この連載の目次
(前回から続く)
人間が将来を悲観する原因は、どうやら想像する能力にありそうです。将来を想像しないようにする方策として薬物や宗教による思考停止と現実逃避がありますが、その道を選ばないとしたら、どのような道があるでしょうか。
人間は、自分が行動を起こすことで将来の生活環境を変えられると信じています。体を動かせる人なら誰もが自力で環境を変えた経験を持っています。食料の備蓄も貯金も、家の掃除も草むしりも、買い物も他人との会話も、うちわで顔をあおぐことも部屋の蛍光灯をつけることも、すべて何らかの形で環境を変える行動です。人間はどうやら、そのように環境を変えてきた経験に基づき、自分の意思で環境を変えられると信じているようです。
人間は、自分にとって好ましい将来像が現実世界の延長線と交差しないときに将来を悲観するのではないか。野生生物が将来を悲観しないのは、自分にできる行動を起こすだけで、そのあとは成り行きに任せ、先のことを考えたりそれ以上の環境変化を望んだりしないからではないか。人間も、将来を悲観しないためには、今この瞬間の人生に没頭し、先のことや自分の力が及ばない環境変化について考えなければよいのではないか。例えば、目の前にある仕事に全力を傾注するように。
よく耳にする結論が出てきました。もう少し掘り下げて消化する必要がありそうです。
年末年始、こんなことを考えていたのでした。
(連載終わり)
(前回から続く)
人間が将来を悲観する原因は、どうやら想像する能力にありそうです。将来を想像しないようにする方策として薬物や宗教による思考停止と現実逃避がありますが、その道を選ばないとしたら、どのような道があるでしょうか。
人間は、自分が行動を起こすことで将来の生活環境を変えられると信じています。体を動かせる人なら誰もが自力で環境を変えた経験を持っています。食料の備蓄も貯金も、家の掃除も草むしりも、買い物も他人との会話も、うちわで顔をあおぐことも部屋の蛍光灯をつけることも、すべて何らかの形で環境を変える行動です。人間はどうやら、そのように環境を変えてきた経験に基づき、自分の意思で環境を変えられると信じているようです。
人間は、自分にとって好ましい将来像が現実世界の延長線と交差しないときに将来を悲観するのではないか。野生生物が将来を悲観しないのは、自分にできる行動を起こすだけで、そのあとは成り行きに任せ、先のことを考えたりそれ以上の環境変化を望んだりしないからではないか。人間も、将来を悲観しないためには、今この瞬間の人生に没頭し、先のことや自分の力が及ばない環境変化について考えなければよいのではないか。例えば、目の前にある仕事に全力を傾注するように。
よく耳にする結論が出てきました。もう少し掘り下げて消化する必要がありそうです。
年末年始、こんなことを考えていたのでした。
(連載終わり)