25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

タジマのママさん健在

2016年11月16日 | 日記

 九州場所といえば、いつも花道のおなじところで、相撲を毎日観戦する着物姿の女性。去年、一昨年と花道がとれなかったのか、座る場所が変わるようになった。

 今日は砂かぶりの右側の方にいて、テレビにたっぷりと映る。ほとんど姿勢を崩すことなく座っている。何か布のようなものをとりだして、スマホを拭いていたのに気がついた。

 一度チャンスがあれば、タジマに行ってみたいとおもうが、まだ行くチャンスがない。

 相撲は良い取口が続いている。勢の三連勝はあっぱれマークスが付くことだろう。石浦も堂々と取っている蒼白国来も良い相撲を取っている。それにしても、稀勢の里はどうしたのか。

 十両の取り組みもおもしろく、大学出の若い力士が出てくる。昨日は「前相撲」もあり、細いのから太いのまで、いろいろといて、見ていて、想像を働かせてくれる。白鵬は前相撲で負け、次の序の口でも負け越した。

 それが、今の白鵬になっている。

 九州場所は実に楽しい。九州出身の力士も多い。

  小池劇場から、韓国、トランプショックとテレビは続いているが、九州場所で、なんだか、伝統の予算案を感じ、取り組みを見ては、タジマのママさんをみているという感じだ。

 


吐き出すこと

2016年11月16日 | 社会・経済・政治

  政治のことであれ、なんであれ、家の中でひとりぶつぶつと思っているとそれを吐き出したくなるときがある。昨日は岡田さんと食事をして酒を飲んで、僕は「日本会議」について吐き出した。不気味な存在ではある。その後ろに「日本青年協議会」と「日本政策研究センター」がある。いずれも元成長の家の信者で、成長の家が政治活動をやめたときに分派として「成長の家原理主義ともいうべき」ものが誕生したのである。もちろん彼らは暴力的ではない。どちらかというと復古主義で憲法を明治憲法に戻したいと考えている。

  1969年あたり「日米安保闘争」と「学園紛争」で全国の大学は全共闘が席巻したが、長崎大学に端を発した選挙による右派の学生自治会奪還の手法は九州の大学などに広がった。この右派の運動が今も続いているということである。この運動は「元号制定」にも成功し、憲法改正を目指して、今や安倍政権のブレーンとして活躍している。伊藤哲夫、椛島有二、百地章など、そして決して顔を見せない奥の大ボスが安藤巌である。自民党が天皇退位の問題で有識者を選ぶときも必ず、日本会議のメンバーが入る。

 僕は彼らは天皇を中心とした社会を作りたいと考えているらしいことはわかるが、アメリカとはどうしたいのか、中国とはどうしたいのか、経済政策はどうしたいのかは知らない。

 ただ、現在の日本は経済政策は消費者のサイフのヒモに握られていて、消費者の手のひらに政権がのっているだけのことである。景気がよくならないとなれば政権は変わる。この二十年、日本はずっとそうだった。アベノミクスはどうやら失敗に終わり

そうである。物価2%を上げるだけでこんなに難しいものか。労働組合の集まりである連合は大企業の組合であり、すでに彼らは労働者でもあり、資本家でもある。共産党は本当に名前を変えあほうがいいと思うが、彼らだって、僕の見渡す限り、お堅い職業の高給取りで、高級年金をとっているひとたちである。昔とは違うのだ。

金融のあり方も違ってしまっている。金融工学の登場で、金融は町の血管の役割を果たさず、どこか見知らぬ不可解なところでお金儲けをしている。

 時代が変わったことを痛感する。それでもハゼは釣れるし、カサゴも釣れる。それさえ変わったら、生きる意欲も失われるようにも思う。大げさだったか。