好奇心旺盛なおばさんのワクワク日記

勉学優先のセン業主婦!
遠くに見える富士山を眺めつつ、ワクワクしながら学習などにいそしむ日々を書き綴っています

「長恨歌」の七日の読みについて

2012-01-31 22:43:31 | 漢文・漢字
白居易の「長恨歌」の終わりの方に以下の句があります。

七月七日長生殿 夜半無人私語時

「七日」ですが、現在入力中の教科書にはルビがありません。
「しちじつ」なのか「なのか」なのか?
漢詩・漢文教材研究会編集の『漢詩漢文解釈講座 漢詩3』には「しちじつ」とルビがあります。

『基礎から解釈へ 漢文必携三訂版』(桐原書店)には「熟語の漢語は音で読むのが原則である。」とあります。
『漢辞海』には、「二字の(ときにはそれ以上の)熟語は音読みする。原則として湯桶読みや重箱読みはしない。」とあります。

そうすると、「しちじつ」と読んでよさそうなのですが、引っかかるのが教科書ガイド。
「なのか」としているのです。

それで念のために指導書をみてみました。
今扱っている出版社の指導書には「なのか」とルビがありました。
なんだか釈然としません。 

漢文なのに「なのか」と読んでいいのかどうか? 印刷ミスか何かの間違いではないのだろうか?
そう思って他社の教科書・指導書も見てみました。

指導書に「しちじつ」とルビのある出版社は5社。
「なのか」とあるのは2社。

「しちじつ」が多いわけですが、多いからといってこちらにするわけにはいきません。
「なのか」とする出版社が複数あるわけだから間違いではなく、そう読むようにという指導案なのでしょうから無視するわけにはいかないですね。
なんだか納得できないのですが・・・  

「華清池」という語句もありますが、やはり指導書によって池の読みが「いけ」「ち」の二通りありました。
『漢詩漢文解釈講座 漢詩3』は「いけ」としています。

統一してもらえると有り難いのですがねぇ~~~ 
コメント (2)
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『白氏文集』の読みについて

2012-01-31 14:22:46 | 漢文・漢字
『リポート笠間』No.52(笠間書院 2011.11)の「歌の森にようこそ」と題する座談会の記事に「『白氏文集』をどう読むか」についての話が載っていました。

かいつまんで言いますと、
参加者のお一人の恩師が、「はくしもんじゅう」と読むのは間違いでもともとは「はくしぶんしゅう」と読んだんだ、という論文を書かれていたということ。
そして、『伏見院』を見ると「はくしぶんしゅう」とふり仮名が振ってあり、『清少納言』では「はくしもんじゅう」という振り仮名が振ってあって、今はちょっと端境期のようですね、とのこと。

又別の方(大学教授)は、「本当は『はくしぶんしゅう』のようだけど、多数説に従って『はくしもんじゅう』と読むよ」とずるいやり方で教えている、とのこと。

昨日、漢文の読みについて確認したいことがあって又教科書図書館に行ってきました。
ある出版社の教師用指導資料に『白氏文集』の説明に以下のように書かれていました。

(前略)
また、「文集」は古くは「ぶんしゅう」と訓みならわされていて、「もんじゅう」の訓みは明治三十年代ごろからであるという説が、近年行われている。詳しくは次の論文を参照されたい。

太田次男 「白詩受容を繞る諸問題ー文集古鈔本との関聯に於てー」(『国語国文』第四十六巻九号 昭和52年)
神鷹徳治 「『文集』は〈もんじゅう〉か〈ぶんしゅう〉か」上・下(『東書国語』289・290号 昭和64年・平成元)



とりあえずは従来の読みをしておき、説明を付け加えるかどうかは自分で判断しなさい!ということでしょうか?
何ともずるい書きようですね!

現在手掛けている高校の教科書には「はくしもんじふ」と振り仮名があります。ルビがあればそれに従うしかないのですが、2~3年前のものにはルビがありませんでした。

ルビが無ければ教科書の読みは、原則として常用漢字音訓表に従うことになっています。
「集」には呉音「じゅう」がありますが、常用漢字表には「じゅう」の読みはありませんので、「はくしぶんしゅう」としていいことになりますね。

但し、「原則として・・・」という文言が曲者で、更に漢文の読みには「読みぐせ」と称するものがあるようで、これがまたまた厄介なもののようなんですねぇ~~。 
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