=118 ~木の因数分解~(家具工房つなぎブログ)

南房総でサクラの家具を作っています。ショールーム&カフェに遊びにおいでください。

なんとなくアフリカの風

2009年02月22日 | 【写真】一本の木
上を切られてしまったせいで、枝のはりかたになんとなくアフリカの風を勝手に感じてしまいました。

館山市正木 (千葉県)
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伝統といっても始まりは必ずある!

2009年02月22日 | 【お出かけ】木のむくまま
今年で第二回目を迎える、「安房伝統芸能まつり」

私も知らないものがたくさんあった。

白浜の民謡や、神余のかっこ舞などなど。

白浜の民謡は、初めて聞いたし、民謡の声の通りはすごい。
聞いていて気持ちがいいです。また出演は若荻会という団体で、きちんとした先生のもと女性を中心におばあさんから4歳の子供まで、歌、踊り、三味線、太鼓を披露してくれました。
この年代の幅広さに伝承されていく可能性をものすごく感じたし、加えて1曲は三味線を音楽授業に取り入れている小学校の学生30人余りも出演して、その裾野の広さを感じました。

神余のかっこ舞も初。
実は私は各地の「○○保存会」という名前が消極的のような誤解を受けやすいのであまり好きではないのですが、とにかく舞はかなり特色のあるものでした。

それから三芳の安房八幡太鼓。
平成4年に村おこし事業の一環として始まった創作和太鼓活動ですが、村おこしとか言って予算が下りると、観光施設やドライブイン、ちゃちなランドマークを作ってしまった例が列島各地にあります。
そんな中モノでなくコトに投資した精神と先見性を尊敬します。
そして伝統芸能といっても必ず始まりがあるわけで、その積み重ねが伝統芸能に昇華しているのだから、未来の伝統芸能となるための新たな種まきは必要で、この安房八幡太鼓は、それが芽を出し少し育ってきているいい一例だと思います。

その他、館山市、南房総市、鴨川市といった安房地域のブースが出ていて、その中で目にとまったのが写真の鋸で千葉県の伝統的工芸品になっている船鋸鍛冶の商品です。
船は硬い材木でできていて、それを切るための船鋸にはいっそうの切れ味が求められてきたようです。
その製法を盆栽用や植木用などの鋸に活かした商品で、私は特に柄の部分が安房の特産である竹を使っているところが地域の産物をうまく組み合わせ、しかも握りやすい機能性を持たせている点がとっても気に入りました。
いつか購入してみたいですね。

伝統芸能まつりと銘打っている割には、この会自体はまだ2回目ですが、このまつりもいつか伝統になってほしいと思います。
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トラック

2009年02月22日 | 【日記】いろいろ
12チャンネル「ソロモン流」で、家具店TRUCKが特集されていた。
実は私はこんな有名なお店があることを知らなかった。。。。家具好きな皆さんはご存知ですよね?
(念のため、HPはこちら

ご夫婦のライフスタイル自体が、商品に、売場に、カタログになっていてファンが大勢いた。

トラックのポリシー、
必ず自分で使ってから商品化するというプロセスは、時間がかかるけど、必ず必要だと思った。だってやっぱり頭で考えたこととか、図面を書いただけ、見ただけのことって、実際に座ったり、また1回きりでなく毎日の生活となると、全然違って見えてくることって必ずあると思うからです。

またトラックの家具は、
テレビの出演者が表現していたけど「押し付けがましくない」、「全体がひとつのテーマでまとまっているけど、一個一個はそれぞれ違う」ということが伝わってきました。

細かいところでは、いろんな素材に積極的にチャレンジしているところ、金具に気を使っているところを見習いたいと思いました。

何年先かわかりませんが、私もこんなお二人のような自分たちの生き方を形にして、やっていきたいと思います。
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城の反対は?赤なんです。赤山地下壕

2009年02月22日 | 【お出かけ】木のむくまま
今月初旬のほんの偶然のご縁から、本日はNPO 安房文化遺産フォーラムのボランティア活動に参加しています。
実はボランティアと呼ぶにはおこがましいくらいで、こちらのNPOはこの前知ったばっかりですし、今日行く遺跡も初めての場所なんです。
さらに、私はある遺跡の壁画の写真を館山市博物館で見つけ、その遺跡は普段は開放されておらず、許可を得た団体のツアーのみ参観が認められているということを知り、その団体がこちらのNPOだったのです。はっきり言って不届者です。

こんな不届き者を心良く受け入れてくれましたNPO 安房文化遺産フォーラムの愛沢さん、池田さん、そして本日のツアー参加者AAALAの皆様ありがとうございます。

今日のツアーは午前中に座学を受け、みっちりと館山の歴史を学び、それから各遺跡を巡るスケジュールです。

池田さんの講義はとても奥深く、多少の仮説を含めてとてもダイナミックに館山の歴史を勉強できました。

まずは逆地図。
いわゆる発想の転換で、普段見慣れている地図を逆にしてみましょう。
すると、なんと房総半島が太平洋に突き出ているのが一層はっきりします。つまり、海の仕事をするには、または外国が攻めてくる最前線は館山であることがわかります。昔からある逆地図ですが、現在は富山県がうまく活用して、環日本海地域における中心地をアピールしています。
この地図は、なんだかドラゴンクエストの世界観のようでとても面白いです。

それからもともと房総は、黒潮に乗ってやってきた四国や和歌山の地名や文化があり、他との融合が歴史的にある特殊性があると思うのですが、さらには外国船も昔から多く難破し、それを救助したことでロシアや中国、韓国との古いつながりもあったそうです。
現在の韓国の遺跡にもほとんど残っていないというハングル文字草創期の文字によって書かれた石碑が残っていたのは韓国人研究者も驚いていたそうです。

また大胆な仮説では、館山航空隊の基地は真珠湾攻撃の想定戦場だった?
というお話もありました。
それは航空隊基地としてはが通常よりは小さな敷地になっていて、ちょうど真珠湾の米軍基地のある島と同面積であることや山間を抜けて湾内の基地に達するという地形的な面を利用して多くの訓練がされていたという側面からです。
真珠湾攻撃は超トップシークレットだっただけに現在証拠は発見されていませんが、このような大胆な仮説には胸躍ります。

さて、午後からはいよいよ遺跡の見学です。
まずは赤山地下壕。館山には館山城というお城があり、私も小さな頃から「城山しろやま」と呼んでいました。そうなんです。この城山に程近く館山航空隊を見下ろす丘に作られたのがこの「赤山地下壕」なんです。
白に対して赤。わかりやすいですね。

私の実家の付近にも民間人の作った地下壕はいくつもあり、昔はそこを探検して遊んでいましたから馴染みはあたのですが、改めて壕の内側に刻まれたツルハシの跡ひとつひとつを手でなぞって見ると、当時の苦労を少しは感じることができます。

またこの地下壕は終戦の日まで掘り続けられていた証言もあり、本土決戦の本気さを伺い知ることができます。
人間特攻兵器の回天なども装備されていましたし民間においても、海ほたるという今やアクアラインの中継地点の愛称にもなっている発光する生物がいるのですが、その海ほたるを精製粉末にして夜間用の兵器にする研究がされていたそうです。
そのため館山の学生は海ほたるの採取命令を受けていました。

そして、いよいよお目当ての洲崎航空隊の指揮所跡に到着。ここが私の今日の目的地です。
観光用に整備された赤山地下壕とは違いひっそりとしていますが、中は思いのほか風通しがよく、指揮所の看板や内部の壁はまるで60年以上の時間を感じさせないものがあります。

長らく人が入ってこなかったこともあり内部は絶好のゲジゲジ虫の棲家と化しており、何百匹というものすごい量ですが慣れれば大丈夫かもしれません。
そして、歩み壕の奥に進めていくと、

「ありました」

天井に広く描かれた龍の彫刻。
整然と掘られた壕の中に突如として浮かび上がるこの天空の龍は、戦勝祈願で彫られたものなのか未だ不明な部分はあります。
私としては、平和を祈る民衆の様々な思いが浮き出てきたものと表現したい。
そんな情景です。


これらの歴史や遺跡をモチーフにした映画があります。
「赤い鯨と白い蛇」
ご興味ありましたら是非ご覧ください。
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