ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

清らかな厭世

2010-07-31 08:54:38 | 日記
作詞家 阿久悠の作詩は5,000曲以上とか。

ヒット曲もたくさんある。
一番が歌える曲も数多い。

作詞家で作家なので、言葉についてのある種専門家と言えるだろう。

「自分を愛しすぎている」ことへの警告を発している。

自分を愛することは自分を嫌うよりはいいことだと思う。
自分を愛することができなくて自分を傷つけたり、自暴自棄になったりするのは、哀しい。
けれども、自愛が、歪んだ形になってしまうと、それは、本人だけのことにならない。

「自己チュウ」なんて揶揄される程度で済まなくなる。

どうも健全な形になりにくくなっていると言える。

その原因を阿久悠は

『嘴も小さく、爪も弱く、羽も生毛のままのヒヨコの周辺から不可能を排除し、大きな
コンドルと錯覚させた自信家の今の子は、自己愛だけで生きる』と書いている。

また、こんなことも書いている。

『他人を悪く言って楽しむ快感に浸っていると、自分以外の人間に敬意を払い、尊重
するということは身につかない』

テレビで、お笑いとか称される娯楽番組がある。
最近の娯楽番組は、相手をけなしたり、たたいたり、水をかけたり、が派手。

けらけら笑って見ている人もいるが、笑うどころか、より冷めてしまって、この手の番組は見ていない。
こうした現象も、背景のあるのかも知れないと思った。

そして、心でうなってしまったのを以下に引用する。

『少年ぶる父親たちよ、少女ぶる母親たちよ、なら子らは何ぶればいい』

『清らかな厭世 -言葉を失くした日本人』
阿久悠
新潮社