奈良国立博物館に勤務され、仏教美術で名高い西山厚さんは、ある知的障害者の施設から「死ぬことはこわくない」という内容で話をしてほしいという依頼を受けました。
お坊さんでもない自分がそのような話をしてよいものかどうか悩んだあげく、講演を引き受け、釈迦の死の様子を話したそうです。『いきなりはじめる仏教生活』(釈徹宗著 新潮文庫)によるとその内容は次のようなものでした。
釈迦の死に際して、釈尊の母マーヤは雲に乗って迎えに来た、という逸話があります。その光景は涅槃図にもしばしば描かれています。かつてこのエピソードを西山さんは「釈迦という人は生まれてすぐに母を亡くしている。自分を産んですぐに亡くなった母を、臨終に思慕したことが表現されているのだろう」と捉えていました。
ところが、西山さんの父が亡くなったとき、その考えを改めることになります。西山さんの父は「母(西山さんの祖母)が迎えにくる」と、とても嬉しそうに死に臨んだのです。その光景を目の当たりにした西山さんとその家族は、「おばあちゃんはあんなにお父さんのことが大好きだったからお迎えにくるのは不思議でもなんでもない」と感じたそうです。
それから、西山さんは自分が死ぬときには間違いなく父が来ると確信するようになったのです。あれほど私を愛してくれた父が迎えに来ないはずがない、という確信です。だから、そのときに素敵な話がいっぱいできるような生き方をしよう、そういう話を施設でしたそうです。(前掲書 246頁)
この施設では入所者の高齢化が進み、身近な人の死を体験することで、死がリアルなものになっています。西山さんへの講演依頼は、死への恐怖をすこしでも和らげたいという施設の配慮でした。
講演から1ヶ月後、西山さんのもとに施設の利用者たちから手紙が届きます。「しぬのはまだまだこわいけれど、おかあさんにあへるのがたのしみです。おはなしをしてくれてありがとうございます」そう書いてあったのだそうです。
このエピソードを引いた釈徹宗さんは、宗教というものは前世や来世といったこの世界の外部を設定するけれども、それは日常生活からの逃避として機能するのではないと言います。そうではなく、「外部への回路を開いて、今ここを生きるため」にこそ設定されていると強調します。
私たちは「見えるいのち」しか見ることができないなら、どこまでいっても快と不快に振り回され続けなければなりません。逆に「また会おう」という言葉を信じられるならば、それは小賢しい知性など足元にも及ばない連綿と続く力を得ることができるでしょう。
釈徹宗さんはこのエピソードを紹介した後、「宗教は今を生きる力」という流行の機能論についても、疑問を投げかけます。宗教の本質はそのような功利的な知性から隔絶した「死後性」にこそあるというのです。
日常世界の外部への回路を開くことで日常生活の大切さを体験し、日常生活をよりよく生きることができる。釈さんは仏教のエートスをそのように強調します。