お茶の稽古のために向かう駐車場への道を少し遠回りしてみると、生垣にカシワバアジサイが見事に群生しているのを見つけました。昨年引越しして以来、自然の植物に触れ合う機会が少なかっただけに、新鮮な驚きでした。
円錐形の白い花房が幾すじも空に向かって伸びてゆく姿は、生命のひたむきな息吹を感じさせます。ひたすらに生きてやまない命のたくましさを持つこの花には、梅雨どきの鬱陶しい日だからこそ、見るたびに力づけられます。
アジサイの花すべてに言えることですが、その花びらのように見えるものは、「がく片」と呼ばれるもので、この部分は「装飾花」なのだそうです。つまり、花粉を運ぶ昆虫を誘引するために、見た目だけが華やかに発達した器官です。「がく片」は小さな花弁を持ちますが、めしべが退化していて種子を作ることはありません。カシワバアジサイの場合、この装飾花が円錐状の房をかたちづくるため、その華やかさが際立つのです。
花の本体は、花房の中心部にある緑のつぼみのような部分で、小さいながら、花弁、めしべ、おしべを持っており、ここで種子を作ります。なぜ装飾花で着飾るのに、花の本体はその奥で慎ましやかにしているのかは謎ですが、生命のたくましさに見えたものは、実のところ知恵の限りを尽くした、精一杯の背伸びなのだとすると、かえってその努力が愛おしくもあります。
お茶の稽古場の掛軸で拝見した禅語「一滴潤乾坤」(一滴けんこんを潤す)は、一滴の水が全宇宙を潤すという意味を表しています。一滴の水が大地にしみわたり、やがて大地の歓喜が、たくましい花房になって地上に湧き出でる。茶掛の禅語とカシワバアジサイが互いに響き合って、そんな様子を連想しました。
大地の力はたくましさだけではない、精緻な知恵の働きもはらんでいて、我々の理解を遥かに超えた大胆さ、繊細さを湛えています。一滴の水が大地を潤すということは、かくも豊かな結果をもたらすことなのだと、改めて知らされます。