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頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『生物と無生物のあいだ』福岡伸一

2008-02-02 | books

だいぶ前に読んだポール・ケネディの『大国の興亡』 なんだか頭に入らなかったのは訳のせいだと最近読み始めた "The Rise And Fall Of The GREAT POWERS" Paul Kennedy 1988 こりゃ読み安い。やっぱり訳のせいなんだと思って読み進めたはいいが、何を思ったのかペーパーバックではなく単行本で読み始めたので重い。それと、訳のせいじゃなくてそもそも内容が難しい&薀蓄だらけで読み飛ばせない。

そんなわけで、やや逃避を兼ねて福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』を軽い読み物として読み始めてみた。

あれ~?ありゃりゃ~?

これはおかしい。 ベストセラー = 簡単なモノ という方程式じゃなくて、恒等式が成り立っていない。意外なほど、難しいのだ。こんな難しい本がよく売れたもんだと思いつつ、レビュー風してみる。





子供の頃、トカゲの卵を持ち帰った少年福岡伸一。なかなか孵化しないので、卵に穴を空けてみた。


 するとどうだろう。中には、卵黄をお腹に抱いた小さなトカゲの赤ちゃんが、不釣合いに大きな頭を丸めるように静かに眠っていた。
 次の瞬間、私は見てはいけないものを見たような気がして、すぐにふたを閉じようとして。まもなく私は、自分が行ってしまったことが取り返しのつかないことを悟った。殻を接着剤で閉じることはできても、そこに息づいていたものを元通りにすることはできないということを。いったん外気に触れたトカゲの赤ちゃんは、徐々に腐り始め、形が溶けていった(283ページより引用)


実はこの引用した箇所はこの本の一番最後に書かれているエピソードである。そして、著者の福岡氏がこの本で言いたかったことはここに凝縮されている。と書いても、何のネタバレにはならないだろう。

タイトルが『生物と無生物のあいだ』なので、それについてのみ考察した本かと言うとだいぶ違う。生物と無生物の違いを一つのテーマにしながら、ワトソン&クリック以前と以後の遺伝子・DNA解析の歴史、著者自身の研究生活(ポスドク=奴隷)、帰納的な論理の導き方と演繹法のもたらす相違、ワトソン&クリックに言わば、「盗まれた」研究者、著者が専門に研究した膵臓内にある細胞膜の研究から導き出された研究結果→生物全体に言える真理・・・・・・

エピソードは多彩。何より文章が美麗だ。理系研究者が書く文章とは思えない。

科学系の本はレビューしていないモノを含めると、そこそこに読んでいるのだが、『マザー・ネイチャー』(参照拙レビュー「マザー・ネイチャーは2006年のベスト本だ」あるいは、『E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」』を読んで以来、久々にガツンと来た。定価740円だが、7万4千円、いやそれ以上払っても惜しくない本だった。









以下、蛇足、もしくは【自分用覚書】 読んでもネタバレにはならないが。

著名な物理学者、シュレディンガーは「原子はなぜそんなに小さいのか?われわれの体はそれに較べてなぜそんなに大きいのか?」と問う。福岡は、ルートnの法則によって、原子が100個あある場合、ルート100=10 と10%も秩序を乱す原子が存在してしまう。しかし原子が100万個あると、ルート100万=1,000 誤差はたった0.1%となるので生命体が大きい方が誤差を吸収できると説く。うーむ。なんだかとっても説得力があるぞ。

しかしシュレディンガーは「われわれ人間など高等生物のエントロピー増大を防いでいるのは、負のエントロピーを持つ食べ物を取り込んでいるからだ」とした。(うーんと、エントロピーは乱雑さというかなんというか。ワカラン人は自分で調べておくれ)しかし、シェーンハイマーが重窒素で標識したアミノ酸を使って、マウスがどの程度体内に吸収されるか研究をしたところ、体外に排泄されたのはたったの29.6%  56.5%はタンパク質として体内に取り込まれていた。タンパク質をアミノ酸としてせっせと体内に取り込むと同時に、同量のたんぱく質をもったいないことにアミノ酸に分解して体外に捨てているのだ。うーむ。

そこから、生命とは「自己複製するシステム」ではなく、本書の冒頭に掲げられた「動的平衡」へとつながっていく。なんてスムーズな流れなんだろう。

「生命とは動的平衡にある流れである」(167ページより引用)

(ネタバレを避けるため詳しくは書かないが)、キーワードは「時間は戻せない」「生命は機械ではない」




【頼まれもしないのに、勝手に何かを導き出すの巻】

① DNAが壊れたDNAを修復する機能を持っていることを一つのヒント。人為的に壊した細胞を周りの細胞が補完すること(狂牛病の元となるブリオンタンパク質異常。そのブリオンタンパク質が出来ないように操作されたマウスは正常。しかし、不完全なブリオンタンパク質遺伝子を戻してみると、狂牛病と似た症状を起こしたということをもう一つのヒントにして、人間社会にあてはめてみる。

どんな人間社会でもいい。会社、家庭、学校。リーダー的存在の人間をそこから引っこ抜いてみる。すると、リーダー不在になったからといってそのグループは機能不全に陥るわけではない。残されたメンバーがリーダーの役割を補完することによって機能するはずである。ところが、リーダーを引っこ抜いた後、しばらく時間を置いてから不完全なリーダーをそのグループに入れてみる。するとグループは崩壊寸前になるのではなかろうか?

会社なら課長という機能しているリーダーを抜くと、部下たちは課長なしでやって行けるように相互補完して上手くやっていけるだろう。そこへ課長として機能していない人間を課長としてその課に配属すると、それまで上手く行っていた「課長不在状態」が不完全な課長によるリーダーシップによってその課をダメにする。

うーむ。自分としては非常に分かり安い、人間社会への置き換えだったのだが、たぶん誰も分からないだろう。まあいい。


② 細胞の中にある小胞体の中はその細胞の外部にあたる。つまり、「内部の内部は外部」このトポロジーの変容については第11章を読まれたし。

内部の内部 = 外部 でなぜかフロイトを連想した。

自分の内面にある自我とエス(まあ、欲求ぐらいにしとこう) それを検閲するのが超自我(まあ、自我がやろうとすることを世間や社会の規範を持って来てやめようとする検閲機関のようなものとしとく)

内部の内部は外部って、超自我のことではないか?超自我(のある部分)は自分ではなく外部のルールに則って機能する。内部の内部が外部とは、超自我は自我とエスの内部にあって、外界とつながっている。ってことになる。ならない?ってゆうかどうでもいい?


③ 著者はジグソーパズルを例に挙げて、一つだけ空いた所にはまるピースは必然的に周りのピースから決まる。DNAもアミノ酸も同様に「周りが決まれば、そこに入るものも必然的に決まるし、一つのピースが入る所も必然的に決まる」というようなことを書いている。

うーむ。

自分という人間は偶然作られた。しかし自分というピースがはまる場所は必然的に決まる。生きる場所も。自分という人間は偶然の産物だが、それとピタッと合う女性というのは必然的に最初から決まっている。ちょっと運命論的ではあるが、俺の「人間は誰でもピタッと合う異性、あるいは同性が地球上には必ず一人いる」論とがっちりとはまるので、いただいておいた。

※参照拙記事:「記事150本目『人はなぜひとを好きになるのか』

久しぶりに、誰に読ませるでもなく、自分のためだけに記事を書くと、非常に爽快な気分になったのはなぜなんだろう・・・・・・






今日の教訓





ゲノムを操る少年
ゲ・ゲ・ゲのむ太郎





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朝日VS読売のバトルが面白い

2008-02-01 | days

昨日(1/31)の朝日新聞朝刊、18と19面にどでかく「あらたにす」というサイトの宣伝と、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞の三紙の論説責任者の対談が載っていた。たぶん読んだ人は少ないように思う。だって、字が多いから。だって見るからに堅そうだから。しかし、よーく読んでいたら、朝日VS読売の対決があちこちに見られ、楽しませてもらった。

「あらたにす」は、三紙の一面を比較できるという「ある意味」画期的なサイトなので、ご興味ある人は見てみるとよいだろう。

さて、新聞なんて読まない人もいるので、バトルの一部を紹介しよう。カッコ内赤字は筆者の俺。

岡部直明 日本経済新聞主幹
若宮啓文 朝日新聞論説主幹(この人の発言に注目)
浅倉敏夫 読売新聞論説委員長



元旦の社説で何を訴えたのかと訊かれ、

若宮 「去年、読売さんが音頭をとって大連立構想が出てきたが、一気にそうなるのは不自然です。衆参で与野党がそれぞれ民意を代表していると主張するなら、いわば決勝戦をやって決着をつけないと」
(ほんと不自然だった。いいこと言うねえ)


(中略)

浅倉「若宮さん、意地悪く言うと選挙を急ごうというのは『早く民主党政権をつくるべきだ』と聞こえます」
(そうかな?)


(司会に選挙をやれというのは、民主党が勝つことを前提にしているのかという問いがありましたが。と言われ)

若宮「お言葉を返したい。浅倉さんのお話はそれなりの筋は通っているけれど、全部与党の人が言ってるのと同じです。(読売は)与党の機関紙っぽくなってる感じを受ける」
(おっと言っちゃったよ。みんながそう思っているとは言っても、大朝日新聞の論説主幹が大読売新聞の論説委員長を目の前にして。日経の岡部さんはどんな顔してそこにいたんだろう?)


(中略)

浅倉「消費税導入が問題となったとき、ほとんどの新聞、マスコミは導入に反対でしたが、読売は断固導入すべしという社論を展開しました」
(じゃあさー今さらだけどさー、財源としての間接税がどうして直接税より優れているのかもう一回説明してくれる?)(ってゆうか、消費税引き上げにももちろん賛成してるんだよね?ね?)


(中略)

若宮「朝日新聞は04年4月1日、『社説』をテーマに『比べて読めば面白い』という社説を掲げたことがありました。イラク戦争開始からちょうど1年たった時だったから、冒頭に読売新聞がイラク戦争開戦に賛成していたときの社説を引用させていただいて、こんなに違うんですよ、ということを朝日の読者にもわかってもらえるようにしたわけです」 
(ああ、それ覚えてる)


(中略)

若宮「今年3月でイラク戦争も5年。先ほど読売さんは、消費税に賛成したという輝かしい実績を、大変誇らしげにおっしゃった。じゃあイラク戦争5年を迎えるとき、開戦を強く支持した社論をどう総括されるのか、今から楽しみにしています(笑)」

浅倉「楽しみにして下さい(笑)」
(楽しみにしてていいのかよー。イラク戦争の大義なんて今現在でも喪失しちゃってんじゃないの?)(あー読売って政府の機関紙だからブッシュの広報誌でもあるのかな?)




うーむ。俺が、巨人が異常なほど嫌いであることと、ナベツネも嫌いであることと、読売新聞を読んでいるとどうも肌に合わないこととの相関関係についてはいまだに判明していない。しかし、この対談を読んで、若宮さんという朝日の論説主幹のことが非常に好きになった。

昔から、「読売は右より、朝日は左より」なんて言われていることも、最近の若者は知らないだろう。新聞なんて読まないだろうし。インターネットで新聞が読めるので新聞なんて取らないという人も多いだろう。俺自身もネットで新聞が読めるようになってからある時期新聞を読まなくなった。しかし、ネットだと見出しをさっと流し読みしてしまって、単に「あった出来事を確認する作業」をしてるだけだと分かった。それ以降新聞に戻ってきた。

確か、爆笑問題の太田光が、新聞が事件をレイアウト化するのが嫌だと言ってるのをどこかで読んだ。ネットのように事件が箇条書きのようになっている方がよいと。しかし、編集が苦労して組んだレイアウトを見ていると、どの記事に力を入れているのか、どの記事を読んで欲しいかビジュアル的に分かる。まあ、俺の場合大きく取り上げられている記事はたいていどっか別の所で既に知っていることが多いので、とっても小さい扱いの事件や論説の類ばかり読んでいるが。

と言うわけで(どんなわけだよ)

みんなが新聞を読まない今だからこそ、新聞を読むと他の人の知らないことを知ることができるぞー

と誰に言ってるのか分からないことを小声でつぶやきつつ、失礼する。なお、本日アップ予定だったアホネタは急遽この記事に差し替えた。あしからず。





今日の教訓





なんにも
思いつかない





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