ同時多発テロから10年。
東日本大震災から半年。
そして、台風12号の記録的豪雨から1週間。
あと2時間弱・・・重苦しい1日だ。
忘れてはいけない。記憶にとどめておかなくてはいけないことばかりだと思う。

10年と言われてもそんなに月日が経ったようには思えない。
あっと言う間だった気がする。
今回の豪雨もそんな風に思い出すことになれるんだろうか・・・?

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川はまだ少し濁ってはいるものの、水量はグンと減って何事もなかったかのようにおだやかに流れてる。


情報

2011-09-11 18:40:31 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、旧村内放送で「本日午後6時15分、鮎川新橋から中辺路方面、国道311号線通行可能となりました」 と伝えられた。
復旧第一報、喜ばしい限りである。  

が、何か変! 何かおかしいやん!!
素直に喜べない、へそ曲がりな私。

良い知らせをいち早く伝えてくれるのは皆うれしいし、ちょっとでも復旧されていく前向きになれるような気がする。
でもなぁ・・・
何で!通行止めにするときは何1つ放送も連絡もしてくれなかったのだろう?!
5日朝、主人は普通に橋を渡って釜場へ仕事に出かけた。
数時間後、私が釜場へ向かったら橋の手前で「通行止め」。Uターンして、自宅前を通り過ぎて下流の橋を渡って家の前の対岸を走った。
2kmほどとは言え、放送があれば無駄な動きをせずにすんだのに・・・

田辺市街地に向かう道も同様。
4日夕方、走るだけ走って通行止め、Uターン。3~4kmのロス。
次女を学校へ送る時だったなら確実に遅刻だったろう。
これはヤバイと思って、走行可能かどうか確認のためにその他のルートを走った。

知人の話ではバス停でズ~っと待っていた人がいたそうな・・・
私自身も新橋たもとの崩落によりバスが途中までしか走っていないと知ったのは水曜日。
病院の待ち時間にNHKテレビの画面上のテロップを読んでだ。
テロップが流れているのを知ったのは火曜日洗濯の仕事場で。でも読んでいる間は無かった。
読んでも文字だけでは通行止めがどの道なのかわかりにくい。

FMラジオの情報は30分に1回5分程度。
広範囲の状況をわずか5分では得られる情報はかなり大雑把。
4日朝、停電中。頼りになるのは”ラジオ”のはずだけど・・・邦楽がのどかに流れているばかり(^_^;)
それ以外の電波が入りにくい我が家では情報ゲットならず(>_<)

田辺市は全国で8番目の大きな市。
大きすぎて情報が入りにくかったらしい。
それにしても・・・もう少し防災無線を利用するなりして、地域の人々に情報を流しても良さそうなもんだと思う。


台風12号の爪跡

2011-09-10 17:47:28 | 日記・エッセイ・コラム

世界史で”エジプト文明はナイル川が氾濫することによって肥沃な土地をもたらし、文明が開けた”と習った覚えがある。

文明が開けきった現代は、川が大暴れすることによって不便になり、電気・水道のありがたみを切に感じる。

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7日(水曜日)午前。鮎川新橋たもと。

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9日(金曜日)午後、我が家から約1km上流の崩落現場。
自衛隊等の協力もあって急ピッチで復旧工事が行われている。あと数日で通行できるようになるだろう。
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崩落現場より更に上流の橋桁。
子供達が小学生の頃、毎週末ここで泳ぎ、飛び込んでいたところ。
大きな石がゴロゴロと流されてきているし、木もひっかかっている。おまけに上から見る限りでも流れが変わっているのがわかる。
「ここで泳ぐの怖いやろうなぁ・・・」と長女が言う。

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我が家より下流の様子。
河原の至る所に根こそぎ引き抜かれたような木が横たわっている。

時間が経つにつれて被害状況がわかってきたところがある。
友人が写メで送ってきてくれた。
Photo_2

4日午後5時の中辺路町滝尻。赤いのは橋の欄干。
写っていないが、橋の左側に”あぶり鮎”のみずもとさんのお店がある。
うわさでは、1,5m浸水したとか言われている。
昨日の地方紙では、ご主人が掃除におわれているところが写真入りで載っていた。

一雨きたら、崩れる可能性のある危険な箇所がいくつもみつかっている。
特に危険な1つが釜場から1~2km下流。さっき前を走ったら金沢ナンバーの国土交通の車が道ばたに駐められて、近くには監視カメラが山をにらみつけていた。

これ以上の大きな被害が起きないことを願うばかりである。


近況報告

2011-09-07 12:17:15 | 日記・エッセイ・コラム

以前、”和歌山” 紀伊半島” は大阪の真下にあると知らない人が結構いるとテレビで言っていたことがあるが、今回の台風による被害で全国的に有名になったのではないだろうか?
那智勝浦、田辺市は特に。あまりうれしい話ではないけれど・・・

私の携帯のメルアドを知っている遠方の友人から『大丈夫?』 『必要な物は無いか?』 といったありがたいメッセージが送られてきている。
テレビを見る限りでは、田辺市イコール電話が通じていないし、かなりの被害ではないだろうかと心配して下さっている。
持つべき物は友!! ほんとうにありがたいことであるm(_ _)m

我が家は、4日(日曜日)の夕方には電気が復旧し、生活には支障なくなっています。
釜場も無事。ただ、伐採している山には途中の林道がぐちゃぐちゃで通れない状態らしく、公道が整備された後にしか手を付けてもらえるわけがなく、しばらくは山へは行けないらしい。

1km上流の崩落で国道が閉鎖されているために迂回路を通るため、下流500mほどの所にある橋で片側通行になり、ちょっと渋滞。
さらに田辺市内に通じる道が何カ所か崩落により閉鎖されたため、走れる道が限られてきて車が集中して渋滞がおきている。
市内へはかなり近道ができていたのに十数年前のルートに逆戻りゆえ、時間が掛かり、更に自然渋滞が起きやすくなっているから、出かけるのは今まで以上に必要最低限になっている。
それ故、次女は送迎はあてにせず、自転車登校している。

長女は、送迎バスに乗って白浜のホテルの清掃のアルバイトに出ている。
私は、電気も水の心配もなくパートの洗濯業務ができている。

テレビで報道されているのは大きな崩落現場であり、被害者が出ているところが主。
それ以外の小さな崩落はそこここで起こっており、通勤通学の便がかなり悪い。
ライフラインが復旧されていないところや、道路の閉鎖状況など、もう少し細かな情報が欲しいのだけれど・・・


2011-09-05 11:26:16 | 日記・エッセイ・コラム

今朝6時過ぎ、「もやが立ちこめて幻想的な風景や!」と言って、次女がわざわざ私を起こしに来た。
家の前を流れる富田川は国道の高さまで靄で覆われ、その向こうの山には所々霧がかかり確かに幻想的なちょっと涼しげな美しい朝の風景だった。
写真に収めておきたかったけど、大雨警報は解除されていないが高校は普通にあるので準備しなくてはいけない。見事な風景を目に焼きつけておいた。

約2時間後、長女がバイトに出かけた頃には靄も霧もすっかり消えて、見えるのは何本もの流木が打ち上げられたままの河原、水かさは減ったものの黄色みをおびた濁流。

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24時間前、昨日の朝の様子。
見ていて足がすくみそうになった。同じ川とは思えない。

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大きな木がどんどん流されていく。

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対岸の公園、水辺の楽校は遊具が川に浸かっている。
公園が出来て10年くらいだろうか? 初めて見る光景だ。

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我が家から1kmほど上流。
3日(土曜日)夜11時頃、崩落。国道いっぱいに土砂がかかって通行止めとなった。
同時に我が家を含めた集落一帯が停電。日曜の夕方に復旧した。

停電のため知らなかったが、台風12号は紀伊半島に大きな、大きな爪跡を残していったようだ。
心配していろんな所から、TEL、FAX、メールが届いた。
皆、無事です。
釜場もかなり雨が降り込んだらしいけれど、大丈夫です。

朝からヘリコプターがブンブン飛び交い、重機を乗せたトラックが奥へ向かって走っている。
どうかこれ以上の被害はありませんように・・・
1日も早く復旧できますように・・・