デカダン文学論

2010-10-16 23:55:52 | Weblog

最近 坂口安吾を読みかえす事がよくある
読み始めた40年前とは かなり印象が変わってきた

書かれていることがかなり理解できるようになった
と 思う???
今日読んだのは
デカダン文学論(かなり難しいテーマだ)
デカダンス(大きな箪笥のことではない)退廃的と訳す
特に詩人ボードレールに象徴される芸術的退廃主義
このデカダン文学論の中に(最後の一節だった)印象的な文があった
無断で書き出してみる
・・・・
私はただ、私自身として生きたいだけだ。
私は風景の中で安息したいとは思わない。
又、安息し得ない人間である。
私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。
徹頭徹尾、愛す。そして、私は私自身を発見しなければならないように、
私の愛するものを発見しなければならないので、
私は堕ちつづけ、そして、私は書きつづけるであろう。
神よ。
わが青春を愛する心の死に至るまで衰えざらんことを。
・・・・
これは 坂口安吾を無頼派と言わしめるに至る
決定的な文章なのだろうが

いったい私はこの中の何に共感したのだろう?

コメント
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