エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

棗の実

2012年10月06日 | ポエム
小さな秋満載である。
今日、棗の実と出会った。
不意に出会ったのである。

数年前に塩尻の街中で熟れきって落果した棗を食べて以来である。
「青棗」だったけれど、紛れもなく棗の実であった。



これは、利休棗である。
由緒正しいのである。

お抹茶を入れる道具の棗に似ていることから、棗と言われているのである。
なるほど・・・棗である。







「青棗淡き陽射しの葉影かな」







ねっ・・・ナツメでしょう。



棗は熟すと、この色になる。
飴色である。
ただし、食せばその感覚は「粉粉して」いるのであってそんなにうまい果実では無い。
もっとも余り生色はしないのである。

閑話休題。

今日はこれ以外にも、小さな黄葉に出会った。
数本の公孫樹の木の黄葉がかなり進んで居る一画があった。



この色は嬉しい。







「秋の蝶翔び舞う広さ限られて」







家の近くでは、キバナコスモスが満開の態である。
秋の蝶が飛翔するステージである事は言を俟たない。

コスモス、黄葉、秋の蝶、周り中に秋の季語が横溢している。
歳時記でも秋のページ数は格段に多い。

今詠わなければいつ詠うの?
そんな風に聞かれそうだけれど・・・なかなか俳句は産まれてこない。

残念である。



秋の雲は遊弋する。



そして平仮名の様である。
確かにそうである。



       荒 野人