25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

中心と周縁の理論と脱皮

2016年11月10日 | 文学 思想

 ドナルド-トランプ。アメリカ。政府の中心にいたヒラリークリントン。中心からは物事が、よかれあしかれ、変わらない。変革のを目指すものは周縁から現れる。トランプは政治のど素人である。しかし、そのど素人に周縁の人達は一票を投じる。

 新しい変革は周縁から起きる。この変革の動きがただしいのかどうかはわからないが、とにかく、「現在の状況を変えてくれるだろう」と思った人が半分ほどいた。選挙人総どりの制度にささえられてもいたが、トランプが勝ったのである。

 日本にはチャンスがめぐってきた。自主独立のチャンスである。属国あるいは保護領とも呼ばれる日本がアメリカの顔色ばかりをみてないで、自主的に政治をすすめる大チャンスがきたのである。

 安部首相は慌てるようにトランプとの会談を設定した。せっかく「自分の国は自分で守れ」と言っているのに、「見放さないで」とでも言にいくのだろうか。放っておけばよいのにと思うが。

 日本の自衛力は世界で4位クラスである。現在の防衛費で自衛隊を災害救助隊にして、アメリカへの思いやり予算で、専守り防衛のために、日本に攻めこんできたら痛い目にあうぞ、というくらいの迎撃体制ができるというものだ。そして日本は侵略戦争はしないと堂々と言えばいいではないか。どの国ともうまくやっていきたい、とトランプも勝利宣言の時に言っていたではないか。

 トランプが選挙運動中に言ったことを逆手に取ってしまえばいいではないか。

 またとないチャンスがきているというのになあ、と思うことしきりだ。いつまでもへこへこしとるなよ、日米同盟は普遍的価値でもなんでもないよ、と言いたい。

 全国各地に、治外法人権の軍隊がいるなんておかしいではないか。きっと、日本、今が一番の腕のふるいどころである。

 僕と同じようなことを考えている人は結構多いのではないかと思うが、既存の政党に「今こそ脱皮だ」と言うものはいない。