アメリカの児童文学者ルイス・サッカーが書いた『穴』という小説があります。児童向けの図書ということもあり、易しい英語で書かれているので、原書『HOLES』は中学生のペーパーバック入門書として推薦されることもあります。
主人公のスタンリー少年は、無実の罪で荒野の真ん中にある少年更生施設に入れられ、そこで来る日も来る日も穴を掘る生活を強いられることになります。しかし、少年は祖先にかけられた「呪い」のせいで、自分の家系はずっと運に見放されているのだと、なかば自嘲的に自分の運命を受け入れています。
物語は、スタンリーの更生施設での生活の様子に、さまざまなエピソードが挿入されて展開します。5世代前の祖先がつらい目にあってラトヴィアからアメリカに渡ってきたこと、その時に不義理をしてしまったことが「呪い」のようにその子孫に災いをもたらしたこと、そのために祖父の代にはせっかく築いた財産を強盗に奪われてしまったことなどが、一見なんの脈絡もなく綴られていきます。
やがて、施設の友人を助けて一緒に更生施設を脱走する過程で、それまで語られてきたエピソードが、ジグソーパズルのピースが組み合うように、ひとつの物語を紡ぎだします。
読後はとてもさわやかな印象が残りますが、著者ルイス・サッカーの怒りが通奏低音のように響いているように感じます。
人種や貧富の差による差別や不寛容がどれほど社会を蝕むものなのか、著者の怒りはそこに向けられます。それでも多様な人々が力を合わせることで「呪い」を解くように、よりよい社会を目指せるのだという希望もまた込められています。
少年の祖先が目指したアメリカという国は、それができる国なのだということを大人は子供たちに向けて語ることができました。
1998年の作品ですので、たった19年前のことです。
アメリカの作家ジョナサン・サフラン・フォアの『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は9.11同時多発テロを題材にした小説です。
9.11テロで父親を亡くしたオスカー少年は、ニューヨークの住人のなかから父親の遺品と関係のありそうな人をリストアップし、直接コンタクトをとろうとします。物語は、オスカーのニューヨーク探索を縦糸に展開し、オスカーの祖父がドレスデン空爆で恋人を失い、失意のうちにドイツからアメリカに渡ったエピソード、その祖父からオスカーの父に宛てた手紙、オスカーの祖母からオスカーに宛てた手紙が交互に披露されるという筋立てになっています。
それぞれが全く別のエピソードのようでありながら、互いに絡みあって、ひとつにまとまっていきます。読者はオスカーの心の傷の深さに改めて思いを致しながら、それでもオスカーを温かく迎えた多様な人種のニューヨーカーたちと一緒に、確かな望みを持つことができるのです。
オスカーの祖父が傷心の末にたどり着いたアメリカは、そのような望みを持つことができる国なのだという誇りを、人々は9.11からの再生の誓いとともに持つことができました。
2005年の作品ですので、たった12年前のことです。
いま、多くの大人になったスタンリーたち、オスカーたちは2016年に選挙に行かなかったことを後悔していると思います。
それでも私は、スタンリーが施設から脱走したように、オスカーがニューヨークじゅうを駆けずり回ったように、彼らが希望に向けて走り出すことを期待しています。