エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

蛇穴山古墳に入る

2012年10月26日 | ポエム
蛇穴山古墳・・・ジャケツヤマコフンと読む。
爬虫類の中でも蛇嫌いの極致にあるぼくとしては、その名前だけで怖気づいてしまった。



もう・・・石室に入るのを躊躇うしかなかったのであるけれど、今こそ入らずして男として立たず、であると思惟したのである。
ただ、蛇が居るのではないかとオドオドであった。

この総社古墳群は、石器時代後期から7世紀にかけて造営されたものである。
とりわけ、蛇穴山古墳は「上毛野田道命の墳墓」説が有力である。



豊城入彦命の子孫、田道命は、天皇の命令で朝鮮の新羅を攻め、大きな功績をあげて凱旋したという人物である。
まもなく、東国の蝦夷を打つことを命じられて、はるばると下ったが、上総国伊寺の水門で討死した。
国府の近く、王宮のあった総社に塚を築いて葬られ、それが蛇穴山古墳であるというのである。

蛇穴の名はその後、田道が死んだため勢いを取り戻した蝦夷が田道の墓をあばこうとすると、中から大蛇が表れて毒気を吹きかけて蝦夷を殺してしまったことからついたのだという。

この古墳は方墳である。



今そのてっぺんには、石枠だけが寂しく雨に打たれている。
この古墳の石室は、見事な技術で造営されている。







「空澄みぬ風渡りたる墳墓かな」







見事な石工技術である。
内部には、石棺も残されているのである。

ただ遺物は無い。
早くから盗掘されたものである。

今日は、この古墳の紹介に留める。
宝塔山古墳と愛宕山古墳、さらには二子山古墳は改めて紹介することとしたい。

とまれ、石室の中まで入れるのは今のうちであろう。
もう少し経てば、遺跡保護の大義名分の下、封鎖されるのは間違いないからである。

今のうち、今のうちである。




       荒 野人