昭和20年5月25日の3回目の大空襲によって東京は壊滅状態に陥ります。その明け方、対空砲火によってB29が東京郊外に不時着しました。
その搭乗員であるアメリカの飛行中尉は、近所の農民によって散々に暴行を受けたうえ、交番に連れて行かれました。荒縄で縛られ目隠しをされたアメリカ将校を、巡査部長が日本語でしきりに怒鳴り立て、派出所を取り囲むように、もう少し殴らせてくれと農民たちが騒ぎ立てていました。
そこに、たまたま疎開していた中村天風が通りかかります。
天風は縄を解き目隠しをはずすよう巡査部長に命じたうえ、一番上等のお茶をアメリカ将校にいれてあげるように指示しました。憲兵隊隊長が天風の弟子だったので巡査部長は逆らえないのです。
そして派出所を取り囲んでいる群衆に向かってこう呼びかけました。
「おいおい、何を騒いでるんだ。今聞いてるてえと、中に入っている人を出せというが、この中に入っている人はね、アメリカの飛行中尉だ。士官なんだ。外へ出しゃあ、おまえたちが半殺しの目に遭わせちまうだろうけれども、そうしたらおまえたちも懲役に行くぞ。こういう人の身柄を自由にする権利は軍隊にあるだけだ。だから、私はあんた方に聞きたい。あんた方の中で、息子が戦争に行っている者があるなら手を挙げろ。」
ほとんどが手を挙げています。
「それじゃあいま手を挙げた人に聞くが、おまえたちの息子が戦地で、アメリカの人々にとっつかまってこういう目に遭ったとき、いいか、アメリカの人間がそこへわんさか集まってきて、袋だたきにする、半殺しにするといって、それをあとで聞いたら、おまえたち、うれしいか。
ええ?それがうれしいと思ったら、今ここに出してやるから、どうにでもしろ。けど、それが後に世界に伝わって、日本人は鬼よりも無慈悲だといわれたときに、名誉な話じゃないということを考えないか。引き取りなさい。忙しいお百姓の仕事をしているおまえさんたちがそこでわあわあ騒いだからったって、この戦争に勝てるもんじゃない。帰んなさい」
群衆を家に帰した天風は、知事に電話をし車をよこさせて、アメリカ将校を憲兵隊に連れて行きます。そして憲兵隊長にこう命じるのでした。
「たとえ本部からどんな命令がこようとも、おまえの手元にある間だけは不自由なく、お客様扱いにして、この人の一生のよい思い出をつくってやれ」
そうして、天風が流暢な英語で別れの挨拶をすると、アメリカ将校はあなたの名前を聞かせてくれと言います。それに天風はこう答えました。
「さっきから私はあなたとこうやって長い時間、おつき合いしているけれども、一度も私はあなたの名前を聞かないだろ。私はあなたの名誉のためにあなたの名前を聞かないんだ。国と国とは不幸にして戦っているが、人間同士、ここになんの恩も恨みもない。今、私があなたの名前を聞くということは、ジェントルマンらしくないと思うから、あんたも私の名前を聞くな。お互いにあった事実は、一生わすれようたって忘れられることじゃないんだから、今日の日に起こったこのアクシデントは、あなたの記憶のページの中にはっきりしたためておけばよろしい。私ももちろんそうする。そしてまた、長い月日の間、ふたたび会う機会が与えられたときに、大いに今日を昔語りとしようではないか。それまで元気でおれ。さようなら」
この将校はアメリカに帰っても、どうしてもこの出来事が忘れられず、スター・アンド・ストライプスの日本特派員記者を志願します。駐留軍のアイケルバーガー中将にその日の事実をそのまま具申し、GHQの力で天風にまでようやくたどり着きました。
アイケルバーガー中将から「一体あなたは何をする人なのですか。クリスチャンですか。クリスチャンでないとすると、どういうお気持ちで敵の将校をお救いなさったのですか」という質問を受けて、天風はこう答えたそうです。
「人間の気持ちです」
以上のくだりは『心に成功の炎を』(中村天風著 日本経営合理化協会出版局)に書いてあります。
天風の言葉をそのままお伝えしたく、長々とした引用になってしまいました。
若いときにこの話を読んで魂の震えるほど感動したのを覚えています。今、ふたたび読み返してみて、一朝ことあるときに、このように高潔に振る舞える大人がいるだろうか、という不安を覚えます。むろん自分を含めてのことですが。
CDも購入して繰り返し聴いていました。
暫く忘れていましたが、筆者さんの記事で当時の感動(本を読んだ時)が殅ました。
私が強烈に感動したエピソードは18才にして、人を刺し殺したことです。
殺人なのに正当化しなかったことに感動を覚え、それが切っ掛けで読み始めたと思います。
このエピソードも強烈ですね。
日本人であることが嬉しくなるような、人格者のお話を知る事が出来ました。
ありがとうございます。
開国後、欧米列強の国々に植民地にされなかったのも、彼のような人格者が沢山居たからかもと思った次第です。
心して拝読させて頂きました。