花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

久見崎を巡る 変貌する原発周辺 2024/03/03(鹿児島) 

2024-03-04 18:27:46 | 史跡巡り
3月3日(日)高江太郎太郎踊りの後、川内川河口の久見崎に向かいました。

久見崎(ぐみざき) 知元庵跡の石仏


前回はあちこち歩きまわり近所の方に教えてもらい、ようやくたどり着いたところです。

光の具合か緑が少ないためか 様子が異なる


2度目のためか、最初に目にしたときの印象とはだいぶ違って神秘感はなく、周囲がかなり荒れていることに気付かされました。

ここまで足を運ぶ人は皆無に近いようで、自然の風化に任せるような感じです。ここにいると気付きませんが、林の200mほど西側先は九州電力の原発用地です。

諏訪神社の鳥居


神社のすぐ西側に水路を挟んで広い県道が開通し、周辺の景観が完全に変わり新しい鳥居が目立っていました。

原発敷地横を通っていた県道と交換する新たな道路が、3年間の工事を経て東側山地に昨年11月開通。原発前の県道は九州電力用地になりました。

開通した県道 神社鳥居前から西側の風景


神社の西側には広い用地が造成されていて、原発関連の建物が立ち並びそうな感じです。

参道左手に田の神様


双体型の田の神様が、耕地整理記念碑などと一緒に並んでいます。

社殿は丘の上にある


こじんまりとした社殿殿横には大きなソテツがあり、神事の準備が進められているようでした。

今日は13時半から次郎次郎踊りが行われる


薩摩川内市で次郎次郎踊りと言えば射勝(いすぐる)神社が有名ですが、ここでも次郎次郎踊りがあります。

太郎太郎踊りと次郎次郎踊りの開催日が3か所とも同日であり、ここは場所が狭いことで訪れる人はかなり少ないようです。

ここで一部踊りを写してから射勝神社へ向かうことも考えましたが、どちらも半端になるので今回も撮影はあきらめました。

結果論ですが射勝神社にはカメラマンが集中していましたので、ここで写した方が良かったような気もします。

民家の角地にある阿弥陀像


慶長の役記念碑(久見崎の盆踊り想夫恋)から西に180mほどの地点です。遠目に花輪かと思いましたが、手編みのマフラーで濡れないようにビニール袋に入っていて心遣いを感じます。

河口に向かう道沿いの山桜


山中の山桜と違って道路脇の高さ2mほどの小さなもので、若葉と数輪だけ咲いた花がきれいでした。

この先の水産加工施設からは一部物音が聞こえましたが、飲食店「浜の茶屋」はシーズンオフのためかお客さんはないようでした。

砂地の先に何かある


以前見かけた原発反対の看板のようなものは姿を消して、何か建物がありました。

近づいてみると設置者は不明ですが、海岸清掃用の作業用具置場でした。原発は20年間の運転延長が決まり、反対運動も一区切りついたのでしょう。

2021/07/18 原発反対の看板


原発ができたころは周辺からよく目にした原発ドームが、最近では殆ど見えないほど防護策が施されているようです。

砂地を小走りする小鳥


何か動くものがいるようでレンズを向けました。シロチドリでしょうか、横に小走りで逃げて行きました。

甑島が近くに見える


上甑島までは25km、下甑島の遠いところまで50km程度です。吹上浜日置海岸で見るよりも近いので、列島の様子がわかります。

左手に見えるのは原発港の護岸堤防で、900mほど伸び出しているようです。

原発手前からは立ち入りできない


これまでは県道でしたが、九州電力の社有地になり一般車両は通行できません。この地点では周辺の金網柵の上に10m間隔ほどで監視カメラが並んでいます。

私が車内から写した様子も、監視カメラが記録しているのでしょうか。グーグルマップのストリートビューはこの先原発側への画像が完全に消去されています。

脱炭素政策の上では有力な原発も、事故が懸念される危険な存在であることは変わりません。年に一度程度しか訪れない私ですが、地元の方は朝夕目にして暮らしています。

安全対策上は人の目を遠ざけることが必要なのか知れませんが、何よりも無事故を願わずにはおられません。

あちこち回るうちにすっかり時を忘れ、13時半を過ぎてから射勝神社に向かいました。
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清泉寺跡 草藪の奥に磨崖仏 2023/12/02(鹿児島)

2023-12-03 21:11:50 | 史跡巡り
12月2日(土)晴天を幸いに、慈眼寺公園の後は清泉寺跡を訪れました。

13時28分 入口にある水汲み場 以下の画像は12月2日に撮影


清泉寺(せいせんじ)跡を前回訪れたのは2019年6月8日、今日は道を迷って近所の方に教えてもらいました。

坂道を下りていくと記憶がよみがえる、民家に囲まれた狭いカーブの道。水汲み場の反対側には水道局の施設があります。

清泉寺跡への入口


前回は確認不足で南側奥の磨崖仏だけを訪ね、この先にも様々な遺跡があったことが帰宅後に判りました。

しっかりしたフェンスはありますが、カギはかかっておらず入ることができます。

ツワブキの花がきれい


午後になりすでに日差しが当たらず、奥の方は薄暗く気味が悪いほどでした。

ある程度の人数で、案内を受けて史跡勉強会などの形で巡ることができると良さそうな場所です。

岩に刻まれた阿弥陀如来像


風化が進んでいるというよりは、細部にこだわらず大胆に彫り込んであるように感じました。右側山手からの湧水がゆっくり流れて良い雰囲気です。

様々な石仏や石塔などが残っています




湧水が流れ、小高い岩場には石仏が刻まれた興味深い場所ですが・・・周囲は草藪で水気が多く、夏はマムシも出そうなところです。

13時33分 大きな五輪塔 島津大和守久章の墓


2mを超えるような大きな墓石で、ここだけは花が供えられていました。

次は前回訪れた磨崖仏へ 右下に案内板


フェンスの外に出て、南側へ少し進むと見覚えのある風景ですが、草の中わずかに案内板が見えます。

ごく最近訪れた人があるようで草を踏み分けた跡をたどり、どうにか案内板に行き着きました。

おそらくここまで訪れる人は殆どいないのでしょう。

先ほどの墓石などの南側奥


阿吽(あうん)金剛力士像の磨崖仏が見える場所に、お供えでしょうか米と塩が置かれていました。

13時45分 金剛力士像


川向の岩場に彫り込まれていて簡単に近づけそうにありません。

南側と西側は山林に囲まれていますので、日差しの当たる午前中が撮影には良さそうです。

そうは言っても、草木が茂り足元も悪いため一般の人にはおススメしません。

磨崖仏が観光資源化した場所と比較すると、半ば草木に埋もれている現状も悪くなさそうです。

13時47分 2体の磨崖仏 右は妙有大姉 左は在家菩薩


この辺りも草木が生い茂り人が歩いた形跡はなく、草木をかき分けて水の流れに踏み込まないよう足元に気を付けて進みました。

小規模な建物跡のような石組が残り、近くには電柱電線もあります。管理用の建物があったのかもしれません。

13時52分 右側の岸を下れば金剛力士像があるが


水量はわずかですが、岸は苔むして傾斜があり滑りそう。ゴム長靴が必要でしょう。

無理せずここで引き返しました。冬ならば草も枯れて近づきやすいと思ったのが甘かった。

日差しが当たらず薄暗く、次の機会があるか判りませんが再訪できたことは幸いでした。

前回2019年に訪れた時、磨崖仏について詳しく書いたブログはこちらからご覧ください。

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慈眼寺公園 もみじ谷を歩く 2023/12/02(鹿児島)

2023-12-03 17:19:42 | 史跡巡り
12月2日(土)天候回復、谷山の慈眼寺(じげんじ)公園に出かけました。

11時17分 そうめん流し 今は休業期間中 以下の画像は12月2日に撮影


例年よりも10日ほど早めに訪れました。そうめん流しの営業は3月下旬~10月で、川沿いを散策する人は少なくて静かです。

地元ではジゲンジまたはジガンジとも呼ばれ、そうめん流しの公園として親しまれています。

北側には谷山神社とふるさと考古歴史館 


北側からも川沿いに通じる階段道がありますが、ここは川に近く平坦で車を止めやすいです。

和田川に架かる橋の上


看板中ほどの川沿いにモミジがあり、陽射しの当たる昼前後は特にきれいです。

水面に当たる光がきれい


水の流れの緩やかなところでは日差しが水面に当たり、水鏡がきれいでした。

お大師様


明治初期の廃仏毀釈で殆どの石像や石仏が壊され、現存するのは難を逃れたか、その後再現されたものと思われます。

昔からの道らしい


落葉が散り風情がありますが、雨の日は滑りやすいので足元注意です。

見上げると 川の上に広がる紅葉


植栽されたものと思われますが、自生する他の木々も光を求めて枝を伸ばしているため、違和感がありません。

公園入口(JR線路近く)側の石仏


坂を上がる途中右手にあります。上に休憩所がありますが周囲の木が邪魔して、桜島は良く見えません。

かつては良い展望所だったと思われますが、すぐ近くに交通量の多い陸橋がありかなり騒がしい場所です。

仁王像の頭部 廃仏毀釈で壊されたものでしょうか


慈眼寺について、鹿児島国際化推進協議会KIC (Kagoshima Internationalization Council)の鹿児島ビジターズガイドの慈眼寺公園ページから引用して紹介します。

慈眼寺公園がある場所には、約1,400年前開基されたと言われる天台宗のお寺がありました。

600年ほど前、8代島津久豊公によってお寺が再興され、15代貴久公が造営、福昌寺18世代賢和尚を開山の祖として福昌寺の末寺となり、曹洞宗のお寺として栄えました。

以来、お寺は代々島津氏に篤く信仰されていました。そして、18代家久公の菩提寺となり、「慈眼寺」と改名されました。

実質的な薩摩藩祖の菩提寺となったことで慈眼寺は隆盛を極め、南さつま市の一乗院、志布志市の宝満寺と共に「薩摩三名刹」と言われました。

しかし、明治期の廃仏毀釈の際、完全に破壊されました。

現在では跡地は公園となり、入り口に残る仁王像や公園に点在する石仏からお寺だった当時を偲ぶことができます。

また、伊敷の梅ヶ淵、城山とともに慈眼寺など市内の古刹跡に弘法大師の尊像88体が安置された「西国八十八ヶ所」の石仏群のうち、68番から88番まで(70番と73番は紛失)の19体が現存しています。(引用終わり。感謝、感謝) 

水量わずかな和田川 水流の幅は例年の半分以下


この夏は台風の影響が少なく、少雨傾向が続き水の流れはわずかで川原が現れています。右側はそうめん流しです。

蜘蛛の糸に掛かる落葉


明るい日差しがあることで目に付く光景です。

12時58分 上流側 さくら公園のモミジ


陽射しがあればこその輝きです。曇りや雨の日だと全く見映えがしません。

良い条件に恵まれて幸いでした。天候が良いのでこの後、南にある清泉寺跡まで足を伸ばしました。
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百年杉の一年生 上牛鼻の歌碑 2023/11/11(鹿児島)

2023-11-12 17:55:11 | 史跡巡り
11月11日(土)薩摩川内市の山中で珍しい石碑に出会いました。

作業小屋でしょうか 以下の画像は11月11日に撮影


ここは薩摩川内市樋脇町の山中、大規模畜舎が多い上牛鼻地区です。畜舎への作業トラックが通るだけの山道で目に付いた不思議な作業小屋。

すぐ横にはイチョウの木があり、特に目をひいたのはトタン板に白いペンキで書かれた、Tさん夫婦の歌でした。

はっきりと読める状態でしたので、これも何かの縁と考え紹介します。なお、個人名など画像の一部は加工して表示していません。

ここにもトタン板に書かれた歌が


「末期の思い」 春秋の 花葉眺めて とき偲び 沈む夕陽の 串木野の海
平成二十年六月一日 T 秀二(84才) ナミ(79才)

石碑など建てたいきさつ


ここに書かれている「世界一の社長」は樋脇町の世界一温泉のオーナーであり、広島県呉市の有限会社呉緑化センター社長・石内義夫さんと思われます。

ここの近くに大きな観音様などの石像を多数展示した石内義夫公園を開設されていますが、現在は閉鎖されています。

小屋の隣には立派な石造りの庭園に観音様


こちらもビックリ、石内義夫公園を思わせるような石造りの庭があり、歌の石碑や石塔、観音様が立っています。

石に刻まれた歌 小屋の壁にも書かれている


百才生きよと 毎春に 花見せ励ます 根性桜 一九九一年(平成三年) 



平成二十六年七月三十日付けでTさん夫妻の功績を記念碑に残すと、建立者石内義夫氏の名前が刻まれています。

百年杉の歌 


いつか世のため 人のため 役にたつとき きっとある 百年杉の一年生
平成三年四月 地主 六十七才 妻 六十三才

この歌は作業小屋のトタン板にも書かれています。植林は子や孫のためなどとも言われます。

強い思いで遠い将来に明確な目標を見出し、植林作業に汗を流される様子が判りやすい言葉でしっかりと伝わってきました。

木洩れ日が差し込む


多くの石材で造られた庭ですが、多大な経費が掛かったものと思われます。

平成26年(2014)に建立であれば、9年が経過しています。百年杉の歌を詠んだTさんは平成3年(1991)に67才・・・32年後の現在では99才。

上の方の「末期の思いの歌」が気になります。トタン板の文字が当時のままで残っているとも思えず、おそらく家族など関係者が大事に管理されているのでしょう。

外から見える小屋の中は今も時々使われている様子できれいに整理され、屋根や壁が朽ちた様子はありませんでした。

秋の一日、冠嶽の紅葉を目指す中で何とも不思議な空間に引き合わせてもらいました。
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夏の終わりに 海蔵院墓石群 2023/08/28(鹿児島

2023-09-01 15:04:01 | 史跡巡り
8月28日(月)南方神社に伊作太鼓踊りが奉納される前に立ち寄りました。

日置市吹上町南方神社 参道の鳥居 以下の画像は8月28日に撮影


神社の鳥居ですが両側には仁王像が立っています。鹿児島では時々見かける風景ですが、よく考えるとちょっと不思議です。

海蔵院跡の墓石群は右側の林の中


参道の先には南方神社があり、祭り関係者などの車が両側に止まっています。

車の後ろには「島津日新公学問所跡」の案内板があり、海蔵院跡の石碑が建っています。墓石群は50mほど先ですが、訪れる人は少ないと思われます。

海蔵院墓石群の案内板


ネット上の日置市の史跡マップには次のような説明がありました。

海蔵院跡 市指定史跡
真言宗の寺院で応永5年(1398)に創建で、伊作郷最大の寺院であった。島津忠良(日新公)は7歳から15歳まで当院8代住職頼増の教育を受けた。五輪塔・宝篋印塔・月輪塔など80数基の様々な石塔が残っている。

9時5分 木の間から差し込む光と墓石群


大きな石塔などには案内板がある


一段下がった場所の墓石群


同じく南西側の墓石群


桜のような木 惜しいことに枯れているようだ


杉木立の横にはお地蔵様


心落ち着く場所


海蔵院の歴史や、墓石・石塔などについて詳しく説明されている方のネットページもあります。

グーグルマップで存在は判っていましたが、実際に足を運んだのは初めて。単純に写真的な興味だけで言えば、霧の朝や雪の日、桜の咲くころだと雰囲気のある場面が写せそうです。

南方神社での太鼓踊りが始まる前の、ごく短時間に撮影したものを掲載しました。近くには伊作城跡もあり、いずれ再訪したいものです。

ここから南側へ直線で400mほどの山中には神護石があります。伊作温泉側から道なき斜面を登ると、山頂部近くの大岩に仏様が彫り込まれています。今年3月に神護石を訪れた時のブログはこちらからご覧ください。

11時ちょうど 多宝寺跡での伊作太鼓踊りが終わるところ


画面右上の林の中に墓石などがあります。日置市史跡マップの多宝寺跡についての説明です。

多宝寺(たほうじ)跡 市指定史跡
島津氏の分家であった伊作島津氏代々の菩提寺。歴代の領主(3代及び10代を除く)と婦人の墓がある。10代当主忠良(日新公)は、九州の大半を支配した戦国島津氏の基礎を作った人物。多宝寺跡には忠良の両親と娘の墓がある。

多宝寺自治会公民館 島津日新(じっしん)公の歌


日新公いろは歌は、関ヶ原の合戦(1600年)で活躍した島津義弘の祖父・日新公こと島津忠良が5年余りの歳月をかけて完成させた47首の歌です。

加世田青年会議所発行の日新公いろはかるた解説書を引用して、歌の一部を紹介します。

いにしえの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし

「意味」 昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。

楼(ろう)の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき

「意味」  二階造りの立派な家に住む人も、みすぼらしい小屋に住む人も、その住むところによって人の値打ちは定められるものではない。その人の心にこそ、尊い、いやしい、の区別があるのだ。

はかなくも明日(あす)の命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせで

「意味」   世の中には、今日は用事がある、今日は気分が悪いなどと言って、大事な学問を勉強せず、あてもなく、明日の日を頼みにしている人がいる。

貴重な日々を惰性で生きているようで、わが身につまされます。時には普段の行いを振り返り、悔いなく生きたいものです。
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金峰町 田の神様を訪ねる 2023/07/13(鹿児島)

2023-07-14 20:23:01 | 史跡巡り
7月13日(木)万之瀬川のハマボウ群生地からの帰りに田の神様を訪ねました。

早期作水稲 金峰コシヒカリの生産地 以下の画像は7月13日に撮影


南さつま市金峰町の広大な水田に稲穂が色づき、南風にそよいでいました。

この辺りの田の神様を巡りました。鹿児島では「たのかんさあ」と呼ばれ、古くから親しまれています。

石像ですが私にとっては神様なので、近くの方などに場所を尋ねるときは、方言で「たのかんさあは、どけ、おいやんどかい」と聞いています。

直訳すると、「田の神様は、どこに、いらっしゃいますか」です。

農道に沿った水路横の一段高い場所


あらかじめグーグルマップのストリートビューで場所を確認していたのですぐにわかりました。

最初は宮崎の田の神様


農道沿いの水路横の一段高い場所に田の神様が祭られています。祭事用の新しい竹筒が立ち、カップ酒が供えられ茶碗にはご飯が入っていたようです。

茶碗にかぶせるような薄いフィルが近くに落ちていて、猫の仕業か茶碗がひっくり返っていました。

広い田圃を見守る後ろ姿


ここから広い水田を見守っておられます。農地整理や休耕の拡大に伴い多くの田の神様が失われ、あるいは忘れ去られたことでしょうが、今も大切にされている地域の方々の優しい心遣いが感じられました。

2か所目は池辺稲葉の田の神様


グーグルマップから広い範囲の位置図を簡単にコピーした紙を持参して探しましたが、空からの現地画像を見ると場所がすぐわかります。

単に道順に沿って探そうとして少し戸惑いました。台座石にハスの花模様が刻まれていました。

背中に大きな藁ツト


ツトは、藁や葦、竹の皮などを編み束ねてつくった容器で、中に食糧、魚や果実などの食品を包み入れて持ち運んでいたそうです。

3か所目は塩屋堀の田の神様


こちらは表情が良く残っています。台座石には水流のような模様が刻まれていました。

東側に金峰山が見える


梅雨明けを予感させるような青空


この辺りはまだ稲穂が色づき始め程度。青空に白い雲で爽やかな感じですが、日差しが強く風がなければ大変な暑さです。

予想外だった 竹原の田の神様


この辺りは広い畑に接する集落内で、グーグルマップにも表示のない田の神様で驚きました。

全体的に少し異質


市役所の案内標柱が立っていましたが、顔は風化しており少し異質な田の神様のようでした。

最後は京田の田の神様


京田海岸への案内表示が立っていたのでこの辺りと考え、少し先に車を止めました。

すぐ近くだった


ここも周囲は畑で水田は目に付かない場所です。かつては水田があったのか、耕地整理などでこの地に移転したのでしょうか。

後ろ側も風化が進んでいる


どちらも田の神様のような感じです。おそらく散逸しないようここに集められたのではないでしょうか。

イノシシ被害対策でしょうか


ここから吹上浜海岸までは1.8kmほどありますが、海岸までは松林と自然林が続くためイノシシが繁殖しているのでしょうか。

電気柵が設置され、被害が深刻なようで気の毒です。私の唐芋(サツマイモ)もアナグマ被害が懸念されますが、今のところ影響は出ていません。

グーグルマップに助けられ、短時間のうちに美しい田園風景と田の神様を巡ることができて幸いでした。

朝方から汗を流したついでに、帰宅後すぐ庭先のノウゼンカズラや庭木の剪定をしました。

片付いてほっとしたものの、気付くと声がかすれていました。勢いに任せた無理は避けた方が良かったようです。皆様も暑さにはご用心ください。
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久見崎の石仏 歩き回り大汗 2023/06/26(鹿児島)

2023-06-27 20:18:55 | 史跡巡り
6月26日(月)薩摩川内市久見崎ではネット情報で知った石仏を訪ねました。

最初はお不動さん 以下の画像は6月26日に撮影


歩いて探せる気がして車は公園近くの道路脇広場に止めました。庵ノ平(あんのひら)ため池付近の知元庵(ちげんあん)跡を探すものの見つかりません。

集落を反時計回りに歩いた東側の田圃近くで目に入りました。両側は仁王像の一部かと思われます。

個人で管理されている感じ


すぐ近くの民家庭先の方に尋ねると、お不動さんとのこと。庵ノ平ため池は道路に沿った用水路をさかのぼった所にあると教えてもらいました。

<知元庵跡へ>

ため池があった 庵ノ池とも呼ばれる


知元庵跡についてはグーグルマップを見ていて気付き、検索すると「薩隅石造物巡行」さんのページで2015年の詳しい調査情報がありました。以下の記事にも参考にさせて頂きました。ありがとうございます。

標柱も案内板もありませんが、知元庵跡はどちらでしょうか。右は道が残っているが行き止まりのようです。フェンスに沿って左へ進みました。

入口先に少し石垣のようなものがあっただけ


池を回る踏み跡があるようで進んで行きますが、左手の林は斜面で石仏や石塔のようなものは見当たりません。ついには倒木で先に行けず引き返し林の中を探しますがダメ。

スマホを持って来ず、情報を照らし合わせることができず10分ほども探し、仕方がないかと諦めました。

入口は右手だった 階段もあるのでこの先か


上り口周辺の草木が茂って半ば隠れていましたが、池の右手にしっかりと石段が続いていました。上を見ると石塔らしきものが見えました。

木間からの光が美しい石塔群


史跡巡りとは言っても、私の場合は歴史性や宗教・学術的意義まで理解できるはずもなく、単に仏様とその空間の雰囲気を感じたいだけです。

仏様が2体


手水鉢や石灯篭のようなものが倒れ、最近人が訪れたような感じもありませんが素晴らしい雰囲気に感激。

11時53分 真上に近い光の差し込み具合


私が生まれ育った吹上浜の海岸近くの林に雰囲気が似ていて、いつまでもここに留まれるような心落ち着く場所でした。

大日如来坐像(金剛界大日如来) 台座石の角に刻まれた顔


如意輪観音坐像


動画も記録すれば良かったと後で気付きました。この日は朝方通り雨が降り南風で蒸し暑く、歩き回るうちに汗でメガネが曇り目にも汗が入り込み散々でした。

<加治屋の阿弥陀像>

県道に出ると庵ノ平池への目印とされていた県道横の消防団車庫はすでになく、「川内観光交通のりば」になっていました。

滄浪地区松ケ鼻墓地


県道向かいの共同墓地を過ぎてこの先の集落内にある阿弥陀様を訪ねました。川の方へ少し下って行くと昔からの店と簡易郵便局もありました。

民家角地の阿弥陀様


想像したよりも大きめで風化が進んでいましたが、どっしりと落ち着いた雰囲気でした。

台座の石にも先ほどの仏像と同じような装飾があった


知元庵跡の石仏とこの阿弥陀様、さらに鹿児島市西佐多町(吉田町)前宗の観音様は作者が同じとのこと。

グーグルマップで見た時は北向きと思っていましたが、実際は東向きでした。ここは普段人が多く通る道で人々に親しまれている仏様でしょう。

東に進むと日和山(ひよりやま)


小高くなった場所には想夫恋(そうぶれん)の踊り場がありました。

想夫恋踊りについて鹿児島県のページから引用紹介します。

川内川の河口左岸に位置する久見崎地区に,古くから伝えられた盆踊りです。慶長2年(1597),慶長の役に出兵した島津軍は,ここ久見崎港から出航したと伝えられますが,朝鮮で戦死した帰らぬ夫や子らを,国もとに残った女性たちが供養するために踊ったのが,この踊りとされています。(引用終わり)

お地蔵様


踊り広場の西隣には多くの石碑や石塔が並んでいます。その中で新しいものと思われるお地蔵様です。

木の葉の間から小さな光が届き、お地蔵様の前にホタルが飛んでいるように見えます。

久見崎公園のハマボウ


この後は久見崎公園に移動し、南側の湿地帯に咲くハマボウを見に行きました。湿地帯での土砂除去作業継続が影響しているのか、ハマボウの木が弱って例年よりも花は少なめでした。

一番きれいに咲いていたのは公園内のこの木でした。蒸し暑い中を昼食も摂らずあちこち巡り、汗を一杯流しながらも石の仏様に接することができました。健康に、家族に、感謝、感謝です。
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高田の磨崖仏 石切場と命水 2023/05/10(鹿児島)

2023-05-11 16:39:48 | 史跡巡り
5月10日(水)郵便局での写真展鑑賞後、川辺町の高田に立ち寄りました。

12時12分 高田の磨崖仏 以下の画像は5月10日に撮影


高田(たかた)の磨崖仏について南九州市のページから引用して紹介します。

江戸時代の貞享4(1687)年,高田の西山観音寺の是珊住持の時に,鹿児島の石工・久保田太右衛門によって彫刻された仏像と,正徳元年に頴娃の脇七兵衛による天照大神像があります。1687年から1711年までの25年間にわたって彫られました。(引用終わり)

阿弥陀如来坐像


左から聖観音座像、薬師如来坐像


左から阿弥陀如来坐像、大黒天立像・毘沙門天立像


明治初期の廃仏毀釈を逃れ、しっかりした姿です。たかた命水の水汲み場近くの道路が拡幅された西側岩場にあり、多くの車を止められます。

12時を回り磨崖仏に日差しは当たっていませんでした。早朝に日差しが当たるとすれば、違った感じに見えそうです。

桜は各地とも一斉に咲くので、よほど計画しないと忘れがちですが・・・ここは川沿いに桜並木があり良い雰囲気です。

12時30分 石切場入口から中を見る


磨崖仏から南へ、たかた命水を過ぎて500mほど、道路から少し入ると石切り跡の広場があり周囲は緑に囲まれて異空間のように感じます。

石切場の作業跡 今は使われていない


作業跡や高い岩壁がそのまま残っています。若葉の香りが充満して気持ちが良いですが、川の瀬音が岩壁に反響して不気味に感じる方もありそうです。

清流の瀬音が心地良い


石切場の道路横を流れる永里川の清流です。下流部には古い時代に造られた堰が今も残っているそうです。

川沿いの黄色い花 メキシコマンネングサ


小さな帰化植物で地味な存在ですが、固まって咲くので花の季節には存在感があります。

たかたの命水 駐車場の楓


水汲み場に駐車場、トイレが整備されています。野菜の小さな無人販売もあり、地元の方が大切に管理されています。

24時間水が汲める 古い演歌が聞こえた~長崎の夜は紫


次々に水汲みの人がやって来て、しばらく時間待ちして写しました。料金は決まっていないようで、コインを入れるとお礼の言葉と帰りは気を付けてと、自動音声が流れます。

高齢者を中心に大きなペットボトル容器20~30本程度の量を汲んでいました。少し口に含むとまろやかで、自宅から近ければいつも使いたい味わいでした。
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蒲生漆から木津志へ 田の神様 2023/05/03(鹿児島)

2023-05-05 17:23:33 | 史跡巡り
5月3日(水)憲法記念日、吉田を経て姶良市蒲生町の漆地区へ向かいました。

12時6分 姶良市蒲生町の米丸(よねまる) 以下の画像は5月3日に撮影


画面奥(東側)を別府川の支流、後郷川(うしろごうがわ)が流れています。

ここは直径約1kmの円形盆地で今は整然とした水田地帯ですが、8000年前のマグマ水蒸気爆発で形成された火口跡(マール)です。

2003年(平成15年)、約3km東にある住吉池マールとともにランクCの活火山に指定されました。一万年以内に噴火しているので、いつ噴火してもおかしくない火山とのことですが、全く実感がわきません。

漆(うるし)の広木の滝 落差2m 滝と言えなくもない


漆への県道463号浦蒲生線は川と崖に挟まれ離合困難な区間が続き、通るたびに緊張します。連休のためか普段は殆ど見かけない対向車や後続車がありました。

道路から10m下まで行くと滝が見えますが、川までは岩や木の根、竹などが絡み合って足場が悪く、遠目に眺めて瀬音を聞く程度が良さそうです。

黄菖蒲でしょうか 民家跡に残ったものらしい


漆の集落北側で県道391号下手山田帖佐線へ右折、少し進むと黄色い花が目に入りました。自生するようなものには見えず、車を止めて撮影。

県道ではありますが狭く、日差しも届かないような山間部で落石注意個所も多く、いわば険道。車を見かけたのはツツジ撮影で停車中に2台だけでした。

13時29分 姶良市木津志(きづし)地区 天気は少しずつ下り坂か


昼を過ぎて薄雲が現れ飛行機雲が目立ち始めましたが、写真的にはきれいな新緑風景でした。

木津志の田の神様


久しぶりに訪れました。白いツツジが咲き、北側の城野神社境内にもわずかにツツジが残っていました。

蹲踞の姿勢で少し上を見つめるユウモラスな、親しみを感じる田の神様です。

城野神社(じょうのじんじゃ)


昔からの小さな村社(そんしゃ、むらやしろ)で、御祭神は源為朝の浄之御前(ミナモトノタメトモノキヨノゴゼン)。

創建年代は不詳で、慶長十七年(1612)に島津義弘公が再建し、現在の社殿は文久三年(1863)に改築されたものです。

訪れる人は少ない感じですが、境内には桜やご神木のような大木近くに祠があり、写真的には興味深い場所です。

ツタが覆う廃屋


山間部の狭い水田地帯に沿って民家が点在しています。かつては集落の中心部であったようなところに残る廃屋です。

近くには樹齢50年ほどと思えるイチョウ数本や、自生とは思えない背の高い木も見かけました。

木津志堂崎の田の神様


田の神様は鹿児島県内各地の水田地帯に今も残っていますが、耕地整理や休耕に伴い移転、草に隠れたものなども多いことでしょう。

堂崎の田の神様は珍しいことに農家(Kさん)の庭先にあります。家人のお話によると最初からずっと動いていないそうです。

先ほどの田の神様と形が似ていて、背中に年号など刻まれていますが草に隠れてよく判りませんでした。

小さな田の神様


両手に入る大きさで、かつては農家持ち回りで祀っていたものですが、過疎化が進み今はここで預かっておられるとのこと。

お仕事の手を止めて、あれこれ話を聞かせていただきありがとうございました。

14時39分 後郷川の堰


木津志からの帰りは小さなトンネルを抜けた先を右折して川沿いに下りました。姶良市山田方面に向かっているように感じましたが、ほどなく漆に向かう道に合流しました。

道路左手には堰があり下流部には子供たちの水遊びに恰好な場所がありました。現在は水難事故を懸念して立ち入り禁止個所も多いのですが、水辺のキャンプなどもできそうな場所でした。

山手から農作業に向かうような大型農機が走ってきました。田起こし時期であちこちと忙しく動き回っている感じでした。

近くの方の話では大雨時には川の水が道路まであふれだし、道路でアユが獲れることもあるとか。想像もつかない水量ですが、流域が広いためでしょう。木津志では水路の災害復旧工事が続いていました。

北側の分水嶺を越えると薩摩川内市祁答院地区で、地図を広げないと位置感覚が判らないほどの山深さです。

今日は天気に恵まれ、近場から姶良市の山間部まで広く巡りました。道の狭さは仕方ありませんが、季節の移ろいを写し止めたいような場所でした。
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岩の鍾馗様 小野公園近く 2023/04/26(鹿児島)

2023-04-27 11:48:25 | 史跡巡り
4月26日(水)雨上がりの午前中、昨年に続いて鍾馗様を訪ねました。

天候回復 鹿児島市の小野公園 以下の画像は4月26日に撮影


24日からの雨が止んで、少し風が強めながらも青空が広がってきました。

野球場ライト側を南西方向へ山手に向かう


球場の周囲をウォーキングする人も見かけました。鍾馗様が彫られた岩はこの100mほど先の右手にあります。

左手には数枚の田圃が残る


昨年6月に訪れたときは田植えがすんでいました。今回右手のコンクリート水路が一部改修されていました。

楓のある所を右へ入る


グーグルマップを見るうちに「磨崖仏」の表示に気付き、昨年6月に訪れました。

付近には案内板など一切なく、場所が判らず山手へずっと進んで探し出せず、ウォーキングをしていた地元の方に教えてもらいました。

雨上がりで判りにくい


飲料水容器がありました。お供えの意味でしょうか、昨年はありませんでした。

顔の表情が力強い


コケや草に覆われた部分もありますが、安易に手を付けることもはばかられます。

入口には小さなバラの花が咲いていた


昨年見かけた小さなこいのぼりが、少し中の方にありました。バラは園芸種と思われ、狭いながらも平坦地で住宅跡だったような雰囲気です。

特に史跡に指定されているわけでもありませんが、お寺跡だったのでしょう。

送電線の維持管理


少し山手に進むと、このような標識がありました。大きな送電鉄塔の保守管理作業用の通路になっているようです。

普段気にも留めないことですが、地道に生活インフラを守る人々のおかげで、なに不自由もなく暮らしていけることに感謝です。

この後は昨年と同様に上流部の幸加木神社に向かいました。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。