犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

ひょっとしたら自分だったかもしれない

2024-12-11 23:05:05 | 日記

少し前のことになりますが、長崎で被爆して被爆者手帳を持っている方の相続に携わりました。遺族に県から212,000円が振り込まれており、これが「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づく「葬祭料」であることを初めて知りました。むろん非課税財産です。戦後80年にもなろうとしている今日に至るまで、実務の最前線にいるつもりでいた自分の無知を激しく恥じました。

今後、存命している被爆者の数も減り、この制度に基づく受給者も減っていって、制度を知らないことを恥ずかしいと思うこともなくなるのでしょう。もっと恐ろしいのは、被爆者の存在そのもの、被爆の体験そのものの記憶が薄れることであり、これらの事実を知らないことを、恥ずかしいとすら思わなくなることだと思います。

オスロでの日本被団協、代表委員の田中熙巳さんの演説を聞いて、そのときのことを思い出しました。被爆者の平均年齢が85歳に達し、10年先には直接の体験者として話ができるのは、数人にまで減少するだろうと述べておられます。

現存する被爆者の数が減り、被爆の記憶が薄れることの恐ろしさは、「悲惨さを忘れること」ではなく、ひょっとしたら自分が被爆者だったかもしれないという「視座」を、持ち得なくなってしまうことではないかと思います。田中さんは演説の中で、「皆さんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない」と述べておられ、そうした想像力が薄められていくことをこそ、危惧されているのだと思いました。

私より少し上の世代で、ジョーン・バエズの『フォーチュン』(THERE BUT FOR FORTUNE)をしみじみと聞いたり、仲間と歌い合ったりした人たちは多くいたと思います。床に寝転がる酔っ払いや、空爆におびえる人々を、私はひょっとしたら彼らだったかもしれず、彼らは私だったかもしれない、そう考えることを倫理の礎としてとらえることが、普通にできていた時代です。

今では、ひたすら壁をつくり、壁の内側のことだけを考えることが流行りのようで、これを行き過ぎたグローバル資本主義の反動だなどと語られることがあります。しかし、私はこれを端的に、倫理の礎の崩壊だととらえるべきだと思います。

被爆の事実や、被爆者の存在を知らないことを恥ずかしいと思うこと、ひょっとしたら自分だったかもしれないという想像力の欠如は、人として最も大事なものが欠けていること。このあたりまえの感覚を取りもどすことの重要さを、オスロでの演説を聞いて思いました。


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