エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

雲に!

2013年12月17日 | ポエム
このところ、下手な俳句を詠む事に専念している。
目にした事だけ、五七五に詠む。

韻律が崩れてしまう場合があるけれど、若干の修正だけにして詠む。
写生するのである。
大分、フラストレーションが溜まりかかる。



そんな時には、空を見上げる。
気分が晴れる。

癒されるのである。
街中をフラフラしていると、俳句の素材が至る所にある事を再確認できる。
俳句即人間・・・その真実が迫ってくる。

基本は写生である事も又、真実である。
しかし、人間は追体験することもあるのだから脳裏に浮かぶ追体験を俳句にしても良いのである。
それは、もっと上達してからにしよう・・・と思っている。

とにかく、目にしたものを詠む。
それを心がけていくのである。



昨日も又、面白い雲があった。
夜には、満月前の月が煌々と在った。






「短日や明日円月となりしかな」



あすには満月であろうと思う。
その事実だけを詠み込んだ。
短日は、冬の季語である。

しかし、俳句を詠むのは楽しい。



       荒 野人

山眠らんとす!

2013年12月16日 | ポエム
山は眠らんとしている。
秋の山は「山装う」である。
冬の山は「山眠る」なのだ。

装う山は、紅葉、黄葉を前提として装う乗遺体を詠うのだ。
眠る山は、それらの葉を落とし、裸になるであろうことを前提としたい。



寂寥感を感じる。
寒さを感じるのだ。



里山は、冬支度に余念が無いのだろう。
田んぼには、霜が降りているのが分かる。



こうした山々が、生き物を育む。
時として、その生き物が人の里を荒らす。
既に書いたけれど、生き物同士の結界が揺らいでいる。

それは、早く解消しなければならい。
明確な結界を示す努力をする事が、肝要だ。

季節の移ろいは、進行している。
その進み具合を美しいと愛でるためにも・・・だ。







「葉を落とし枝先赤く眠らんとす」







銀杏は葉を落として身軽になった。
残された葉も、微風で落ちる。

そのヒラヒラは陽に当たって、綺麗である。



昨日の、午後3時半。
月が白々と天にかかっていた。

かぐや姫は、間もなく降臨するだろう。



      荒 野人

初冬の光が丘公園

2013年12月15日 | ポエム
冬に入った。
公園には・・・しかし、柔らかな光が満ちている。

ぼくの散歩道の一つである。
この公園は、かつてのアメリカ進駐軍将軍の敷地跡である。
東京の大団地の一つである。
高島平団地に比する光が丘団地である。

初期の頃は「グラント・ハイツ」と言う名称が一般的であった。
グラント将軍の邸宅跡だったからである。



何日か前に紹介したけれど、紅冬葉の盛りである。
枯れかかっているけれど、その鄙びた気配が宜しい。



深落葉の褥。
その褥を赤々と照らす「照紅葉」である。
「ふかおちば」と言い「てるもみじ」と言い、美しい語感である。

今、公園内では伐採が行われている。
散歩者のベンチともなっている。



切り株と言い、丸太と言い・・・丁度良い塩梅である。
また、この公園にはカワセミが営巣している・・・と思われる。

ビオトープの取り組みが、公園内であってその池に飛来する。
当然、公園内の水場にも餌を求めてやって来る。



このカワセミは、鴨池のほとりの松の枝に止まって、時折り餌を求めて急降下を繰り返している。
その素早さは、一直線に飛行するから一際早い。
目にもとまらぬ早業である。






「冬の月蒼々と穹くれなずむ」







ぼくは帰宅後、ウグイス餅を頂いた。
大好物である。

漉し餡なのが良い。
舌触りと言い、喉越しと言い障りが無い。
なめらかさが身上である。

餅にまぶしてあるキナコ葉、良くはたいて食べるのが特に宜しい。
そうした食べ方が好きである。

和菓子は、やはり風情があって良い。
たたずまいも好きである。
小鳥のウグイスに会えるのは、まだ先である。



        荒 野人

桜紅葉と石蕗の花

2013年12月14日 | ポエム
桜紅葉は晩秋。
石蕗の花は初冬。



季節の挟間にあって、天気予報に一喜一憂する日々である。
しかし、確実に今はっ初冬から仲冬へと移ろう。

桜紅葉は、その残骸を見せる。
散り終えた枝に、多少の葉が残り群れるのだ。

朝日や夕陽が、彩りを添える。
安易に使ってはいけないけれど「彩なす陽射し」である。







「幾葉か桜紅葉の残されり」







石蕗の花も今が盛りである。



とりわけ、赤色を背景とする黄色は鮮やかに映える。
この取り合わせが好きだ。



石蕗の花の可憐さは、何にもまして愛おしい。
その気持ちが優れて、石蕗の花を可愛らしく見せる。
見せるし、何より何処でも咲き誇る姿こそが愛おしい。



黄色は、目を休ませる。
目の疲労を慰めてくれるのだ。



      荒 野人

所用があって!

2013年12月13日 | ポエム
実は所用があって、ブログを更新しなかった。
予定していた、神奈川秦野の「秦樹会」の句会もドタキャンにせざるを得なかったのである。
久しぶりの秦野行きを楽しみにしていたのだけれど、残念なことであった。

人として、どうしても外せない所用であった。
今朝は、午前中から俳句の頭に切り替えて句作に励んでいる。
だがしかし・・・。
思うに任せない。
テレビから「当然、偶然それとも必然」とかいう、分かったような分からないような楽曲が聴こえてきて、ついイラついてしまった。
ぼくは「当然、憮然」としている。

今日中に投函しなければ〆切に遅れる句が幾つもあって、少しばかり焦っている。
からまつの兼題は、今月もお休みしなければならないだろう・・・。
差し当たって、数句は読んでみたものの、自分の腑に落ちない。

これから「からまつ」の新年会への投句を済ませようと清書している。







「冬の雲遊ぶ千切り繪なぞる指」







句を推敲するに当たって、外に出かけてみた。
「外に出でし」という言葉が頭に浮かんだ。
「とにいでし・・・とにいでし・・・」
口ずさんでみた。


だがしかし、句は生まれて来ない。
呼びに行ってみたけれど、やはり句は来てくれない。



空を見上げた。
可笑しな、楽しい雲が遊弋している。
障壁画の中から飛び出して来たかのような雲だ。

この雲に感動。



雲はやはり天才である。
同時に様々な自然の恵みを豊かに見せる、その天才でもある。



       荒 野人