天皇陛下の即位にともなうパレード、「祝賀御列の儀」がきょう午後3時ごろ、皇居から両陛下がオープンカーに乗り込み始まった。NHKと民放が中継していたので視聴した。この様子を誰よりも喜んで見ていたのは上皇陛下ではないかと察する。この日を思い描いておられたのは上皇陛下なのだから。
2016年8月8日、テレビで放送された天皇のお言葉(ビデオメッセージ)にじっと聞き入っていた。「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」
なるほど、天皇はこう考えておられたのだ、ということを知った思いがした。とくに、天皇が国民との関係や距離をどう考え、自らの象徴天皇の役割を担ってこられたのか、改めて感じ入った。
今でも脳裏に残っているお言葉もある。「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き・・・」。「殯(もがり)」は、人の死後に本格的に埋葬するまで、遺体を棺(ひつぎ)に納めて安置し、近親者が儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗のことを指す。天皇家の殯は亡き天皇の全霊を次の代が引き継ぐ大切な儀式なのだ。しかし、当時天皇が述べられた「重い殯」の意味合いを察した。2ヵ月続く皇室の伝統的な葬送「殯」は、心に重いのだろう。あえて「重い殯」とお言葉にすることで、こうした皇室の伝統的な葬送の在り様も含めて見直したい、とのお気持ちを述べられたのではないかと今も思っている。
生前に皇位が継承されれば、殯の儀式は重くなくてよい。国民が祝福する中で、パレードが無事執り行われ、国事行為としての「即位の礼」はすべて終わったことになる。あのビデオで発せられたお言葉から3年余り、上皇陛下は安堵のお気持ちではないだろうか。
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