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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

トランプショック ということ

2016年11月12日 | 社会・経済・政治

 「トランプショック」などというのはマスコミに感染された症状のようなものだ。どちら側もである。

 これがアメリカの現状だ、ということも、これがマスコミの現状だ、とも言える。

 韓国も法にしたがおうと頑張っている。頑張っているのは警察や軍部である。タイは頑張りきれず、軍事政権となった。日本はアクションを起こすまたとないチャンスなのだが、大方は日米同盟が絶対に前提だと考えている人が多い。多いというのはテレビにでてくる人だ。

 トランプは当選して、猫のようにじっとしている。猫が虎になるのは、おそらく、アメリカにテロがあったり、北朝鮮やイランが鼻で吹くような行為をしたときだ。それがなければトランプは国内政治に邁進するのだろう。

 それにしてだらしがない日本。なぜ、アメリカに支えてもらわなければならないのか。「やられたらやり返す」のは当然ではないか。自分の子供がやられたらやり返すのと同じ事だ。今こそ、選挙キャンペーン言質をとって、安保条約を切ればいいではないか。すると日本に広大な関東圏や沖縄、各地の土地が戻ってくる。そして、戦後のレジュームが終わる。

 そして、日本はここからが日本の本当の問題なのだ。

 天皇を中心とした社会を作るか、大統領制を選ぶのか、さら第三選択が登場するのか。

 政治家たちはわかっているのだ。しかし、それを声にだせないのだ。声にだせないほど、日本は窮屈な言論社会なのだ。正義感ぶるマスコミジャーナリストやコメンテーターも、問題点はわかっているのに、言えない、という不気味さが日本にあるのだ。タブーという禁忌の共同幻想があるのだ。

 嘆かわしい。ああ、嘆かわしい。