25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

明日のある時代、明日のない時代

2016年11月23日 | 社会・経済・政治

 戦争が終わってからの数年は明日がわからないという時代があり、確かに、今日よりは明日はよくなる、と自然に思っている時代があった。土地を買えば上がり、今日金がなくても深刻に考える必要もなかった。現在はと言えば、土地や家を買っても維持管理、相続、取り壊しが目に浮かび、長く生きるようになった超老後というものをいやがおうでも考えなければならなくなった。つまり「明日がわからない」という質こそ違え、切迫はしていないが、ゆっくりと不安感が国民の間を漂っているように見える。

 高級車、高級時計。そんなものを買い求める人も少なくなった。車も中古車で上等であるという時代である。中古車販売業や古本販売業はリサイクルというよりは時間軸で言う、「共有」という発想から来ている。この時間軸共有も、空間的共有もシェアハウス、シェアカー、シェアバイク、シェア労働にまで及ぼうとしている。

 話は違うが、常識は実は常識ではなく、法律に規制によって縛られているから、常識だと思っている人も多いだろう。何を言いたいかと言えば、バスの運行である。料金をとってバス業をするには認可がいる。タクシー業をするにも認可がいる。バスには停留所があるという常識がある。タクシーは同時に乗ったものを客とする常識がある。

 タクシーは別の同じ方向にいく人を乗せていいはずだし、バスは大型、中型でもなく、ミニバスでもいいはずである。そして尾鷲の至るところをどこでも乗れて、どこでも降りれるようにすればいいはずである。それができない。ミニバスが20台ほど次から次へと走れば、実に便利のよい尾鷲社会ができることだろう。限界集落に住む人々は旧尾鷲町内に集まってくればよい。すでに熊野市の須野は十年も前から人口が二、三人となっている。多くの人はより便利な町に越して行ったのだ。そうなる尾鷲の浦村がある。今後十年の人口割合を勘定すればすぐにわかる話だ。

 人がいなくなった浦村は都市計画を導入し、大学生の分散型合宿場や、ミニシリコンバレーのように自宅でも都会の本社や支社、世界とやりとりができる住宅地域にしてもよい。小学校もこの小さな町ではひとつでよい。中学校も一つでよい。あまった学校は住居にすればよいと思う。

 今の尾鷲は「明日があるさ」という時代を通り過ぎてしまっている。商売に明日はなく、看護や介護にも明日はない。買い物の楽しみさえ、他所へいく。

 市長からも議員からも改革の主張がでてこない。出て来ないならば市民から聴取する方法だってあるはずだが、相変わらず、従来式の姿勢報告会や議員懇談会とやらと毎度同じ顔触れの人がでてきて批判と反対と聞くだけみたいなものでしかない。賞金付きアイデア募集でもやってみたらどうだろうか。

 


AI や Iot

2016年11月23日 | 社会・経済・政治

 イギリスで始まり、ヨーロッパに広がった蒸気機関の発明による産業革命は機械化の革命だった。続いて電気の発明が起こった。産業革命の勢いは止まらず、コンピュータ、インターネット、モバイルのIT革命が起こった。そしてすでに現代である。

 スクラム・ジャパンが立ち上がった。遺伝子変異した癌細胞の遺伝子を突き止め、そのたんぱく質だけを阻害する薬が開発され、臨床されている。変異した遺伝子を特定することが困難であるが、どんどんとそれが発見されている。変異した遺伝子を見つけ出し、それに対応する薬を作るのに、膨大な論文データが要る。その論文を読むには一人の医師では一日に1つ2つが限界であり、これまで見つけ出すのが至難のことだった。IBMが何万もの論文を読んでしまい、データ化する技術を開発した。まだ不明の癌遺伝子の3割がこれによって明らかになった。すでに7割近くまで解析されていたから残り3割のうちの3割が解析に成功したのである。アメリカが先行してプレシジョン・メディシンをリードしている。日本もスクラム・ジャパンが立ち上がった。癌治療や臨床治験はこれによって大きく変わることになる。効くかどうかわからない抗癌剤への医療費負担も少なくなる。

 これまでは臓器別の治療を縦割りで行っていたのが遺伝子レベルで行うものだから、癌変異遺伝子さえ特定できれば、甲状腺癌ように使っていたものが肺癌にも利用できるという風に横断的になるのである。

 こういうことを可能にしたのは人工知能(AI)である。分子生物学、化学、医学、ありとあらゆる研究がビッグデータとして利用される。インターネットに続く、大変革の時代を我々は生きているのである。これを「第四次産業革命」と呼ぶ人もいる。

 AIやIot(ありとあらゆるモノがインターネットに接続する世界のこと)労働や社会環境を一変させていく流れがある。将棋対決もその流れであり、物流で物を追跡していくのもその流れである。センサーとパソコンやスマホが連結していくのもその流れである。

 僕の孫の時代にはほぼ完成形となっているのだろう。

 人間とは不思議なものだ。コンピュータの出現によって人間の労働は少なくなると思っていたら、逆に、これでもか、というくらい労働時間が増えた。紙は減るのかと思ったら、大量に紙を使い続けている。便利になった分をまた仕事で埋めようとする。人間の欲望や、エロスと、悲しみや憎しみ、喜びや落胆、怒りややるせなさというような心情は古来から変わることはない。日本人にはそこに無常感や空虚感がつきまとう。紅葉を追うのも、桜で儚げを感じるのもAIやIotではどうしようもない。

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