=118 ~木の因数分解~(家具工房つなぎブログ)

南房総でサクラの家具を作っています。ショールーム&カフェに遊びにおいでください。

地産地用 「那古の祭は房州うちわ」

2009年06月30日 | 【メモ】木づいたこと、考えたこと
(↑団扇デザイン)


世の中、

売れないものは、なくなっていく

使われないものは、なくなっていく

必要とされないものは、なくなっていく



さて、日本各地にある昔からの伝統工芸の業界は今非常に苦しい。

おしなべて、

安価な外国製品に押されて、売れていない

プラスチックや他の代替品にとって替わられ、使われていない

でも、そのような状況 = 必要とされていないということだろうか?

いや、私はそうは思わない。




たとえば、木工の世界でも、状況は似ている。

それこそ、IKEAに行けば、安くてデザインのいいものが簡単に手に入る。

最近は「本物」が重視され始め、無垢の板を使った大きなテーブルなど人気が出てきたが、まだまだ厳しい。


冒頭の繰り返しになるが、伝統工芸にしろ木工にしろ、

売れない、使われなければ、職人は仕事がなく、飯を食っていけず、後継者も育てられず、消滅していくしかない。

だからと言って、「皆さん、伝統工芸を絶えさせないために、無理にでも買って使いましょう」
なんてことを言うつもりはない。

本当に必要のないものは、必要でないのだから。


でも、そうなる前に、一度ちょっとだけ見直すぐらいはしてもいいと思う。

だって時代は変わっているのだから。

世界的な投機マネーゲームは終わり、いよいよ地球環境もおかしくなってきて、毎日のテレビでは暗いニュースが後を絶たない。

一方でエコやロハス、本物、人の絆、なんてものが求められてきている。

そして、匠の技、職人の魂、これらが必要とされる時代が来ているのではないだろうか。


私は今一度、伝統工芸にチャンスを持ってもらいたいと思っている。


伝統工芸は身近であればあるほど、身近すぎて知られていない。

また、一時の大量消費社会を経てきた私たちは、伝統工芸品の使い方を忘れてしまっているかもしれない。

そんな、「知らない」、「忘れられている」といったことを打破するためには、私はやっぱり産地の地元がまず声をあげ、考えて、そして使ってみるべきだと思う。

食の世界では、地元の食材を地元で消費する「地産地消」が叫ばれて久しい。

同じように、工芸品も地元で使って用いることから始めてみませんか。



私のふるさと、千葉県の房州には「房州団扇」という、国指定の伝統的工芸品があります。

日本には伝統的工芸品に指定されている3大団扇がありますが、はっきり言って私は、房州団扇が一番美しいと思っています。



この団扇をどこで使うか?

浴衣に団扇も魅力的ですが、やっぱり夏の風物詩、房州のお祭りで地産地用をするのが私はベストと思い、一人でも始めてみることを今年の2月に決めました。
特に房州団扇の産地である那古、船形の祭りには「やっぱり団扇でしょ」ということになったらいいなと思います。



もうデザインも決めました。

作っていただく工房とも連絡済みです。

高いか安いかはわかりません、一本1000円です。

一人でも始めると書きましたが、やっぱり仲間がいたほうがうれしい。

ということで、工房に発注する今週の土曜日(7/4)まで密かに賛同者募集中!!

連絡待ってます。



<団扇寸法>
・220ミリ×180ミリの卵型
・通常の団扇よりも小さめで柄は長め(腰の帯に差しやすい)

<デザイン>
・基本は落ち着いた色で、統一感を出すために半纏のデザインを活用
・表面は、半纏についた菱形模様で、白から黒のグラデーションを使用しクールに
・裏面は、半纏の背中と同じ○志マークを小さめに配置。うちの地区は人が少ないので、半纏と団扇のマークが増えることで、アピール力が増大。おまけに龍もつけちゃいました。

<工房>
・うちわの大田屋さん

・他業界とのコラボレーションにも熱心で、昨年はファッション業界のBEAMSとの商品企画も実施
以下は、うちわの太田屋さんの記事です。

→BEAMS商品記事1
→BEAMS商品記事2



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「菓子づくりは、夢づくり」 菓匠Shimizu

2009年06月30日 | 【インタビュー】木の先人方
先週、伊那にあるお菓子屋さん「菓匠Shimizu」の清水慎一さんにお会いしてきました。
「菓匠Shimizu」さんと言えば、さまざまな雑誌でも紹介されている有名店ですが、その商品もさることながら、スタッフの雰囲気、人材育成に注目をおかれているお店です。


南仏風?のお洒落な店舗はガーデニングに囲まれ、店内に所狭しと並んだ色とりどりのスイーツ。そんなイメージとのギャップ戦略かと思う清水さんとのご対面です。(笑)

大学まで野球に打ち込んできた清水さんの夢は、じつは野球部の監督だったそうです。「毎年甲子園目指せるっていいじゃないですか」と楽しそうに話す清水さん。
でも、大学卒業の前に将来のことについて話すために東京まで訪ねてきた母親の帰郷するときの後姿を見て、地元伊那のお菓子屋さんの3代目となることを決めたそうです。

東京のお店での修行を経て、「洋菓子ならフランス」というシンプルな考えで単身渡仏。
1年半余りのフランス生活で思い知ったことは、「自分は日本人だ」ということだった。
パリの空気に染まることもなく、毎日ご飯と味噌汁を食していたそうです。
フランス菓子はフランス人がフランスの食材を使ってフランス人のために作るからおいしいのだと。
日本人の自分が日本でフランスの材料を取り寄せて一生懸命作っても、食べる人は日本人。「なんだかそれってちょっと違うなー」と思ったそうです。

そして、日本に帰国後、尊敬する九州のお菓子屋さんでの修行を経て実家に戻ってきたのが6年前。
九州の師匠と同じく、和菓子屋でもなく洋菓子屋でもない、地元の食材を使ったおいしいもの、強いていえば「伊那菓子」を作り始めました。

清水さんが自分で今までの足跡を振り返ってみると、ここ数年で急激に価値観が変化したそうです。
20代の頃には単純に言うと「野心」が溢れていたそうです。
「日本一のパティシエになってやる」
「カリスマパティシエになってテレビにたくさん出てやる」
そんな思いで、技を磨き、目の前にあるケーキだけを見てきたそうです。

しかし、自身のお子さんの誕生によってその考えはガラリと変わる、というよりもよりもケーキの先が見えてきたそうです。ケーキの先にいるお客様の顔、子供たちの喜ぶ顔が。

「ケーキは手段」

そのための技の研鑽は怠れない。たとえば普通のケーキを作るよりも、子供から注文のあったウルトラマンのケーキを作るほうが難しいのです。それを実現できるための技術を磨くことが本来の目的で、決してコンクールで優勝することが目的ではない。

だから、清水さんの名刺には書いてある。

「菓子づくりは夢づくり」

うちは「菓子屋」でなくて、「夢屋」を目指してますと言う清水さん。


そんな夢屋で働くスタッフは現在27名。
最近は全国各地やお菓子の本場神戸から来ているスタッフもいるらしい。
彼らスタッフの採用方法がまたユニーク!

「うちには採用、不採用はありません。入社するかどうかは自分で決めてもらっています」
というスタイル。
単純に、「そんなことしたら、スタッフが多くなって・・・」と平凡で現実的な心配をしてしまうわけですが、そこは何回も会話をして、「自分の心が楽しい」と思ったら入社を決めてもらうので、今のところはうまくいっているそうです。
「自分の働く場所くらい自分で決めれるような社会にしたい、自分で決めたからこそ苦しいときもがんばれる、またその初心を忘れないようにしてほしい」とスタッフに話していらっしゃいます。

清水さんは、昨年南米エクアドルに行きました。

自分たちのお菓子作りに欠かせないカカオを作る、カカオ農園とそこで働く子供たちをご自分の目で見るためです。その訪問を通して、清水さんは「子供たちの夢づくり」という思いを一層強くされたそうです。


「伊那からのお菓子づくりは、夢づくり」


清水さん、お忙しい中本当にありがとうございました。

また語りましょう!

■菓匠Shimizu 清水慎一【夢と感動を共有する】 信州夢菓志商人日記






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