毎週 江ノ島でセーリングを愉しみ 人生を愉しむ♪

ヨットを自作し帆走♪
中古ヨットを買って直しながら帆走♪
多岐にわたる知識が必要ですがマダマダ

久しぶりに烏帽子岩回航♪

2012年04月30日 | Weblog
2012、卯月 弐拾九日

又 今度
と、予告してしまった関係で・・・・
今週も書きます・・・・

コフィン ベイ

名付け親は
当然 バルボッサ船長

僕がセントエルモに通いだした頃手書きの海図がキャビンにおいてありました
江ノ島が中心で
こっちが 北
陸地があり

周りには さすが中世史研究家
と云う肩書きどおりの オドロオドロシイ
暗黒時代の様相・・・・? 装丁・・・・・?

こういうのは 様装丁 って言葉があれば一言だな~


その海図にここから先は行った事がない
船検上 その岬を回りこめない
という湾に

棺桶の入り江
棺桶湾

のノリで コフィン ベイ

と、つけていたんです


さ~ 世の中ゴールデンウイーク真っ只中

良い天気に恵まれました

かねてから 烏帽子岩に行ってみたい

と云う 友人が

29日に江ノ島に行きます

と、宣言されたので
最初から烏帽子岩を目指します

幸い 予想気圧配置図も申し分なし
一日安定した南風に恵まれるでしょう


江ノ島を回り込み



帆走る事 1時間30分
やっと大きく見えてきました♪



烏帽子岩をバックに

お茶目な
いたずら小僧

って、顔つきでレンズを見ています



烏帽子岩の周りは岩礁が多く
潮の流れもきついので


安全第一
大回り 大回り



帰りには 海風が強くなるかな~?

と思っていたのですが
それほど上がらず
本当にセーリング日和でした





帰りに バルボッサ船長
のところに 寄って来ました

ところが
病室にいない!!

布団もチャントたたまれ
今 布団をかたした
と云う雰囲気でもない

どうしたんだろう??

退院????
病状悪化??


などと考えていると
廊下の先から

お~~~

と 先週より更に快復した バルボッサ船長が現れた

実は土曜日から外泊許可が下りて
今帰ってきたところ
家での生活に支障があるか ないか ある所はどこか
を調べがてらの外泊だったようです

丁度よかった♪

もう少し早く着いていたら

もう少し道路が空いていたら
もう少し風が強く速く帆走っていたら

きっと会えなかった


そして 持参したのは・・・・



しおっけ が無いから

と、言うと 脳梗塞で倒れた人間に
塩味が強いのはご法度

とばかりの顔で見られたので

イヤ 海の 潮っけ

だから 僕がこれ書いて持って来ました

コレは ロゼッタストーン
ではなく
ロゼッタ ペーパーです

色紙の裏の白ほうを 紅茶で茶色く染め・・・・





ご存知 ロゼッタストーンは
上から古代エジプトの神聖文字 ヒエログリフ
エジプトの民衆文字

そして
ギリシャ文字

の三種類が刻み込まれていて

ギリシャ文字は読む事が出来た

キット 上にも同じ文言が書かれているんだろう・・・・

でも、読めなかった

でも、王様の名前は○本当は楕円(カルトゥーシュ)なのですが
楕円で囲ってあるのは
王様の名前

これが糸口になって
古代エジプトの神聖文字が読めるようになったと云う

大体 今のローマ字のように
AIUEO の母音
の前に  KSTNHMYRW の子音
がつくような
英語はここに原点があるのか?

日本語とはまったく違う文字体系




なので 
色紙も年代物に見せようと

紅茶で色をつけた

本当はもっと濃淡がつくと思ったのですが・・・・



上から

ラテン語
スペイン語
フランス語
英語

で 書きました



でも、コレだけだと寂しいので

バルボッサ船長が大海戦の中 死守したような雰囲気を出すために

茶色

のペンキを爪先につけ

シュンシュン と弾き
表面を汚したのですが・・・・


その写真を撮るのを忘れました



そして 色紙の表には

日本語と

舵社 で 昨年の震災の復興キャンペーンの一つとして
作った タダミさん のイラスト入りのステッカーを

両面テープで張りました



どっちの面が好みかな~

色紙は・・・・
白い紙が張ってあるほうが裏
金・銀の模様があるのが表で

著名な方に書いていただくときは
金銀の模様があるほうを差し出し
お願いし・・・・

受け取った方が
イエイエ 私など表に書くほどの者ではありません

と、裏の 白い方に書くのが本当なのだそうですが

ふたつや文具には学校の先生も買いに来られ・・・


その説明に角が立ちそうで
最後の方の説明は笑ってごまかします♪



帰り際にベッドサイドを見たら・・・・・

ロゼッタペーパーが表になってぶら下がっておりました



こんな バルボッサ船長
本名は
吉田八岑
よしだ やつお
さんです

先週 僕が影響を受けた作家さん
井上ひさしさん
田辺英蔵さん
そして
吉田八岑さん



作家??
と思われた方もいらっしゃるのでは?




先週 お見舞いに行ったときに
声に出して読みたい日本語
がベッドの上にあり

これ あげるよ

と、頂いたのですが
その本に
お父様の 吉田一穂 さんの詩が中原中也の前のページに収録されていました
以前 ご自宅にお邪魔した時に
お父様の本を見せていただき
パラパラ見たのですが・・・・
僕には難しい・・・

そして
バルボッサ船長の中世史研究
断頭政治 暗黒時代 魔女狩り

の本も僕には難しく
でも、ネットで調べると
吉田さんの本を絶賛なさっている方もいらっしゃいます

僕には計り知れない一面の世界です

今 書きかけの原稿が二冊あるそうで
その一冊が

めふまどろふ

??

冥府魔道録

と書くそうです

それで 僕が・・・・
脳卒中で倒れたとき
良く 臨死体験とかあって
花畑が出てきたり
三途の河があったり

そういうの 見ませんでしたか?

見たら 本に活かせそうなのに

と言ったら

まじめな本なの

と、叱責を・・・・

でも、どんな まじめな本でも
実体験ならまじめだと思うんだけど・・・・

どんな内容の本なのでしょう?

でも、題材に臨死体験が活きそうなんだけどな~
と、まだ思っている僕です・・・・


でも、元気になられて良かった

何で こんなに元気になられたんだろう?
キット 病院から転院されたリハビリ施設がよかったんですね

あれ~ この施設
我が家の長男が通った学校関連の リハビリ施設だ~

理学療法士を育てる学校直営だもの
リハには絶対の信頼が寄せられますね

良かった良かった





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セントエルモの火・・・・

2012年04月23日 | Weblog
2012、卯月

久しぶりの更新です


毎週のように江ノ島には通っております♪


年明けから更新していなかったのですが
この間江ノ島の僕の船を取り巻く環境は随分変わりました

一番変わったのは船の置き場



太陽により近い
LA = ロスアンジェルス・・・?

LAバースが新設されお引越し

出艇回数が多い人から順番に並んでいるそうです・・・
僕は比較的海側・・・

コレも 一生懸命毎週海に通い続けている賜物♪

4月1日に引越し一番乗り

周りに船が一隻もおらず
だだっぴろいバースを独り占め

上の写真を見て判るとおり
パラソルは広げておりません
理由は 風が強いから・・・

それでもパラソルをテーブルに差しているのは
トビ 避け

そして 船から離れているのは
海側に僕より出艇回数の多い人の船が移動してきたから
より 景色のよいところにテーブルごと移動しました


そして 昨日 22日は 海底掃除



釣りの人が主催の会らしいです

緑のジャケットの背中に書いてありました

なんて書いてあったか忘れました・・・・




いつもなら もう ゴールデンウイーク
あっ
来週はもう ゴールデンウイークだ♪

この季節もっと暖かいはずで
日程組んだんだろうに・・・・

見ているだけで 寒かったのに
潜られている方はさぞ 冷たかったでしょうに



このダイビング
お嫁さんもやっていて
それで 沖縄に一時住んでいたそうだ



潜る

と言えば 夏になると

競泳用のチッチャイ水着着て
デッキの上を闊歩して
台風が近づくとロープを背負って海に潜る

今日は撮影
と云うと 黒いマントを翻し
アフトデッキでポーズを決める

中世史研究家



江ノ島の名物船長

そして 名物海賊船



この船が浮かんでから
42年

この船に費やした金額
8000万円を越えた

海賊 バルボッサ
も船を降りる決心をし

一切の金額を貰わない代わりに
支払いもしない

と云う条件で貰い受けた人が自力で持っていく

で あげる

そして あげる 相手が見つかり

持って行く準備の為に 陸にあげた



これから 解装して トラックに積み込むのだそうだ

普通のヨットと違い
コレを 解いてしまったら 余程の熟練者じゃないと
艤装は難しいのでは?

なんたって 動索 静索 共にすべて黒いロープ

何メートルって言ったかな?
この艤装に使うために特注で黒いロープを
何百メートルだかを作らせ
殆ど 使い切ってしまった

と云うことでした

歴史を逆行する
中世史研究家

歴史を逆行する
横帆 ガフリグ

帆走性能がよい訳がない

それでも コレはこれで正しい海での時間の使い方




だったんですね~

と、コレもまたオールドソルトの九州にいる T さんと先日電話で話しをしました



東京オリンピック の6年後に浮かんだ セントエルモ号
確か 小豆島の造船所で作り
陸送で運んできたんだと 聴いた記憶があります



当然 この聖火台は当時 防波堤の上に建っていた

それを ここに移設した

ハーバーマスターに この前

あの聖火台 オリンピック以降火は灯っていません?

ハイ オリンピック以降はつくはずがない

と、システム上のことで つくはずがない

と、おっしゃっていましたが

僕 点いたの見たことがあるんですよね

と云うと 

オリンピックのときでしょう

いや オリンピックのときは 生まれていない
と云うほど ずーずーしくはない・・・・
でも、当時 8歳

テレビ中継でも 見たのは 重量上げ 柔道 フェンシング

江ノ島のヨット競技なんて 切手は持っていても
当時は興味もなかったし
ましてや テレビで放映されるほどの競技でもなかった

じゃ、本かなんかで見たのを
実際に見た
と、思い違いをしているのかな~

確か 僕も出たオリンピックウイークの時に・・・・小船で聖火を防波堤まで運び点火・・・・したと


と、ここまで話すと ハーバーマスターが

あ~~~~っ
一度だけ オリンピックウイークの時につけた
あの内側に 灯油を浸み込ませた石綿を詰めて

そうだそうだ

と、ハーバーマスターも懐かしそうでした



スピンナヤーン
と云う言葉があります

帆船時代の船乗りが 暇な凪の日にデッキで古いロープを紡ぎながら
くだくだと 繰り返されるたわいのない長話のこと

セントエルモの上では強風の風待ちのときにも
寒すぎても
雨でも
このスピンナヤーン が繰り広げられる

僕が 最初にこの船にご厄介になり出した時に
この船のクルーの教科書を読んでこないと・・・・

と、いわれた本の題名は
船になりたくなかった船

と云う本のタイトル

本屋さんに行って 次の日曜日までに読んでハーバーに向かった

大した話ではない
と言ったら 著者に失礼ですが



わー 調べたら出てきた♪



木造船のメンテナンスの心意気

が 表されている本だった

一つ 今でも覚えているのは

船底から水漏れが酷くなったら
底が泥の川に入り込み思い切ってバックでスクリューを回す

すると 水漏れ箇所に泥が入って水漏れが止まる

と云う ハウツーもの ではなく

小説です

こんな話が スピンナヤーン

バルボッサ 船長と繰り広げた 話

それを 文字にして残しておけば
B&B の おばあちゃんの話くらい面白くて
本にしたら 売れただろうに・・・・

惜しいことをしたな~

僕が 普段の生活で明らかに影響を受けているな~
と思う 作家さんは 井上ひさしさんと 田辺英蔵さん そして 吉田船長

どんなに面白く 真実の話でも それが自分の考えから出ていなければ まったく面白くない

でも、
多少つまらなくても 多少嘘っぽい話でも それが自分のオリジナリティー溢れる話なら最高に面白い

と、僕が思うようになったのは上記の三氏



そして 昨日 江ノ島の帰りに
おそるおそる 病室のドアを叩いた

あ~あ なんという・・・・・・・・

点滴 チューブ類に繋がれた
完成前の鉄腕アトム



を、想像していたのに
一人で椅子に座っていた

廊下の空気と共に室内に入ると
左麻痺

で僕の顔すら覚えていない 老人が・・・・

と思いきや
ヤー 忙しいのに

と、歓待してくれたアトは
もう 吉田節炸裂

3月18日に倒れ 1週間 意識がなかったが
二週間目に持ち直し
4月4日に リハビリ専門のこの施設に転院

毎日 3時間の理学療法 作業療法

古事記には何が書かれているか
ゲルマニュームを発見した人は

3 4 5 7 3

はい逆から言って

等々 毎日のリハビリの様子を面白おかしく話してくれる

左麻痺 と、奥様に伺っていたが
電話をしてから 10日
この10日でも相当の改善があったのだと思うのですが
とても元気で 88% は元に戻っている感じがしました

ナイショで 杖無しで歩く練習もしている

と、部屋の中で何にもつかまらずに歩いている

以前は舌を出すと左に曲がった
と云うが まっすぐに出て
言語もシッカリしている

でも、相変わらず 時に 大法螺を吹いていますが・・・・

退院に先立って 家の写真を病院に提出

でも、バルボッサ船長の部屋の写真は出せなかった

何故って・・・・
セントエルモのキャビンより凄い事になっていて
警察が来るかも!!

と云う話でした


船の話をするのもイヤかな?

と、勝手に思っていたのですが実にさっぱりと
降りる決断をしたアトで倒れてよかった

と、ヨットの話も明るくしてくれたのでとても嬉しかった

物事には 始めがあれば 終わりがあることは道理だから

でも、お前は あと 30年やれるな

と、お墨付きを頂いたのですが
それまで 財布からお金が出るか・・・・・・

バルボッサ 船長の話では
あまり 人に会いたくないそうだ

それでも 僕を歓待してくれた
まあ、気軽に冗談と 嘘と ホラ を話せる相手なんでしょうね


と云うわけで ご心配なさっている方もおいででしょうから・・・・

元気な姿を

写真も撮るの嫌がるかな~
と思ったのですが

奥様が じゃ 一緒に写真撮りましょ
と言ってくださったので・・・・・
元気な姿を



今度は 僕の船に乗って
コフィン湾を目指しましょう♪



どこだ そりゃ??
それは又 今度・・・・




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海賊ジャック のお話♪

2012年04月11日 | Weblog
海賊ジャックは暴れ者
若くて 強くて ハンサムで
七つの海に その名をとどろかせ
どくろのマークの帆を見れば
人食いジョーズも逃げ出した
だけどジャックもやっぱり男
かわいい娘に恋をした
娘はジャックに こう言った
『海賊辞めてよ お願い』

海賊ジャックは 海を捨て
まじめにせっせと働いた
ある日カモメが田神を持ってきた
『お前がいなけりゃ寂しいぜ
 すべての海の男より』
町にゃ嵐も 星空もない
おいらは町じゃ死んじまう
海賊ジャックは逆戻り
七つの海をおおあばれ
みんなジャックの船を見ると
逃げ出すけれど 好きなのさ
ホントの海の男なのさ
海賊ジャックのお話

というのは 加山雄三さんの歌♪

このレコードは我が家にあるのですが・・・・
何年前のLPでしょう??

とにかく LPレコードだし
結婚してから買った記憶がないので 
もう 30年以上前のものだと思います



そして 今

海賊ジャック
と言えば

ジャック スパロー

でも・・・・

今日 お電話したのは

海賊 バルボッサ の奥様に・・・・




そう、こんな感じの海賊

僕も海の上で会うと
バウの大砲が火を噴くぞ

と、脅され
本物の大砲の音を録音したのを轟かせ

キャビンの大砲は赤く燃え出す


こんな 子供心満載で
色々な事をよくご存知で

僕が最初にこの海賊さんと知り合った頃は
ごく普通の マルコニーカッターリグのスループ艇でした

僕が最初に声をかけたのは・・・
長男が生まれる前に 自分の船が出せずにハーバー内をフラフラしている時に
僕が作り始めた6.5メートルのヨットとよく似たラインだな~
誰の設計なんだろう?

横山晃先生の シードルフィン マヒマヒ はキャットボート(セールが一枚のヨット)だし
この船はスループリグ(よくある二枚帆)

違うのかな~

と思いながらも声をかけさせていただき話をしたのが
確か最初です

あれから もう 30年

ハーバー内の岡本造船さんで大改装

その時も ここをこうして バウスプリットを 何センチ延長し

などと 話しておられました

それまで使っていた ジブセール(前帆)をそのまま上げると
それまではワーキングジブ(切れ上がった感じの前帆)っぽかったセールも
ゼノア(レース艇などに見られる大きな前帆)ふうに見えて扱いにくい
セールの下にプリペンダー入れましょうよ
セールリカットしましょうか?
じゃ、ここに穴あけて金具をつけ
カッターリグ(前帆二枚)にしましょうよ

と、僕がこの船で始めてリグ 帆走 帆 の根本を変えましょうよ
と提案した

ラット(蛇輪=自動車のハンドル見たいなもの)もどうも使いにくい
と云うと
翌週には 僕の為にティラー(小さいヨットの蛇棒)
を出しておいてくれたりして
毎週のように海に乗り出した

風と坊主は10時から

と言う 名言も バルボッサ船長から教えていただいた



この船 このくらいの風じゃ帆走らないですね

と言って帰港すると 今日 春一番が吹いた

と聞いて二人して大笑いしたことも♪

でも、暖かくなれば自分のビショビショになって乗るディンギーに乗り
反対にこの船の出艇回数はへり・・・・


それでも 海上で見かけると追いかけ声をかけると

前述の 射程距離内に入るとセールにセール面積より大きな風穴が開くぞ

と、大砲にロケット花火を入れたり ナン連発 という花火をセットする

帆走なら絶対に僕の小さい船の方が早い♪

海賊船の右舷に行ったり左舷に行ったり

クルクル 回りこんでいた


姉夫婦がロスに転勤になる前に
思いで作り
と、葉山沖の菜島まで姉の子供を乗せて海水浴に連れて行ってくれたりもしました

シアトルのボブさんが遊びに来た時に
風が強く僕の船が出せずにハーバーをフラフラして

困った時の海賊船

チョットお邪魔したら・・・・

プレゼントする物が何もないから

と、アメリカ国歌を大音量で流してくれたこともありました

僕が最初に言った頃と随分リグも変わりましたが
バルボッサ船長の遊び心は不変です

オートバイも知り合った頃は
125のジェンマでした
その後フュージョンにして・・・

我が家にも遊びに来たこともありましたし
僕も海賊のアジトにお邪魔したこともありました

その頃某有名大学の図書館にお勤めで
その大学の由緒正しい時計を捨てちゃう
と言うのをもらいうけ枠の木でなにやら作ったり

そうだ画像あるかな

見つからないな~

冬のキャビンで過ごす一興にと出入り口の明り取りの窓に
ステンドグラス風の絵を描いたこともあったな~

そのバルボッサ船長に最近お会いしなくておかしいな~
確か引っ越されて 新しい名刺が・・・・
無いなあ~


で、今日こらえきれずに古い名刺の電話番号に電話をしたら
ラッキー

変わっていなかった

でも、船長は脳梗塞で倒れ入院
今はリハビリ施設に入院
とのことを奥様から伺い
もう海賊船は降りられるそうです


僕も含め 誰でも船を降りる日が来る

去年 お前がその気ならバースごとあげる

と言われたのですが 僕にはとてもそんな財力はありません

自分の5mの陸置き料がMAXです

とても 総全長 8m の海上係留 料なんて

僕の年収になっちゃいます

脳梗塞で倒れた友人は運動障害が残る
と言われつつも 元気に快復し
今も学生の時から続けているテニスをし マスターズの大会に出場し毎回上位に顔を出しています

今度は僕の船に乗りに着てください


オートバイも数年前に降り自転車

そのときは理由も聞いていたし寂しさはありませんでしたが
今回は とっても 寂しいです

今年は 寂しいことが続いていやになります

ビックリした船長のお話でした

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