みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

最低限の食料を調達できたら

2013年01月01日 22時48分27秒 | お仕事・学び
この連載の目次

(前回から続く)

動物は将来を悲観しないのに、なぜ人間は将来を悲観するのか。

都市生活の場合は、日々の生活で最も切実な課題となる食料入手のために、手元にお金を持っている必要があります。ふとしたことがきっかけで、自分の力で生きていけるという確固たる自信が揺らぐ可能性が高い世界です。

農村や漁村で農耕と狩猟採集を組み合わせて生活する場合は日々の食料を身近な環境から入手できますが、それでも自分の力で生きていけるという確固たる自信を持ち続けるのは困難なようです。自分の子供に農業や漁業を継がせたくないと考える人が多いのも、そのせいでしょう。

自活できるという自信は、どうやら食料調達能力だけの問題ではなさそうです。

人間の特性として、望む生活水準が高いことも原因のひとつと考えられます。野生生物は、生きていける程度の水準で満足します。当面の空腹が満たされればいい。こごえ死ななければいい。敵に襲われずに眠れればいい。対して、人間の欲望は際限なく膨らみます。古い木造アパートでのつましい生活であっても、野生生物と比べればかなり高い水準の生活です。生存するために最低限必要な食料を調達できるだけでは社会生活を営めない、それが現代の日本です。

欲望が膨らめば、その欲望を満たすためにそれだけ多くの資源を獲得しなければなりません。自分の力で生きていけるという確固たる自信を持つには、それなりの能力が必要になります。自力でコントロールできない要因で要求水準を満たせなくなる危険性が高まり、自信が揺らぎやすくなります。

もうひとつ人間の特性として、想像する能力が挙げられます。経験や伝聞に基づいて将来を想像し、期待を膨らませたり悲観したりします。ほかの動物は未来を予想しません。野良犬は、翌日以降も食べ物が手に入るかどうかを気にしません。森で暮らす鹿も、木々が葉を落として山が雪に覆われれば食べ物が激減しますが、そのときに何を食べようかと夏の間から考えることはありません。野生生物の行動は、よく言えば楽観的、悪く言えば場当たり的です。人間は、将来に想像をめぐらせるからこそ食べ物を蓄えたり農作物を栽培したりして飢餓に備えますが、自力での備えでは到底足りないと予想する場合には悲観しやすくなります。

人間というのは、つくづく悲観しやすい生き物であるようです。だからこそ、「明日がある、明日がある……」と励ます歌が人気を博すのでしょう。

(次回に続く)