goo blog サービス終了のお知らせ 

犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

一粒万倍の炉開き

2021-11-06 19:05:02 | 日記

今日のお茶の稽古は炉開きでした。今日から炉を使っての稽古が始まります。

旧暦十月の「亥」の日に、炉を開いてお祝いをするのが炉開きです。亥は子だくさんで火を消す習性があることから、子孫繁栄と火難を免れることを祈ってこの日に炉を開くことを始めたのだそうです。
炉開きでは、師匠が社中にぜんざいを振る舞います。ぜんざいの小豆には子孫繁栄を願う思いのほかに、陰陽の調和を図るという意味があるのだそうです。亥の月日が「陰」であるのに対して、小豆という「陽」のものをいただくのです。

薄茶の稽古では、玄々斎好みの「徳風棗」が使われました。
徳風棗には蓋の表に「一粒万倍」の文字が、蓋裏に籾が九粒描かれています。一粒の籾からいくつもの稲穂が育ち、籾は万倍に増えていくという、これも子孫繁栄の思いに通じます。蓋裏の籾の九は「陽=奇数」の最大数であり、陰陽調和の思いが込められています。
ちなみに徳風棗の「徳風」とは、論語の言葉「君子の徳は風なり」から取られたものです。君子の徳は風のように人々を統べる、という意味でしょうか。君子の徳は、それでは陽なのか陰なのか。枝を張り葉を繁らせて無限に分化する働きは「陽」であって、その分化、派生をひとつにまとめて、活力を蓄える働きが「陰」なのだとすると、徳風は「陰」の働きなのではないか、などと考えます。

茶道の作法には、この「陰陽」の話がよく出てきますが、わたしはあまり熱心に耳を傾けることはありませんでした。その考え方じたいに人を励まし導く力を感じることができないからです。しかし、炉開きの席で、懐かしい社中のお顔を久しぶりに拝見して、しみじみと感じることがあります。
事故でお身内を亡くされて、しばらく喪に服されていた方の姿もあって、皆でおめでとうございますと声を揃えるときには、そこに祈りのようなものが込められていたように思いました。祈りにはおのずから形が生じ、陰や陽といった言葉が結ばれるのでしょう。その言葉に各々の思いを乗せることで、祈りは倍音のように膨らむように感じました。
お茶の席が、人と人が出会って思いをかよわせる場なのだということを、改めて考える一日でした。

よろしかったらこちらもどうぞ → 『ほかならぬあのひと』出版しました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする