中村天風の講演の名調子は、今となってはCDなどで窺い知ることができるのみです。
しかし、活字でも天風の息遣いやその温かな眼差しまでも、再現してくれるものがあります。その中のひとつ、天風に師事した宇野千代さんの手による講演録を紹介します。
これは、肺結核も治癒せず、ヨーロッパから失意のうちに帰還する船の中で、世話になった女優のサラ・ベルナールから渡されたカントの自伝を読み、天風が大いに感激したときのことを語ったものです。
その前に、病弱だった子ども時代のカントの様子を説明しておかねばなりません。
カントは貧しい馬の蹄鉄打ちの息子に生まれました。背中に大きな団子のような瘤があり、脈が常に乱れ、喘息に苦しむ、今にも死にそうな子どもだったそうです。年に二、三回巡回してくる医者に、父親は治る見込みはなくとも、苦しみだけは軽くしてやろうとカントの手を引いて連れて行きました。
その時の医師の言葉が、カントの人生を変えることになります。
おそらく、自伝にはこの通りに記されていなかったのでしょうが、天風の面目躍如たる語りっぷりです。
以下、講演録からの引用です。医師は次のように語りかけました。
気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒だな、というのは、体を見ただけのことだよ。
よく考えてごらん。体はなるほど気の毒だが、苦しかろう、つらかろう、それは医者が見てもわかる。けれども、あなたは、心はどうでもないだろう。心までも、見苦しくて、息がドキドキしているなら、これは別だけれども、あなたの心は、どうもないだろう。
そうして、どうだ、苦しい、つらい、苦しい、つらいと言っていたところで、この苦しい、つらいが治るものじゃないだろう。ここであなたが、苦しい、つらいと言えば、おっかさんだって、おとっつぁんだって、やはり苦しい、つらいわね。言ったって言わなくったって、何にもならない。ましてや、言えば言うほど、よけい苦しくなるだろ、みんながね。言ったって何にもならない。かえって迷惑するのはわかっていることだろ。
同じ、苦しい、つらいと言うその口で、心の丈夫なことを、喜びと感謝に考えればいいだろう。体はとにかく、丈夫な心のおかげで、お前は死なずに生きているじゃないか。死なずに生きているのは、丈夫な心のおかげなんだから、それを喜びと感謝に変えていったらどうだね。できるだろう。そうしてごらん。
そうすれば、急に死んじまうようなことはない。そして、また、苦しい、つらいもだいぶ軽くなるよ。私の言ったことはわかったろ。そうしてごらん。一日でも、二日でもな。わからなければ、お前の不幸だ。それだけが、お前を診察した、私のお前に与える診断の言葉だ。
わかったかい。薬はいりません。お帰り。
(『中村天風の生きる手本』宇野千代著 中村天風述 三笠書房 218頁)
カントは家に帰って、愚直に医師の言葉に従います。そして三日ばかり経つうちに、こう考えるようになりました。人間というものは、こういう気持ちでいるだけで、今までとは違ってくるようだ。本当に当分死なないような気もしてくる。心が丈夫でいることは、どうやら間違いのないことだから、心と体と、どちらがほんとうの自分なのか、これからじっくり考えてみよう、と。
天風は、これを読んで魂の震えるような感動を覚え、先ほど船上で出会ったばかりのインドの行者カリアッパ師の言葉、は、まさにカントにとっての医師の言葉そのものではないかと深く感じ入るのです。そしてカリアッパ師に師事することを心に誓うのでした。
そして、講演を次のように結びます。
宇宙の真理はああだ、こうだと理屈を言う必要はないのであります。論より証拠です。喜びと感謝の気持ちになって、生きてごらんなさい。理屈を言わないで。
自然とあなた方の心のなかに、大きな光明が輝き出すから。
(前傾書 227頁)
天風はよく言います。こう考えろと無理には言わないけれど、「考えなさい、そのほうが得だ」と。
これはプラグマティズムというのではなく、迷いの底に沈んでいる人に対してスッと手をさしのばす、自然なこころの働きなのだと思います。