作家の高橋和巳は『わが解体』(河出文庫)で、立命館大学学園紛争の全期間中、全学封鎖の際にも午後11時まで煌々と電気をつけて、ひとり地道な研究を続ける、ある研究者について触れています。
団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。(17頁)
ここで述べられたS教授とは、中国古代文学の泰斗、白川静教授(故人)のことです。
白川教授が、どうして学内の騒然とした空気を意に介さぬかのごとく研究を続けることができたのか、また団交の席において学生達を圧倒する存在であり得たのか。
その理由は、教授が「たった一つの窓明り」のもとで何を研究されていたのかに思いを致すことで、おぼろげながら判明してくるように思います。
教授は中国古代文字を研究するなかで、そこに反映されている古代社会の構造を明らかにしていきます。金文・甲骨文字に込められていた宗教性や儀礼性をあぶり出すとともに、その儀礼が今、現に営まれているかのように鮮明に描き出すのです。
古代の儀礼、例えば、神庫に収納する農耕具に害虫が付着しないように祈る儀礼の記述においては、邪気を祓うために打ちならす古代人の鼓音が聞こえるようです。白川教授の頭の中で、古代人の生活がそのまま営まれていたからこそ可能な仕事です。
それはちょうど、武道の達人が、いにしえの名人の妙技を具体的にイメージしながら、日々の稽古を重ねる姿に似ています。
武道家の甲野善紀さんは、松林左馬助という名人の江戸城内で披露されたという超人的な演武を、遠い目標として掲げているそうです。水平線の向こうにうっすらと見える陸地の影のようにはるかに遠い目標でありながら、なおかつ具体的なイメージをもってとらえることができるといいます。
数百年、数千年前のできごとを、あたかも自分で見てきたかのように語ることのできる、きわめて遠大な時間感覚の持ち主こそが、遠くの目印をもつことができます。そして北極星のような遠くの目標は、船が針路を過たないために、最も重要なものです。
白川静は、みずからのなかに北極星を抱き続けた人でした。学生達にとって「たった一つの部屋の窓明り」が気になって仕方がなかったのは、このためだと思います。