象徴とは飾り物です。無くても何の問題もありません!
日本には戸籍がありますが、これも象徴と同様です。日本の個人情報を簡素化してしまえば、国に掛かる負担は10分の1で済みます。
では、このような虚像が何故、必要なのでしょうか?
この虚像の中で飯を喰らう者が沢山居て、甘い汁を吸う者にとっては決して失うことが出来ない食い扶持だからです。
日本の国家予算が二重構造に成っているのも、ここで甘い汁を吸い飯を喰らう者が沢山居るからです!
つまり、皇室の存在の意義も、ここに在るのです。無くても済むものも飯を喰らう者にとっては、無くてはならないものに成るのです。
日本の信仰も同じ中身です。神社仏閣に冠婚葬祭、迷信と国民は、あちこちにスガリ付くばかりの宗教です。
日本人にとって、実像なんて何の価値も無いのです。目の前に在る虚像や虚構を追い求めて迷走、翻弄するのが日本人の宿命なのでしょう!
虚像の中で虚構を積み上げて飯を喰らうのを最善と信じているのです。
束の間の栄華を夢に見る哀れな民族で日本は終わりを遂げるのでしょうか?
世界には似たような国が沢山あります。多くの国が似たような終わりを遂げて来ました。
日本から、この虚像を無くしてしまったら、何が残るのでしょうか?
物事、全てが程度の問題です。飾り物ばかりで飾りを取り、化粧を落としたら果たして化け物に成ってしまうのでしょうか?