「マスメディアと現代を読み解く」の講義で学生たちに問いかけたこと、それは遺体の画像や映像をメディアはどう扱うべきか、だった。現状では、新聞もテレビも遺体の画像や映像の扱いには慎重だ。「震災とメディア」の講義(6月20日、27日)の中で、死者・行方不明者が1万8千人余りにもなるが、遺体が映された番組や記事を読者も視聴者も目にすることはない。
遺体表象に慎重なメディア、学生は「現状でよい」71%、「見直してもよい」29%
遺体の表象に関してはそれぞれのメディアがガイドラインを作成している。概ね以下のような内容だ。「事件や事故、災害などでは、死者の尊厳や遺族の心情を傷つける遺体の写真(あるいは映像)は原則使用しない」。原則使用しないのだが、私自身は特例的にも見たことはない。唯一、東日本大震災を特集した朝日新聞「アエラ」臨時増刊号(2011年4月30日)で掲載された、布団にくるまれた遺体の右足が露出した写真だった。一方で、アメリカのニューヨ―クタイムズのホームページでは東日本大震災の特集で、学校体育館が遺体安置所になり、並んでいる遺体の中から肉親を探す人々の様子の画像が掲載されていた。
そこで学生たちにリアクション・ペーパーで以下のように問いかけた。「【あなたの考えを記述してください】日本のマスメデイア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していません。被災者や読者・視聴者の感情に配慮してのことだと考えられます。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載しています。以下の問いに答え、あなたの考えを簡潔に述べてください。遺体写真をめぐる日本のメディアの在り様は「1.現状でよい 2.見直してもよい」。89人の学生が回答を寄せ、「1.現状でよい」63、「2.見直してもよい」26で、パーセンテージはそれぞれ71%と29%だった。学生たちに対するこの問いかけは2011年の講義から毎年実施しているが、毎年ほぼ同じ70%と30%だ。
「現状でよい」とする意見は多くは「見る側への心理的な影響(PTSD=心的外傷体験によるストレスなど)、とくに子供への影響が心配」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」といった内容だ。「見直してもよい」の意見は「現実や事実を報道すべき」「震災を風化させないためにも必要」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道をすべき」といった内容が多い。
少数派ではあるものの「見直してもよい」の学生たちの方がボルテージは高い。「本来知るべき事実まで知ることができなくなってしまっているのは残念だ」(人文・1年)、「(遺体写真を見ることで)悲しみを日本全体で共有することになるだろうし、災害への対策意識や避難訓練はより真剣なものになるだろう。戦争も二度と起こしてはならないと考えるようになるだろう」(経済・3年)。
この講義の終わりは、「遺体の表象については、視聴者の意見も別れるので、メディアは慎重だ。むしろ、現場では遺体を撮影しなくなっている。遺体を災害の記録として後世に残す使命は誰が担うのだろうか」と述べて締めた。(※写真は2011年5月11日・宮城県気仙沼市で営まれた慰霊祭。港町らしく大漁旗が掲げられた)
⇒4日(土)午後・金沢の天気 はれ
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