戦争が終わってからの数年は明日がわからないという時代があり、確かに、今日よりは明日はよくなる、と自然に思っている時代があった。土地を買えば上がり、今日金がなくても深刻に考える必要もなかった。現在はと言えば、土地や家を買っても維持管理、相続、取り壊しが目に浮かび、長く生きるようになった超老後というものをいやがおうでも考えなければならなくなった。つまり「明日がわからない」という質こそ違え、切迫はしていないが、ゆっくりと不安感が国民の間を漂っているように見える。
高級車、高級時計。そんなものを買い求める人も少なくなった。車も中古車で上等であるという時代である。中古車販売業や古本販売業はリサイクルというよりは時間軸で言う、「共有」という発想から来ている。この時間軸共有も、空間的共有もシェアハウス、シェアカー、シェアバイク、シェア労働にまで及ぼうとしている。
話は違うが、常識は実は常識ではなく、法律に規制によって縛られているから、常識だと思っている人も多いだろう。何を言いたいかと言えば、バスの運行である。料金をとってバス業をするには認可がいる。タクシー業をするにも認可がいる。バスには停留所があるという常識がある。タクシーは同時に乗ったものを客とする常識がある。
タクシーは別の同じ方向にいく人を乗せていいはずだし、バスは大型、中型でもなく、ミニバスでもいいはずである。そして尾鷲の至るところをどこでも乗れて、どこでも降りれるようにすればいいはずである。それができない。ミニバスが20台ほど次から次へと走れば、実に便利のよい尾鷲社会ができることだろう。限界集落に住む人々は旧尾鷲町内に集まってくればよい。すでに熊野市の須野は十年も前から人口が二、三人となっている。多くの人はより便利な町に越して行ったのだ。そうなる尾鷲の浦村がある。今後十年の人口割合を勘定すればすぐにわかる話だ。
人がいなくなった浦村は都市計画を導入し、大学生の分散型合宿場や、ミニシリコンバレーのように自宅でも都会の本社や支社、世界とやりとりができる住宅地域にしてもよい。小学校もこの小さな町ではひとつでよい。中学校も一つでよい。あまった学校は住居にすればよいと思う。
今の尾鷲は「明日があるさ」という時代を通り過ぎてしまっている。商売に明日はなく、看護や介護にも明日はない。買い物の楽しみさえ、他所へいく。
市長からも議員からも改革の主張がでてこない。出て来ないならば市民から聴取する方法だってあるはずだが、相変わらず、従来式の姿勢報告会や議員懇談会とやらと毎度同じ顔触れの人がでてきて批判と反対と聞くだけみたいなものでしかない。賞金付きアイデア募集でもやってみたらどうだろうか。