犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

ジギタリスの花

2023-07-06 21:09:27 | 日記


大濠公園のほとりのレストラン前に、ひときわ立派な花壇があります。公園に花壇のないのを寂しいと思った市民ボランティア「大濠公園ガーデニングクラブ」が一念発起して植栽を始め、企業の支援なども得て、今日の堂々とした姿になったのだそうです。
この団体が手入れする6つの花壇には、名も知らない西洋の花々が咲き乱れていて、花の名をひとつひとつ調べていくのも楽しみです。

これらの花の中で垂直にスッと背を伸ばし、下から上に向かって花を付けていくのはジギタリスです。こうやって茎の下から上に向かって順番に咲き上がるのを「無限花序」というのだそうです。天に向かって無限に咲き進むというイメージでしょうか。

この花を詠んだものに、次の歌があります。

赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くジギタリス
(塚本邦雄『水葬物語』)

永田和宏は『作歌のヒント』(NHK出版)のなかでこの歌を「体言止め」の成功例として紹介しています。
無限花序の花が咲き上がるように、体言止めの結句「ジギタリス」から、もう一度初句の「赤い旗のひるがへる野」へと回帰させる巧みさがあります。そうすることで、クローズアップされた「赤い旗」へと、読むものの想像を膨らませる効果を生むのです。

それでは「赤い旗」とは革命の旗を指すのでしょうか。『水葬物語』が1951年刊行なので、そのように捉えても不自然ではないのかも知れません。下から上へ咲き上がるように革命の風が吹き上がるのだと。
しかし、事態はそのように単純なものではなさそうで、この歌の初出時には、次の歌が続いていたのだそうです。

贋札の類かろらかに街を流れ野をながれ暗い夕日にひびき
(塚本邦雄「メトード」創刊号)

贋札とは社会の浮薄さを表しており、この歌はそうしたものへの嫌悪を表しています。そうであれば「赤い旗」にも、嫌悪すべき浮薄さが反映されていたのではないかというのです。この花には毒性があり、西洋では不吉な花というイメージがあるので、浮薄な毒が回ろうとしているという警世の歌であっても不思議ではありません。そうすると初読とは全く別の歌の印象になります。

実はこの解釈は、永田和宏の長男永田淳さんが「塔短歌会」のブログ(2019.7.5)のなかで紹介していたものを、たまたま見つけたものです。このようなかたちで親子が繋がる不思議に、しばし感じ入りました。

ともあれ「赤い旗」の意味にこだわらなければ、最初のジギタリスの歌はエキセントリックな花の姿から、旗のひるがえる象徴的な場面へと切り替わる、鮮やかなイメージを喚起する美しい歌だと思います。

そしてまた、この歌の下から上に咲き上がる花の姿が、花壇を「草の根」で支えようと奮闘してきた、市民ボランティアの姿に重なって見えてきます。彼らの志がつながって、無限の花のリレーを続けてもらいたいと願います。


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