前回に続いて、茨木のり子の詩集からの引用です。
六月 (茨木のり子『見えない配達夫』)
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
この詩が発表されたのが昭和31年で、朝鮮戦争が3年前に休戦し、経済白書に「もはや戦後ではない」と記された年に当たります。日本がこれから高度経済成長に突入しようという時期です。
この時期の日本の社会を、詩人が明るいものと見ていないことは、ひたすらユートピアを夢想する姿から明らかです。
黒麦酒を満たした大きなジョッキを男女が傾ける村、街路樹がどこまでも続き、若者のさざめきで満ちる街。これらはヨーロッパのどこかの農村風景を連想させて、旅情を掻き立てるような趣さえありますが、三連にいたって調子が変わります。
「場所」ではなく「人と人との力」が詠われるのです。「したしさ」と「おかしさ」と「怒り」は、それぞれバラバラにあるのではなく、「同じ時代を生きる」ことによって、ひとつにまとめられ、そして「鋭い力」へと変換されます。
茨木のり子にとって、ここで書かれる「同じ時代」とは、彼女自身の再生の夢であった民主主義の、本来持っていたはずの可能性のひとつひとつが失われてゆく時代だったのだと思います。唐突に登場する「怒り」という言葉は、まさにここに向けられているのではないでしょうか。うまく立ち振る舞ったものが、既得権益を抱え込んで澄ましているような社会、「したしさ」も「おかしさ」も分かち合うことのない社会、そんなもののために十数年前に尊い犠牲を払ったはずではない、と。
ところで、この詩の題が「六月」とされている理由は、明らかではありません。詩人の誕生日が6月なので、みずからの再生と社会の再生とを重ね合わせて、彼女自身の希望を、せめて詩のかたちで表そうとしたようにも思います。
(写真は「茨木のり子 六月の会」の‘20年6月会報よりお借りしました)