大江山桔梗刈萱吾亦紅(ききょう かるかや われもこう) 君がわか死われを老いしむ
(馬場あき子『桜花伝承』)
大江山は酒呑童子で有名な場所で、この歌の上句は能楽「大江山」の謡の一節を引いています。
能楽「大江山」では、鬼退治の勅命を受けた源頼光の一行は、山伏姿に身を扮して、酒呑童子の隠れ家に宿を求めます。鬼たちは一行をもてなし、酒を勧めようとするのですが、そのときの鬼のセリフが次のように謡われます。
頃しも秋の山草、桔梗刈萱破帽額(ききょう かるかや われもこう) 紫苑といふは何やらん 鬼の醜草とは、誰がつけし名なるぞ
世を拗ねたような響きですが、謡曲で酒呑童子が語るところによれば、もともと比叡山に住んでいたものを、大師坊という「えせ人」がやって来たために比叡山を追い出されたのだそうです。つまり、鬼たちは現状に対する鬱屈が貯まっていたのです。大師坊とは最澄のことらしく、鬼というのは朝意を背景に幅をきかせる宗教に締め出された、あるいは土俗宗教の人たちのことを指していたのかもしれません。
さて、酔い潰れた鬼たちを、源頼光一行は斬りつけて退治してしまうのですが、これはどう見ても騙し討ちであり、鬼たちの哀れさのみが引き立つ話です。
先ほどの鬼のセリフにもう少し付け加えると、「鬼の醜草」は紫苑の異称で、今昔物語に次のようなくだりがあります。
親を亡くした二人の息子の、兄の方は悲しみを忘れる「忘れ草(萱草)」を、弟は「思い草(紫苑)」を墓に植えて毎日墓参しました。兄は次第に墓参りをしなくなったのに対し、弟は墓参りを欠かしませんでした。墓を守る鬼は弟の孝心にいたく感じいったのだそうです。
鬼の讃えた孝心のしるしに対し「醜草(しこくさ)」の呼び名はないだろうと、やはり鬼が気の毒に思えてきます。
ずいぶん回り道をしてしまいましたが、冒頭の歌に戻ります。
「君がわか死」とは、馬場あき子が幼いときに亡くなった、生みの母親のことを指しているのだそうです。大江山はその亡き母の生まれ故郷に近く、酒呑童子のセリフを上句に置いて、鬼の言葉にかぶせるように母の早逝と今の自分とを詠んでいます。
母の墓前に思い草を手向ける日々を重ねるうちに、私も老境にさしかかろうとしていると。
酒呑童子の無念も、墓を見守る鬼の目も、ひとつの歌に折り重なっていて、亡き母に語りかける言葉に、鬼たちの言葉が遠く響き合うのです。
●こちらもよろしくお願いします→『ほかならぬあのひと』出版しました。