少し前にふれた吉野弘の詩集『花と木のうた』(青土社)のなかに「闇と花」という一文が収められていて、そこで植物が花の芽をつけるための条件を知りました。
アサガオは一定時間、連続した闇のなかにいないと、花の芽ができません。この闇は必ず継続していなければならず、一瞬でも電灯などで照らしてしまうと、花の芽はできないといいます。花の芽はフロリゲンという植物ホルモンによってでき、この物質が体内に作られるためには8時間から9時間の闇が必要とされるのです。
これが、アサガオ、キク、コスモスなど、夏から秋にかけて次第に日の短くなってゆく頃に花を咲かせる「短日植物」の特徴です。
冷たい夏や温かい冬があるように、気温の変化は気まぐれで頼りになりません。地球の公転という大きな運動によってもたらされる、一定時間の闇の訪れこそが、かれらにとっての大事なスイッチなのです。
自分の力ではどうしようもない闇が訪れたとき、希望を見出そうと闇のなかで身をよじる、花を咲かせるとは、まるでそんな姿ではないかと思います。
吉野は次のように述べています。
太陽をはじめ無数の星だって、宇宙の闇から生まれたものだ。朝顔の花の芽が闇の中でできるのは、不思議でも何でもないことかもしれない。
人間もまた一生を通じて、多くのことを考え、迷い、納得し発見しながら生きてゆく。
そのときどきの発見や到達点をかりに花と呼ぶことができるならば、その花は、おそらくその人の入りこんだ精神的な闇から生まれるのではないか。(前掲書 104頁)
花は闇を抱えてこそ咲くというのです。
それでは、これと正反対の反応を示す「長日植物」の花は、どうやって花の芽をつけるのでしょうか。気になって調べてみました。
ナデシコやムクゲなどの「長日植物」は、闇の時間が短かくなることで花の芽ができます。ただ、それだけでは十分ではなく、一定期間の寒冷期を経ることを必要とします。大地の凍えは命を危険にさらすほどの試練であるがゆえに、それを乗り越えた闇の短さが、時期をたがわず花の芽をつけるためのスイッチになり得るのでしょう。
ムクゲの花のふわりとした感覚は、試練を経たもののみが醸し出しうる、慈悲の力を表しているようにも見えます。