朔太郎祭りに出かけたのである。
といいつつ、折角の機会だからと古墳も見学したのであった。
場所は群馬県前橋市。
古墳は総社町で、朔太郎祭りは前橋市民文化会館である。
古墳は日を改めて紹介する。
前橋市は萩原朔太郎所縁の町。
マンドリンの町が謳い文句である。
萩原朔太郎の忌日は5月11日である。
何故この日なのかは、市制施行の日が関わっているらしいのである。
市制施行120年である。
同時に、朔太郎没後70年の記念すべき年である。
朔太郎の忌日は「朔太郎忌」としか歳時記に無い。
「青猫忌(せいびょうき)」も付け加えたいと思って句を詠んでみた。
この日、空はあくまでも澄みきっていた。
朝方、鮮やかな朱色の千切れ雲が遊弋していたのであるけれど・・・。
7時頃にはすっかり地平線に降りてきた。
「雲生まれやがて地平へ秋深む」
会場の広い駐車場の脇に、金木犀が満開であった。
見上げれば、香りがシャワーのように降り来る。
前橋市民文化会館は秋が横溢しているのである。
彫像も、心なしか秋色である。
日暮れた人生の美しさは例えようもない。
生き様の蓄積の放つ光芒とでも言おうか。
柔らかな光。
「伸びやかなマンドリン愛す朔太郎忌」
「トレモロの奏でる調べ青猫忌」
このコンダクターが萩原朔太郎の孫弟子である。
両角文則氏である。
老いてますます意気盛ん、旺盛なかつ精力的な指揮ぶりに舌を巻いた。
前橋市は、マンドリンの町と言うだけあって、マンドリン人口が多いのだと思惟する。
高校生から、社会人の楽団まで多くの演奏者が排出されている。
もちろん、プロの演奏者も指折り数えて両の手では数え切れないのである。
この楽団は「群馬マンドリン楽団」である。
この楽団も又、両角先生の指導よろしくプロが多く巣立っていると言う。
素晴らしい演奏であった。
今年12月には東京公演がある。
是非出かけたい。
パンフレットなどは改めて紹介する。
そう・・・明日にでも。
荒 野人
といいつつ、折角の機会だからと古墳も見学したのであった。
場所は群馬県前橋市。
古墳は総社町で、朔太郎祭りは前橋市民文化会館である。
古墳は日を改めて紹介する。
前橋市は萩原朔太郎所縁の町。
マンドリンの町が謳い文句である。
萩原朔太郎の忌日は5月11日である。
何故この日なのかは、市制施行の日が関わっているらしいのである。
市制施行120年である。
同時に、朔太郎没後70年の記念すべき年である。
朔太郎の忌日は「朔太郎忌」としか歳時記に無い。
「青猫忌(せいびょうき)」も付け加えたいと思って句を詠んでみた。
この日、空はあくまでも澄みきっていた。
朝方、鮮やかな朱色の千切れ雲が遊弋していたのであるけれど・・・。
7時頃にはすっかり地平線に降りてきた。
「雲生まれやがて地平へ秋深む」
会場の広い駐車場の脇に、金木犀が満開であった。
見上げれば、香りがシャワーのように降り来る。
前橋市民文化会館は秋が横溢しているのである。
彫像も、心なしか秋色である。
日暮れた人生の美しさは例えようもない。
生き様の蓄積の放つ光芒とでも言おうか。
柔らかな光。
「伸びやかなマンドリン愛す朔太郎忌」
「トレモロの奏でる調べ青猫忌」
このコンダクターが萩原朔太郎の孫弟子である。
両角文則氏である。
老いてますます意気盛ん、旺盛なかつ精力的な指揮ぶりに舌を巻いた。
前橋市は、マンドリンの町と言うだけあって、マンドリン人口が多いのだと思惟する。
高校生から、社会人の楽団まで多くの演奏者が排出されている。
もちろん、プロの演奏者も指折り数えて両の手では数え切れないのである。
この楽団は「群馬マンドリン楽団」である。
この楽団も又、両角先生の指導よろしくプロが多く巣立っていると言う。
素晴らしい演奏であった。
今年12月には東京公演がある。
是非出かけたい。
パンフレットなどは改めて紹介する。
そう・・・明日にでも。
荒 野人